第9話
◆
「あなたって、わたしと同じ匂いがするんだよね」
3度目に会ったのは、1度目と2度目と同じ事故物件サークルの集まりでのこと。
前回あいさつ程度に話した時に、どこか人と違う雰囲気を持っていた。なんというか、常に視えないものを見ているような、掴みどころのない感じ。
最初はただ単純にそんなところが神秘的に思えた。趣味が趣味だけに誤解されるけれど、わたしはそれだけが好きなのではない。
「匂い? どんな?」
龍太郎が聞き返してきた時の顔は一生忘れられないだろう。
目を見開き、水晶のように透明感のある瞳でわたしを見つめ、有無を言わせないような高圧的な口調で訊いてきた。
それがたまらなかった。こっちのわたしは、プライドが高く、自己中心的な性格。暴力的なまでのサディスティックさを持っているのが特徴だった。
だからこそ、下手なことを口走ったら相手を殺してしまいかねない、龍太郎の常軌を逸した顔にやられたのだ。
「わたしと同じ、『死体の匂い』よ」
「死体? それはつまり……死臭ということかな」
「そうね。でもわたしは『死体愛好家』だから死臭だけってわけじゃないけど」
「死体愛好家? そういうのもあるんですか」
意外にも龍太郎はその言葉を知らなかった。
「ネクロマンティックを知らないの?」
『死体愛好家』とはその名の通り、死体をこよなく愛する性的嗜好を持った人間のこと。生きている人間に恋愛感情や性欲を感じず、死体にこそそれを見出す。圧倒的にマイノリティな性癖。当然、日本は火葬文化だから死体が手に入ることなんてないけれど、わたしは『死体愛好家』(ルビ/ネクロフィリア)として夜を生きた。
このサークルもその欲求の捌け口として参加したのだ。
「なるほど。色々な趣味の人がいるんですね。興味深い話です」
そう言いながら龍太郎はやっぱりわたしだけに焦点を合わせることなく、あちこち目を泳がせながら喋った。
「どう? わたしの指摘は当たってるんじゃない? あなたは死に憧れてるんでしょう?」
「憧れる? 考えたこともないですね。でも、改めて言われてみるとどうなのでしょうか。憧れと置き換えるには陳腐な気はしますが、案外そこに答えがあるのかもしれません」
「そうでしょ? あなたはわたしと同類よ。間違いない」
「そうですか。では、そうだということで」
わたしは龍太郎と初めて乾杯を交わした。
それが龍太郎とわたしの、本当の意味での出会いだった。
「この国じゃ死体を愛でようにもそう簡単にはいかないじゃない? だからわたしは息苦しさを感じているのよ」
「この国でなくとも無理だろ。どこの世界に死体と戯れることを個人の嗜好として認める国があるんだ」
4度目に会った時はすでにセックスが前提だった。
その証拠に、わたしも龍太郎も食事を済ませていたし、無駄話をするつもりもなく、ごく自然にホテルに行った。
その流れの中で龍太郎がわたしに対し敬語をやめ、普通に話すようになるのもまた、自然なことだった。
「個人の嗜好を尊重しろ、なんて言わない。でも窮屈よ。麻薬だって隠れてやるものでしょう。わたしは薬はやらないけど、隠れて死体と遊びたい」
「日本は火葬の国だ。死ねばすぐに焼かれて骨だけになる」
「風情がないって思わない? 大体、日本人は死体を焼くくせにゾンビが好きだし、なんだか無茶苦茶」
ベッドから出たわたしは終わったばかりでまだ湿り気のある自分を見せ、楽しく生きたいと龍太郎に言った。
わたしとは対照的に龍太郎はベッドに入ったままこちらをちらりと見ただけで、クスリとも笑わない。開けっ広げな態度が気に入らなかったのかと少しだけ焦った。
やはり慣れないことはするべきじゃなかったか。
わかっている。けれど、今のわたしは、わたしであってわたしではないのだ。普段の自分がしないことこそ、率先しなければならない。
「死体相手じゃなくてもちゃんと濡れるんだな」
「死体相手だともっとすごいのよ」
「したこともないくせに、よく言う」
「想像なら毎日」
「結構」
龍太郎の言葉はいつも短く、簡単だ。人と話すのは好きじゃないと言っていたし、わたし自身もそうだった。
学生の頃から目立つタイプではなかった。常に他の人間の後手に回り、無難になんでもやり過ごす。初体験の相手はいとこで2つ上のニキビが多い男。高校2年の時だ。周りの友達が続々と初体験を済まし、焦っていた時、たまたま近くにいた男だ。「好き」という感情とは程遠い。服を買うのだっていつも誰かと一緒。ひとりで店に行くことなんて一度だってなかった。学校帰りに寄る店。週末に集まる場所。就職。恋愛。
どれをとってもなにも特別なこともなく、こだわりもなかった。誰かに合わせることだけが得意と言えば得意な、面白味のない女。
わたしはこんな「わたし」が嫌いだ。こんなのはわたしの求める「わたし」ではない。本当のわたしはもっと派手に日々を謳歌していて、好きなことを好きな時に好きなように言える。
最高に突飛で、誰にも持っていない趣味を持っている。こだわりは強く、変わり者。
それがわたしが憧れていた「わたし」。誰かに合わせることが得意ならば、憧れの、理想の中での自分に合わせればいい。それが今の「わたし」なのだ。
だから、そんな「わたし」がとびっきりの変人である龍太郎に惹かれるのは至極当然の摂理なのだった。
「死体のどこに惹かれたんだ」
「えっ……」
「僕はね、今糖尿病の人間がどうにか手に入らないかって思っている」
「待って、糖尿病ってなに」
「わからない振りをしなくていい。糖尿病を患っている人間が死ぬと、外に漏れた体液が凝固しない。時間が経っても垂れ流し放題だから死体がすぐにぐずぐずのドロドロになるんだ」
「体液が凝固しないって、なに言ってんのよ」
「ああ。そうか、もしかして君は『綺麗な死体』派か? 考えてみればそうか。セックスを目的とするなら腐敗した者は適さない。そうなると『死んですぐの死体』ということになるな。もしくはそう……早めに内臓を抜いておけば、通常より少しは持ちそうだ」
龍太郎は死体の話になると生き生きと語り始めた。その様子を見てわたしは彼が、「自分よりも本格的なスキモノなのだとわかった。
程度の違いはあれど、わたしと変わらない。この男も普段の自分を変えたいのだ。
「いつかプレゼントするよ。君に死体を」
「なあに? まるで今までに人間を殺したことがあるみたい」
「あるよ。そうしなきゃ日常生活で死体と出会うことなんてない」
あまりに極端な龍太郎の虚言に噴き出してしまった。龍太郎はそれが気に障ったのか、眉間に皺を寄せこちらを睨んだ。
「ごめん。嬉しくてつい……」
「嬉しい? なんで嬉しいんだ。嬉しいと噴き出すのか」
「ううん。気分を悪くしたのなら本当にごめん。だって、ここまで死体の話を真剣にしたことなんてなかったから」
「なぜ? 君は死体と触れる可能性を0.1%でも手に入れたくてサークルに参加しているんじゃないのか」
「そうよ。そうだけど、あなたほどの真剣に話をしてくれた人は今まで誰ひとりとしていなかった。だから嬉しいの」
「わからないでもないが……その態度は気に障った」
三度、わたしが謝意を告げると不機嫌さを表情に残したまま龍太郎は許してくれた。思った以上に気が難しい男のようだ。
「それで、モニカはどんな死体が好きなんだ」
改めて龍太郎に問われ、言葉に詰まった。
「まさか、嘘だった?」
「嘘? どれが? 当ててみてよ」
もう一度ベッドに戻り、お互いの鼻がぶつかるほどに顔を近づける。「わたし」は戸惑ったり、狼狽えたりはしない。いつだって相手を翻弄し、ペースは掴ませない。なぜならわたしはモニカ。
「どれが嘘かって? ごめん、興味がない」
「興味がない女と寝るの?」
「そういうものじゃないかな。男は」
「意外。あなたからそんな月並みな言葉を聞くなんて」
「一度寝たら全部わかる? 便利な特殊能力だね」
「馬鹿ね。一度寝たら1わかるのよ。数をこなせばもっとわかる」
唇を重ねる。舌で龍太郎の唇を割って入ると、龍太郎はすんなりと受け入れた。……というより、されるがままといった印象だった。
龍太郎のセックスは、事務的というか機械的で、これまで寝た男たちのどれとも違った。がっつくこともなければ、すべてを委ねているわけでもない。
どこかで教わった順序で、セオリー通りの前戯、冒険のない体位、そつのない持久力。
退屈なセックスだ。とても愛など感じないし、不思議なことに性欲のようなものも感じない。セックスにそんなことがあり得るのかとも思ったけれど、わたしにとってはこれ以上、最高のセックスはなかった。
わたしは「死体愛好家」なのだ。龍太郎という人間の、龍太郎らしい機械的なセックスはまるで動く死体と情事しているような錯覚を楽しめるからだ。まるで「本物のモニカ」になった気分だった。
なにもないわたしが出会った一本の映画。『ネクロマンティック』。衝撃的な出会いだった。
初めて観た時、トイレから出られなかったくらいだ。趣味の悪い悪友が、わたしの反応を見てずっと笑っていた。
友人の思惑通り、彼女の望んだ通りのリアクションを見て、その日は満足して帰っていった。
ただひとつ。
彼女の誤算は、わたしがその後自主的に『ネクロマンティック』や続編の『2』をレンタルビデオ店でレンタルしていたことだろう。
2度目に観た時も吐いた。『2』の初見でも同様だ。
何度観ても気分が良くなることはなかったが、繰り返し観るうち、さすがに慣れてきた。
わたしはこの映画に惹かれたのではない。
死体を愛する変人を演じてみたかっただけだ。
そうすれば退屈な毎日が変わるかもしれないと思った。
正直、ここまでの釣果は期待していなかった。それだけに龍太郎とのセックスはどっぷりとハマるきっかけにもなったのだ。
「もう一回、したいな」
糸を引き、小さな玉となった唾液が胸にぽつりと落ちた。
龍太郎は無言のままうなずきもしない。
それが龍太郎なりの受け入れの合図だと理解し、わたしはシーツにもぐりこんだ。
触れると電源を入れたように固くなるそれは、人間の味がする。どの男とも大差のないものだ。だけど、シーツから顔を出して龍太郎を見ればやっぱり死体のように表情に変化がない。
ぞくぞくした。本当に、龍太郎は生きているのだろうか。本当に、この世に存在している生きた人間なのか。それを確かめるのと、否定するのと、同じなのにまったく異なった理由を求めた。龍太郎は、表情も変えずに絶頂をわたしに伝える。自己申告に同調し、わたしも絶頂に達した。わたしは、死体を手に入れたのだ。
「君とはいっぱい、死臭の話がしたいな」
「そうだね……いっぱい、いっぱい、あなたとしたい」
私はモニカ。龍太郎はロベルト。
◇
ガラスに映った自分の顔に背筋が凍る。恥ずかしすぎる表情だ。
龍太郎は思った通り、最高だった。第一印象から気になっていただけに、自分の勘が当たっていたことが二重に嬉しくなる。
出社し、タイムカードを打刻してデスクにつく。パソコンを起動する。スタート画面が表れるのを待ちながら目を落とすと、キーボードに添えた自分の手があった。
……この手で昨日――。
考えるだけで叫びだしそうになる。まさか自分があんなに大胆になれるなんて。昼と夜と別の設定だ、と自分に言い聞かせているのに感情がそれについていかない。
こんなことは初めての経験だった。
それだけわたしにとって、龍太郎という人間が特別なのだ。それだけは核心としてあった。
次に会えるのはいつになるだろうか。
サークルの月例会は今からまるまるひと月もある。それまで会えないなんて嘘みたいだ。
なぜわたしの連絡先を聞いてくれなかったのか。せめてLINEのIDくらいは聞くべきだった。
わたしはどうすれば次の月例会までに……いや、来週までに。ううん、明日。できれば、今日の夜――。
龍太郎と会うことばかりを考えていた。
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