悪魔と清濁の世界

時と場合に依って言葉は意味を変える。

どんな事を言うかだけで正解には辿り着かない。

それは誰が言ったかだけでもかなり意味が違うからなのだな。


想うのは自由だが一度放たれた弓矢の様に

一度口に出した言葉はいろんな形に変わって誰かの耳に入る。

人類よ。愚痴と不満には気を付けろ!

いつの間にか己を不遇な生き物と断じて

それを誰かのせいにして、ずっと往くべき道に向かえなくなる。

こんな悲しい負の連鎖に陥ってしまってる現代人が多すぎるのだ。


時に人は落ちぶれる。落ちこぼれる。だがそんな人間に対して

後ろ指を向けて愚弄する真似だけはやめておけ。

その段階でお前は卑怯者の仲間入りなのだ。



現代で言えばダブルスタンダードと言うのであろうか?

散見されるものに、力を持つ側の価値観と持たぬ側の価値観。

それらを都合の良い時、悪い時に合わせて使い分けるヤツが居るが

こいつらに共通して言えるのは既に自分の存在を棚に上げて

ありもしない、それこそ己の都合の良い理想像をでっちあげて

現代社会のたらればを論う。

残念だがこういうヤツには永遠に答えに辿り着かない。

何せ現実を過剰に悲観的に捉え、日常で享受している平穏に感謝せず

誰かの足を引っ張る事が日常業務と化しているのだ。

そんな事をしてる間に本当に困ってる人達に救いの手が往き渡らぬ・・・

人類よ。嘆かわしい揚げ足取りの世界に気を付けろ!


今の時代はSNSで一人の声が大きくなったにも関わらず

言ってる本人はと言えば匿名掲示板の頃より責任が大きくなっても

全く言葉を選んだりはしない。

そうでなくとも人は少なからず誰かを傷つけて生きている。

それに気付けぬ者がインターネットに永遠に残る言葉で

誰かを傷つけるなど言語道断だ。

言葉は誰かを呪うと同時に自分をも呪ってしまうのだ。


本当に困ってたら生きるのに必死で他人は所詮他人である。

いちいち誰かのせいにしている暇など無いのだ。


確かに水清ければ魚は棲まぬ。清濁があるから多様性のある社会構造・・・

そうやって人の営みと言うのは成り立ってきた。

みんな違って当たり前なのに気に喰わないと言うだけで

誰かを攻撃する・・・だから人の話を聞いてから建設的に話し合うのが

本来の理想であるが、現代社会でそれが出来てる人がどれぐらい居るだろうか?

何せ、自分が正しいと思い込んでる方が楽なのだ。

戦争で敵を殺すともなれば相手の言葉に感情移入しない為に

喋る前に死んでもらう。似た様な事が戦争の無い現代で蔓延しているのだな。


悪魔は人間の憎悪や怒りが大好物だ。だけどそれらは負の感情・・・

要するにその人間の中身はどんどんダメになっていくのだ。

怒れば攻撃すると言うのは動物の考え方だ。

確かに世の中腹が立つ事だらけだ。しかし、言葉や物理的な暴力を用いても

案外憂さは晴れないモンって答え。鏡に映るのは憎しみで顔が歪んだお前自身だぜ。

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