どうしてそう思ったのかな
石井 至
第1話 立候補
「立候補の届け、出しておいたから」
あまりに普通の出来事のように美希が言ったので、和志は一度聞き流してしまった。
稽古用の竹刀のささくれをカッターで削り落とす。少し研いで慣らした。
和志のクラスは今日は担任が休みだった。副担のホームルームは瞬殺で、早い解散からそのまま部室で着替え、道場に来てみたものの他のクラスはまだ終業しておらず、道場には和志と、同じクラスの美希だけが来て稽古の準備をしている。
「で」
和志は言った。
「立候補の…なんだって?」
「届け出」
美希が答える。
「何の?」
「生徒会長」
「誰が」
「和志」
そこまで聞いても意味が分からず、和志は首をかしげた。
「ん?」
「生徒会長、やるでしょ?」
「やらないよ」
「なんで」
「やりたくない」
「なんで」
たまに発生する美希との会話の平行線ループ。和志はため息をついた。
「やりたかったら1年から生徒会入って活動してるでしょ。興味あるんだったら美希がやればいい」
「嫌に決まってるじゃん」
「自分が嫌なものをどうして俺に押し付ける」
「押し付けてないよ。やりたいかなって思って。親切心」
絶対親切心とかじゃないだろ。
「今の副会長に喧嘩売ってると思われる」
これまで生徒会の会長は、前副会長が立候補することが慣例となっている。
「年下だし、怖くないよ」
「怖いとか怖くないとかの問題じゃない。相手の面子の問題だ。半年間頑張っている人に対する敬意が無い。そういう礼儀のないことをするのは俺の一番苦手なことだし」
和志の心は暗雲でいっぱいになった。
「はやく取り下げてきて」
「やだ」
「はやく」
「いや」
美希は思いつきでしか動かない。そして人の言うことは聞かない。和志は何もかも諦めて立ち上がった。
「自分で取り下げてくる」
「なんでよ」
「やりたくないから」
竹刀の手入れ道具を鞄に仕舞って立ち上がる。
「え?その格好で?」
「何か問題でも?」
剣道着に防具を着けた状態。着替えるのはとても面倒なので、和志はそのまま道場を出た。
裸足に靴を履くのはいつも気持ちが悪い。袴は階段などで床に擦りそうになるので時々持ち上げる。和志は美希が勝手に出した生徒会長の立候補届けを取り下げに生徒会室に向かった。
どうしてそういう勝手なことをしてくれたんだろうと考えた。小さいころから、美希の行動には理由が分かりやすいものと、全く分からないものがある。そういう生き物だと思うしかない。理解しようとしてはいけない。
それにしても。
普段あまり入ること、近づくことのない場所で戸惑いつつ、生徒会室のドアをノックする。
「どうぞ」
声がした。
「失礼します」
ドアを開き、一礼して入る。顧問も会長もおらず、部屋には噂の副会長、武田しかいなかった。和志は一瞬怯んだが、却って都合がいいかも知れない、と思い直して中へ進んだ。
「すみません、友だちが勝手に立候補の届を出したと言っているので確かめに来ました」
ずばりそう言うと、一年生の副会長は驚いた顔をした。それから、
「ああ、そういうことか」
と、呟いた。
武田のその様子を見て和志も、どうやら美希が届を出したのは本当らしいと知る。ため息が出た。
「ええ。出ているんだったら取り下げたい」
軽く頭を下げると、武田は少し困ったような表情になった。
「ええっと…取り下げはここじゃ無くて選管です」
「センカン」
「届け出も取り下げも、選挙管理委員会というところの扱いで。役員選挙の時期だし、今だったら体育館控室に誰かいるんじゃないかな」
何やら手続きが必要のようだ。和志は本当に生徒会というものに全く興味が無く、知識ゼロの状態だった。
「ありがとう。行ってみる」
「一緒に行きましょうか」
「いや、大丈夫」
一礼して、生徒会室を出る。しかし何故だか武田は和志を追って付いてきた。
「剣道着で校内を歩いている人、初めて見ました」
「普段は道場と部室の間くらいしか歩かないから」
「立候補届出されたって聞いて、そのまま来た感じですか」
「まあね」
生徒会の空気を乱しただろうね、と和志は思ったが口には出さなかった。どのみち今日以降は、生徒会室の荒れていた空に凪が訪れるのだ。君が次の会長をやればいい。順当に。
「剣道はいつから?」
「中学から」
「部長…ですよね」
「うん」
夏に三年生が引退し和志が部長になったところだ。
「よく知っているな」
和志がそう言うと、武田は突然機械の様に喋り始めた。
「坂本和志さん。二年八組。1学期末のテスト順位は理系クラス学年三位。得意科目物理」
和志は驚いて武田を見上げた。生徒会長選挙のライバルになると思って調べたのだろうか。
「身長百七十六センチ、体重五十八キロ、剣道二段」
しかしちょっと情報多過ぎで気味が悪い。
「それは、どういう」
和志が尋ねると、武田はゆっくり和志を見ながら、しれっと言った。表情は無い。
「情報を調べるのと覚えるのが趣味で」
「あのさ」
答えになっていないなと和志は思ったが、追及するのが面倒でやめた。
「…付いて来なくてもちゃんと辞退届は出すから」
「いや、見張ってるわけじゃない」
「じゃあどうして付いてくる」
和志は追い払おうと質問したつもりだったが、武田は真剣に考え始めた。
「…道着姿が珍しいから…かな」
武田は、自分でも付いてきた理由を説明できない様子だったが、態度は真剣そのものだった。そして和志にとっては、武田が真剣であればあるほど気持ちが悪いのだった。
「道着姿が見たいんだったら道場に行けばいい。道着の人間がゴロゴロいる」
「いや、関係ない人間が入るには、剣道場は敷居が高いから」
まあ、そうかも知れないけど。だからといって今じろじろ見ながらついて来られてもな、と和志は首を横に振った。
「とにかく付いて来なくていい」
「どうして」
「付き添いがないと何もできない人みたいで恥ずかしい」
「プライド?」
嫌な言葉だ。ここでそんな言葉が出てくるなんてガキみたいな男だな、と多少イライラしながら和志は立ち止まった。背の高い武田をぐっと見上げた。
「そう。プライド。分かったらさっさと生徒会室に戻んなさい」
子ども扱いをして、そう言ってみた。
言われた武田はじっと和志を見下ろした。嫌味は通じたのだろうか。武田は何か考えている様子だったが無表情のままだった。
「…分かりました。戻ります」
一人になって歩き始めた和志の背中に、武田の声が聞こえてきた。
「あの…、今度道場に行きます」
いや、来るなよ。
和志はそう思ったが、口には出さなかった。
そして振り返ることもしなかった。
それが和志と武田の出会いだった。
そう、和志は思っていた。
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