第16話

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 小説

『馬蹄橋の七灯篭』


 僕は一週間後、山上の楼閣『東夜楼蘭』で開かれるアズマエンタープライズ主演の演劇に出る為に、劇団の仲間数人と早くに此処にやって来て他の舞台芸術のスタッフ達と共に泊まり込みで開演準備をしていた。

 茹だる様な梅雨が過ぎ、にわかに世間では東京オリンピックの足音も聞こえ始めた頃ではある。僕はまぁ準備といっても自分の演じる役の練習や舞台美術の設営等であって、そんな色んな事をしている内に、いよいよ開演を明後日に控え、最終リハーサルがあるので他のまだこちらに来ていない残りの劇団仲間をこの古びたバス停――当地区ではこのバス停を古くから謂われている『馬蹄橋』といっている――の待合所の長椅子に腰かけながら待っていた。

 このバス停、実はちゃんと日差しや雨を避ける屋根もあり、意外に中は広く何処かひなびた鉄道駅の様な木造建てになっておいる。先程も数人の地元の御老人たちが談笑して過ごされていて、茶を喫するような場所もない関西の辺鄙な一場所としては茶一服の話柄を持ちだして近在の人々と語り尽くすにはいい場所なのではないかと僕は感じている。

 だからかもしれないが、今もまだ一人このバス停に老人が杖を片手に目深く鍔の在る帽子を被って座っているのが見えるが、恐らく誰か語るべき人を待っているのかもしれないと自分は思うし、またそうした期待をしている。

 日暮れまではまだたっぷり時間がある。見上げれば空は青い。遠くには犬鳴山の木々の緑が色時雨の様に網膜に降り注いでいる。そんなところに佇まいをきちんとして座る老人を見れば、山緑濃い夏の蝉が鳴く羽音の中で生きる人々への愛着が膨らみ、先程の期待を裏切らないでほしいという事に繋がるのは都会に生きる僕の勝手な妄想かもしれない。

 さてこの鄙びた場所にあるバス停の由来について先程居合わせた老婦人達に伺うと、ここは元々『動眼温泉』という温泉街であり今こそ鄙びているが、往時を偲べば結構な人が週末とは言わず平日でも押しかけ大層賑わっていたらしい。来客は泉佐野近くだけでなく、遠くは大阪市内の難波からも来ており、その為バスが何便も運行していて、その来客の為にあつらえたのがこのバス停、いやバス駅舎といってもいいぐらいの当時の有名建築家に依頼して創られた見事な建築物だったそうだ。

 感心するほか僕はない。何故ならもうその往時を偲ばせる姿はこの広い室内にある長椅子のベンチにしか見えないからだ。知っている人がこのベンチを見ればこの長椅子の手すりがアールデコ調の見事な堀作りと気付くだろう。

 そんな場所で僕は昼下がり、次のバスが来るの待ってる。

 バスは恐らくあの河下に伸びている稲荷神社向こうの緩やかな蛇行した上がりカーブを上がって来るだろう。そして僕の視界に見える山上の楼閣『東夜楼蘭』下を過ぎて橋を渡り、やがて僕の前で止まる。

 しかしながらここから見る景観は何というのだろう、印象派の画家が描くような風景ではないが、それでも一端の美に対する才能があるものを連れて描かせれば、ここは一枚に見事な絵になるに違いない。

 それは先程僕がバスを追う様に視線を動かした先に見える橋は爾来『馬蹄橋』と言われ、昔は馬が蹄鉄を鳴らして渡ったと言われている。橋は石を組み煉瓦を重ねてできており、さながら西洋の美しい田舎に在る様な立派な美的建築物で、またそれだけでなく馬蹄橋を囲む様に灯篭が七つ規則正しく並置されているのだ。それはみれば西洋と東洋とが交わるシルクロードの果ての小邦を思わせるだろう。

 事実、夜になり灯篭に灯が点くとそれは闇深い山野に於いて、何とも得ない幻想的な魔法邦のように僕には見えた。

 普段はこの灯篭は祭りの時期にしか灯が灯らないのだが、今回は『東夜楼蘭』での演劇開演に合わせて、その山楼の持ち主である東珠子(このかたは『アズマエンタープライズ』の会長でもあるのだが)の頼みで演劇を盛り上げる為、地元の協力を得て、ここ数日行われてる。地元も過去の動眼温泉の繁栄を懐かしみ、またその動眼温泉の上屋当主である東珠子の願いがあれば、その助力を惜しまなかった。

 それがテレビ報道されるや否や、夜に浮かび上がる幻想的な小邦の姿を写真に撮るために夕刻近くになるとカメラを抱えた人々が集まり、ここ数日は賑わいができた。かくいう僕もミーハー的な立場で盛り上がりを愉しんでいる一人ではあるのだが。

 ただ今は昼下がり。夜が始まるのは未だたっぷりと時間がある。バスを降りて来る劇団仲間もそれを愉しみにしている者もいる。但し、その前に厳しい最終打ち合わせをしなければならないのだが。

 僕は首を回して髪を掻く。丸まるになった僕の頭姿と細い体を見て人はマッチ棒という人もいる。見れば足元を伸びる影が色濃く、僕の身体的特徴を否が応でも見せつける。僕は影に言いたい。唯僕の髪が縮れ毛でただのアフロ状態になっているのだと。

 それを聞いた影がこちらを見てせせら嗤う。

 こちとら唯々お天道様にあんたの事実を僕は映し出しているんだよ、と。

(こん畜生め!!)

 思って影を強く踏もうとしたその時、

「…ちょっとあんた…」

 と、言って誰かが呼んだ。

 その声に驚いたのか影の嗤い声は吸い込まれるように消え、僕は踏みつける為に上げた足を下ろす場所を探さなければならなくなった。

 そう、声がした背後を振り返りながら。

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