53、本当に悪趣味

「陛下の体調が悪い?」


やっと視察から戻ったイリルは、真っ先に父であるオトゥール一世へ報告に行こうとして、兄であり王太子であるレイナンに止められた。

 

「ああ。だから報告はまた後日だ。紙にまとめてくれ」

「どこがお悪いんだ?」


胸騒ぎがして聞くと、レイナンは明るい声で答えた。


「大したことはない。微熱と少し咳が出るだけだ。ただ、医者が念の為に数日は寝ていた方がいいと言っている。お前の顔を見ると動き出そうとするからな。報告書はちゃんと渡しておく」


しかしレイナンは、帰ってきたイリルを待ち構えていたのだ。言葉通りの容体ではないのではないか。イリルは声を落とした。


「……本当に大丈夫なのか?」


レイナンは快活に笑った。


「こういうときでないと休まない人だからな。母上もそばにいる。大丈夫だ」


数々の国境の村を回って祭祀の手伝いをしてきたイリルには、このタイミングの王の体調不良が偶然だと思えなかった。最初は王にと思ったが、そんなことを言っている場合ではないのかもしれない。イリルはレイナンに一部始終を打ち明けようとした。


「レイナン、聞いてもらいたいことがあるのだが——」


だが、レイナンは笑った顔のまま、イリルの肩をグッと掴んだ。思いのほか込められた力に顔を上げると、笑顔のまま告げられた。


「相変わらずせっかちな男だ。まずはゆっくり休め。そうだ、庭園など散歩したらどうだ? 緑が美しい季節だ」


庭園。緑が美しい。


「……わかった」


イリルは頷いた。そして、やれやれと疲れを滲ませて言った。


「さすがにくたくただ。先に風呂に入っていいか」

「ああ。もう用意はさせてある」


レイナンは満足したように頷いた。


          ‡


数刻後。

入浴し着替え終えたイリルが向かったのは、庭園ではなく、宮殿の図書室のひとつだった。こじんまりとした広さのそこは、ほとんど人が寄り付かない。


「待たせたな」

「いや?」


手にしていた本を、パタリ、と閉じたのはレイナンだ。横に並んだイリルは苦笑する。


「まさかあんな懐かしい暗号を使うとは思っていなかったよ」


簡単な置き換えだった。庭園は図書室、緑はその規模。

小さい頃からどこで誰に聞き耳を立てられているかわからない王子たちがいたずら半分で思いついた暗号だった。一番大きいものは金色を、その次は赤をと、色と規模を一致させ、場所は別の場所を示す。


「よく家庭教師の目を盗んでここにきたな」

「乳母殿から逃げるときもだ」


髪の色こそ違えど面差しのよく似た兄弟はそれぞれ、少しだけ懐かしそうに目を細めた。


「何があった?」


だが、追憶に浸る時間はない。イリルはすぐに聞いた。人のいる場所では言えないことがあるからここに呼び出したのだろう。もどかしい思いでイリルは質問を重ねる。


「陛下の容体が悪いのか?」


だが、レイナンは首を振った。


「陛下の具合はさっき言った通りだ。安心しろ」

「それならなぜ」

「ドーンフォルトの動きが不穏だ」


イリルは息を飲んだ。レイナンは続ける。


「あそこはまだ王太子が決まっていない。噂では悪趣味な王がそうやって周りの反応を見て楽しんでいるとのことだ」

「本当に悪趣味だな」

「ああ、だが王の権力をちらつかせ、顔色を伺わせるにはいいのかもしれない。弊害もあるが」


内輪でする分にはどんな趣味だろうが構わないが、その皺寄せがカハル王国に来るのはごめんだ。イリルは眉を寄せた。


「何が起こっている?」

「出入りの商人の話だが」


間諜として忍び込ませている者だろう。レイナンは別の本に手を伸ばしながら話す。


「第二王子と第三王子の派閥が争いを続けているらしい。また宰相が腹黒でな」


イリルも他の本を手にする。


「宰相はどちらについているんだ?」

「第三王子らしいが、動きからしてうちに戦争を起こそうとするかもしれない」

「何?」


穏やかでない言葉に、イリルがつい顔を上げる。レイナンもその瞳を受け止めた。


「正確に言うと、付けいる隙を狙っていると言うのかな。とにかく緊張を孕みながらもそれなりに不可侵をお互い守っていた今までとは違う」


イリルはリュドミーヤの話を思い出した。最初に会ったときリュドミーヤは言っていたのではなかったか。


……魔が広まると隣国も山を敬うのを忘れて攻めてくる。過去の戦争はそのように始まった、と。


国境に近い町、ファリガ、アンロー、クロウに事故死が多いことももしかして。


「……やはり、境目から何かが入ってこようとしている?」

「なんだ?」

「いや」


イリルはレイナンにすべてを話すべきか迷った。王が口止めしたのでなければ、今すぐにでも話していただろう。歯切れ悪く口を開く。


「レイナン、陛下の容態は本当に大したことないのか?」

「ああ、それは本当だ。原因が分からないので大事をとっている。回復し次第、賢人会議を行う予定だ」


そこでレイナンはきっぱりと告げた。


「イリル、賢人会議に出席させるために、そろそろオフラハーティ公爵の謹慎を解くことになっている。シェイマスも頑張ってはいるがそこにはまだ呼べない」


それ自体は予想していたことなのでイリルは渋々ながらも頷いた。公爵からも話を聞きたいと思っていたので、ある意味ちょうどいいかもしれない。公爵は当然クリスティナが聖なる者であることを知っているはずだからだ。


——しかしあの様子では、クリスティナをまた閉じ込めようとするかもしれない。


やはりまずは聖なる者の判別方法をわかっている王に、クリスティナを会わせ、聖なる者として宮廷で保護するように手配するのが先か。そこまで考えたイリルはレイナンに質問する。


「クリスティナはどうしてる?」


惚気と捉えたレイナンは、小さく笑った。


「元気だよ、自分の目で確かめればいいい。積もる話もあるだろう」

「そうするよ」


そしてレイナンは一段と小声で言った。


「……どこにドーンフォルトの手の者が紛れているかわからない。行動には注意しろ」


イリルは小さく頷いた。



早速その夜、イリルはクリスティナに手紙を書いた。会いたいと。

受け取ったクリスティナも、イリルが戻ってきていることに胸を高鳴らせ、私もです、と返事を書いた。


          ‡


「イリルがやっと帰ったんですって?」

「はい」


イリルが戻ってきたと聞いた次の日。作業部屋でビーズをより分けていたら、現れたフレイア様がからかうようにおっしゃった。


「思ったより長旅だったわねえ」

「今日はまだお疲れでしょうから、明日会うことになりました」


そんなことを話しているときだった。


「クリスティナ、ちょっといいかしら」


珍しくルイザ様が作業部屋にいらっしゃったので慌ててお辞儀をする。ルイザ様は固い口調でおっしゃる。


「今度はヘルカ伯爵のリリアナさんなの」

「え?」


何がと聞く前にルイザ様は辛そうに続ける。


「馬車が暴走したんですって。ただ、リザさんやカロリーヌさんのときと違い、リリアナさんは……」


私は青ざめてその続きを言う。


「……ブレスレットを付けていません」


リリアナ様からの注文はなかったのだ。


「じゃあ」


フレイア様の心配そうな瞳に、ルイザ様が厳しい表情で頷いた。


「かなりの怪我だそうです」

「……そんな」

「気になるのは、どれもあと少しで十六歳になる女の子ばかりということ」


ハッとした私にルイザ様がおっしゃった。


「根拠はないわ。ただの勘よ、でも私にはまた同じようなことが起こる気がしてならないの。クリスティナ」

「はい」

「以前言っていたブレスレットの完成を急いでくれる? 十六歳になる令嬢たちに配りたいの」

「わかりました」

「無理させるわね」

「いいえ」


ふと思い付いて私は言う。


「あの、ルイザ様、もしよかったら貴族以外の女の子達にも配っていただけないでしょうか」

「庶民にも、ということ?」

「はい。十六歳になる女の子というだけなら貴族でなくても危ないかもしれません。できる範囲で構わないのですが」

「慈善院を通してなら、ある程度は配れるわ。でもすごい数になるわよ?」

「そうしたいのです」

「わかった。じゃあ、お願いね」


気合いを入れながらも私は、イリルにはしばらく会えないと手紙を書かなくてはいけないと思った。会いたさは募っているが仕方ない。

フレイア様が励ますようにおっしゃった。


「私も手伝うわ。職人の手配もできたし」

「ありがとうございます」


イリルと会うのがほんの少し、後になるだけだ。


「早速始めましょう。数を作るから意匠は単純なものにしましょう。でも、込める気持ちは同じよ」


はい、とルシーンたちが応える。

なぜだかとても気が急いた。少しでも多くの女の子達にブレスレットを渡したかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る