74、許してくれ
ひらり、と優雅な動きでイリルは飛び降りた。
「イリル?」
「イリル様?」
私もミュリエルも驚いた声を上げる。気のせいか、守り石は父の頭上でさらに輝きを増した。
「イリル、どうしてここが?」
「ウタツグミが飛び出したのを見たんだ」
あ、とミュリエルが呟いた。同じことを私も思う。さっきの籠から逃げ出したウタツグミだ。
「……クリスティナ、これを」
イリルがそっと王笏を差し出した。受け取ると、先端の石がきらめいた。
「詳しい話はまた後で」
私とミュリエルを背中で守る位置に移動したイリルは、窓際に陣取る父と対峙し、何も聞かずに剣を抜いた。父が慌てた声を出す。
「お、お待ちください。イリル殿下。何か誤解されているのでは?」
「火をつけたのは貴殿だと聞いている」
「た、確かに火をつけたのは私だ。だけど聞いてくれ! そうしろと言ったのはクリスティナだ! 恐ろしい娘ですよ!!」
「お父様、何をおっしゃるの?!」
あまりに荒唐無稽な言い分に反論しようとしたが、イリルに片手で制される。父は饒舌に懇願した。
「一度だけ。一度だけ、殿下、振り返ってください。クリスティナがどんなに恐ろしい顔をしているか。いつも殿下の見ていないところでだけ、本性を出すのです。あれは。父親として恥ずかしい」
イリルが呆れたようなため息をついた。
「オフラハーティ卿、以前も申し上げたが——」
さっと、イリルは父の喉元に剣を掲げる。
「私の中で子供に害をなす者をそうは呼ばないのです」
父は醜悪な顔で呟いた。
「……下手に出てたら調子に乗りやがって若造が」
イリルは堂々と言い返す。
「あなたこそ父親の自覚を持て」
「なにを!」
父は再びヤギのようなツノを生やした。目だけが赤く、あとは黒く。黒い霧が再び噴き出した。
——ぶわっ!!
「きゃあ!!」
「ミュリエル! 気をつけて!!」
イリルはもう一度剣を振り上げて、今度は奴の心臓を狙う。
「イリル、私も!」
私は王笏を振りかざして、そいつに当てようとした。しかし奴は高笑いする。
「誰が戦うと言った?」
奴は窓から体を乗り出した。
「逃げるつもり?!」
「代わりなんていくらでも作れる。お前たちは永遠に私を追いかけろ」
「そうはさせない!」
イリルは剣をそいつに突き立てようとした。だが向こうの動きの方がわずかに早く、あいつは高笑いのまま窓から落ちたーーはずだった。
「なんだ?」
窓から体を出した不安定な体勢で、奴は動きを止めた。まるで何かに掴まったみたいに。
「誰だ! 私の邪魔をするのは!」
「諦めろ!」
この機を逃さず、イリルは奴の心臓を突き刺した。ずさっ、とした音が響く。
「ぐっ……やめろ……」
私も王笏を精一杯掲げた。先端の石が守り石と共鳴するようにきらめく。その光に当たると、奴はさらに苦しそうにもがいた。
「やめろ、やめろ、やめろーー!!」
断末魔の叫び声と共に、黒い霧が消えていく。ど、同時に父の姿に戻った。
「落ちる! 助けてくれ!」
父の叫びに私は反射的に手を伸ばしかけたが、
……だめよ。
女の人の声に止められた。
——今の声は?
思わずミュリエルを見ると、ミュリエルは真っ青な顔をして父を見つめて呟いた。
「お母様……」
「え?」
見ると、父は不自然な体勢で空中に浮いていた。駄々をこねる子供のように暴れているが動けない。
さっきとは別の声が、頭の中に直接に響く。
……待ってましたわ、オーウィン様。
「お前は」
ぼんやりと影が濃くなるように、ミュリエルによく似た金髪の美しい女性が父に絡みついている姿が浮かんだ。
……これからはずっと一緒ですわ。
「嫌だ! やめてくれ!」
私たちが呆然としている間、父は空中に高々と浮いて、それからーー
「ゆ、許してくれ……」
それを最後の言葉にして落下した。
窓の外を確かめたイリルが首を振る。
「とにかく逃げよう」
「……そうね。ミュリエル、急ぎましょう」
「はい」
イリルは器用にもう一度天井に上り、そこからロープを垂らした。それをつたい、私たちは無事に屋根から脱出した。
屋敷は燃え落ち、父は助からなかった。
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