第13話 監禁

「お前は自分が普通の人間とは違う力を持っていると識った上で、学友たちをあんな目に遭わせたわけだ。全治4ヶ月以上の大けがが32人……俺がこの学園に赴任して以来、ここまで派手な暴力沙汰をやってのけたのはお前が初めてだぞ、さぞ気分がよかっただろうなァ!?」


 風紀教諭、櫪薩夫くぬぎ・さつおの皮肉めいた非難の言葉に、辰馬は一言も返さない。あれだけのことをやって、なにか弁明を口に出来るほど辰馬は厚顔こうがんではなかった。


 本来ならむしろ辰馬の精神状態のケアが必要なのだが、それを担えるはずのお姉ちゃん、牢城雫は「牢城先生は新羅を庇うばかりで公正でない」とこの場から遠ざけられてしまい、独房のような風紀指導室には櫪と、あと学生会長・北嶺院文ほくれいいん・あやを寝取られたと思って辰馬に憎悪を向ける林崎夕姫しかいない。


 櫪はやおらゆっくりと、それはもう大儀そうに大物ぶって立ち上がると、椅子にうなだれる辰馬に近づき。


 ドゴフッ!


 暴力慣れした、コンパクトにも見事な身体運用から、打ち下ろしのショートフックで辰馬の側頭部を打ち据える。


「……ッ!」


 櫪がそれなりに腕の立つ男ではあるとして、辰馬ならどんな体勢、どんな状況でも衝撃を逃すことは出来たはず。だが今回、自責と自戒に囚われて自縄自縛じじょうじばく状態の辰馬は、あえて衝撃回避を行わない。まともに受ければ辰馬は体格的に脆弱であり、一撃だけで全身にダメージが染み入る。それも罰だと辰馬は受け入れた。


 あんだけのこと、やったからな……なにされてもしかたねーわ……。


 過ちに対する自嘲で、辰馬はかなり自分への信頼感というものを失ってしまっていた。普段の自信満々からは想像がつかないかもしれないが、新羅辰馬という少年はとんでもなくナイーブであって、ひとのささやかな悪意にも吐き気を催すような人間である。なんといえばいいのか、純粋すぎ、善人過ぎて、世の中を渡るに恐ろしく不向き。


 それがこれまでどうにかこうにか、気丈な自分のペルソナをかぶって振る舞ってきたものの。どんな理由があれ、自分という絶対的強さをもつ人間がろくな力もない学友たちを半殺し……もしかしたら数人はそのまま死ぬかも知れないし、命は助かっても後遺症が残らないもものはいないだろう。そう考えると本当に、自分のやったことの悪辣に吐き気がした。


「彼は常に暴力で物事を解決する癖があり、これまでにも表沙汰にはなっていませんが多くの暴力行為を行っていますね」


 冷静ぶってはいるが明らかに悪意的にそういうのは、優姫。大好きで大好きで、全身全霊を捧げていた文を盗られたという恨みをここで一気に雪ぐつもりらしい。思う存分やってくれ、辰馬はそう思った。抵抗の意思は最初からない。抵抗を許されるような自分だとも思わない。なんなら殺してくれてもいいんだ、とさえ、新羅辰馬は思い詰める。


 その辰馬のさらさらの銀髪を、櫪がわしづかみにして上向かせる。


「フン、いっちょ前にしおらしい顔をしおって。そうしていればこちらが慈悲心を起こすとでも思うのか? おまえがやったことは紛れもない犯罪だからな!」


 憎々しげに、つばを飛ばして怒鳴り散らす櫪。その顔立ちはいかにも一昔前の下衆な体育教師そのもので、広い下駄のような顔に極太の鼻梁と上向いた鼻穴、目は細く糸目であり、黒目部分は極端に小さく、唇は分厚くめくれ上がり、不潔の故か顔中にいぼがある上、30代そこそこにして髪の毛は大きく後退している。体格も太っちょであり、人間と言うより西方の鬼族・オークを思わせた。当然のようにこの容姿でモテるはずもなく、自分から特段、なにもしないのにモテる……実際には相手の心をその都度救うことで愛情を獲得しているわけだが……辰馬のことを蛇蝎だかつのごとく嫌っていた櫪にとって、今の心弱り無抵抗な辰馬をいびるチャンスはまさに天与の好機、千載一遇だった。


 櫪は辰馬の髪をわしづかみにしたまま、ぐいと引っ張って立たせる。


「学友のみんながどれだけの痛みを受けたか、お前にもわからせんとなァ!」


 ニタリとサディスティックに笑い、ごつい拳をぐっと握りこんで誇示してみせる櫪。


「あー……どーぞ……」


 いっさいなんの覇気も感じられない声で、辰馬はなんとかそれだけ言った。別にどーなってもいーや、おれが罪人なのは、間違いねーし……。そう思う辰馬の思考の卑屈なこと。いつもの自信満々は何処に行ったといいたくなるが、それだけ「人間をほしいままに傷つける」ということが辰馬にとっての禁忌であった。


「ここで、いいんだよな? 間違ってたら困るぞ?」

「いーからこの扉、一気にブチ抜けって! 辰馬サンのピンチだろーが! お前の馬鹿力はこんくらいの時にしか役にたたねーんだから、派手にやったれ!」

「というか、事情を聞けば悪いのは瑞穗どのを襲おうとした馬鹿者で、主様ぬしさまは瑞穗どのを護ろうとしただけなのでゴザルが……」

「そんじゃ……往くか。せぇーのぉ……ブチ抜け、虎食みぃっ!」


 どぐぼぉあぁっ!


 厳重に鍵を掛けられた、しかもそもそもが鋼化神鉄製の鉄扉。それが外部からの一撃で面白いほど簡単にブチ抜かれた。


「な、な……なあぁぁぁ……?」


 愕然と、陸に上がった魚状態でぱくぱくと口を開閉する櫪。そしてブチ抜かれた扉の先に、暴力事件の経歴にかけては新羅辰馬以上……あくまで1年前期のころの話であり、辰馬との邂逅によって彼は救われむやみな暴力を振るわなくなったのだが……の朝比奈大輔が、怒りに燃える瞳で自分を睨み付けるのを見て思わず失禁し、ついでに脱糞しかけた。


「櫪よぉ……無抵抗の新羅さんいたぶって、そりゃー楽しかっただろーなァ?」


 声が、低い。普段三バカの中では一番常識人で、普通キャラの立ち位置にある大輔だが、今日は蒼月館入学当初の、触れるもの全て全方位的に喧嘩を売っていた朝比奈にもどっていた。


「ひ……は……ひひぃ……!?」

「新羅さんがホントに悪いかどーか、確かめもしねーでなにリンチしてやがんだテメェはよぉ!」


 凄まじい怒りの発露だった。これほどに辰馬のために怒るほど、朝比奈大輔にとっての新羅辰馬という少年は大きい。


 もともとが大輔はシンタのように一応帰属の子息だったり、出水のようにそこそこの神社の息子だったりではなく、完全な一般家庭……正直に言えば一般よりかなり低いレベルの家の生まれである。


 親父は毎度、酒を飲んでおふくろを殴り、それを止めようとする大輔も殴られた。だから母を護り自分の命も保全するために大輔としては早くから強くなる必要性があり、5才で英真流空手に入門。素質があったと言うよりやたらにひたむきだったからだろう、伸びは早かった。7才で黒帯を獲るという快挙であり、8才で自然石割りを達成というバケモノぶり。さらに手業だけなら拳闘が最強、ということで空手に拳闘をもちこむべくそちらのジムにも通う。


 そうして大輔はぐんぐんと強くなり、一度親父と大げんかして大輔が親父を半殺しにするとそれ以降、親父はやたら大輔に対して卑屈になり、へーへー言うようになった。それで「大人なんてこんなもんんか……」と思うようになった大輔は、よくありがちなことなのだが世間への失望から無差別な暴力を振るうようになる。


 こうなると大輔を止められる人間は道場の師範くらいしかいないわけだが、大輔としては師範の言葉も耳に入らない。どうせこいつも俺にやられたら這いつくばってへーへー言うんだろと、そんな風にしか思えなかったので。


 蒼月館に入れたのは拳闘部の特待生としてである。学力から言うと間違いなく無理だった。しかしここでも大輔は全方位に喧嘩を売りまくり、正選手の上級生をあっさり殴り倒して病院送り、「こんなクズが正選手やってるようなトコでやってられるかよ!」と拳闘部を飛び出し、その後手当たり次第気にくわない相手を半殺しにして回った。彼の力は当然に「霊力」であり使う魔術は「人理魔術/簡易魔術」に過ぎないわけだが、はっきりいって大輔の速力にかかれば相手が詠唱している間に10発は殴れたから、相手が強力な魔術師だろうとまったく問題なかった。教師にだろうが牙を剥き、相手によっては女すら殴った。


 その、自分でも自分を制御できない大輔を止めてくれた恩人が新羅辰馬である。


「なにやってんのお前?」

「あ!? 消えろよ、殺すぞ!」

「そんな虚勢張って、辛いなら休め……っつーてもお前みてーなのは休めないか。まあ、そんじゃおれが休ませてやるよ」


 と、いうことで両者は拳を交え……驚くべき事にこのとき、辰馬はいっさい魔術を使わずに肉体の力だけで大輔と渡りあった。そのせいで辰馬のほうもかなりのダメージを負うことになったのだが、大輔はそれ以上にとことんまでボコボコにされ、大の字に倒れることでようやく胸の中で燻っていた黒い炎のようなものが霧散するのを感じた。それ以来、大輔は新羅辰馬という少年に心からの忠誠を誓う。


「新羅さんって毎日どんくらい筋トレします?」

「んー……まあとりあえず1万ずつくらい?」

「へ? そんだけですか?」

「いや、無駄に筋肉つけすぎても撥条やらなんやら硬くなるしな。そんくらいだ」


 基本腕立て拳立て指立て10万回、腹筋10万回、片足スクワットそれぞれ10万回がノルマの大輔からすると考えられない少なさだったが、実際その相手にギッタンギッタンにされた事実があるのだからどーしようもない。ともかく、このあと大輔は辰馬に連れられて自分が傷つけた相手全員に謝罪して周り、以降ひとがおどろくほど温和な男になった……のだが。


 今日ばかりは、その温和の仮面を外すときらしい。


「そのひとがお前なんかよりどんだけ立派な人か、わかってんのか櫪ィア!」

「ひ……く、くそがぁ!」


 大輔との間合いはまだかなりある。櫪は懐からバリソンを抜くと、辰馬の首元に突きつけた。およそ教育者のやっていい行動ではないが、もともとこの男は教育者の柄でない。


「へ……こいつが、なんだって? 所詮犯罪者の、魔族混じりのクズだろーがあァ!」

「出水」

「承知つかまつった! 八卦はちがけ坤兌こんだ地澤臨ちたくりん! 光澤の裾野、深き沼! 狩人を欺き、猟犬を陥とす! 誓願せいがん、飲み込むは大沼、我が意のままに絡め取れ!」


 出水が祝詞を唱えると、櫪の身体が突然沸いた泥濘に絡め取られる。握っていられず、ナイフを落とした。


「っし! 吹っ飛べ、虎食み!」


 拳の擦過で火花が散るほどの拳速。1級冒険者・明染焔から直伝されたこの技は「霊的資質に寄らず」肉体の錬磨によって起こす力。日々の習練、その量がそのままに威力となる!


 狭い風紀指導室を烈風が逆巻いた。そして烈気の大虎は、見事に辰馬を避けてその隣に立つ櫪だけを噛み倒した。ぐちゃり、血反吐を吐いて派手にぶっ倒れる櫪に、慈悲をかけてやる三人ではない。


「で。こっちはどーする?」


 シンタが、全力の虎食みに腰を抜かしている優姫を指さして言った。


「そんなもん、ほっとくでゴザルよ。拙者たちは牢城先生の願い通り、主様を回収するのみでゴザル」


「雫ちゃん先生、まあ教師だから立場もあるんだろーけど。あのひと辰馬サンのためならそんな立場捨てる人だと思ってたわ。ちょっと幻滅」


「そう言うな。新羅さんの居場所のためにもあのひとが騒ぎを起こせないだろうが」

「いや、わかってっけど……辰馬サン? だいじょーぶですか?」

「あー……なんで来たよ……?」

「なんでって、助けに来たんですが。雫ちゃん先生とか、瑞穗ねーさんとか、エーリカも待ってますし」

「いーわ……おれはいい……なんならそのナイフで自殺すんのもいーかもな……」

「あの、辰馬サン? ……くだんねーこと言うなよ、このばかたれが」

「……?」

「あんたが死んだら困る人がめっちゃたくさんいるでしょーが! その全員に責任取るまで、簡単に死ぬとかゆーな、ばかたれ! わかったか!」

「ひとの口癖……連続で二回も言うかね……あー、まあ、責任は取らんとだよなぁ……」

「そーっスよ。だいたい、瑞穗ねーさんに手ェだそうとした連中が悪いんです、辰馬サンは気に病みすぎ」

「はいはい。わかった……。んじゃ、元気に学園側と談判するか!」


 仲間たちの助けを得て、ようやく新羅辰馬は立ち直る。顔色はまだわずかに悪く、いざというときの自分への信頼感もやや揺らいでいるが、それでもどうにか、自責の悪いループからは抜けた。

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