44、気が引けるどころではない
スザナは慌てたように答えた。
「あ、いえ。ご心配かけて申し訳ありません。リザ様にお怪我はありません」
「……よかったぁ」
「本当に」
ほっとした私はもう一度椅子に座り直した。グレーテ様も胸を撫で下ろしている。
スザナがためらいがちに口を開いた。
「ただ、念のため今日は家にいた方がいいと主治医に言われておりまして……そのため」
私は頷く。
「わかりました、買い物はまた日を改めてしましょう」
グレーテ様も言い添えた。
「リザ様に、お大事にとお伝えください」
しかしスザナは眉を下げて、付け足した。
「いえ、そのため……お二人に屋敷まで来てもらえたら嬉しいとのことです」
「は?」
「え?」
私たちは顔を見合わせて、スザナに聞く。
「でも事故に遭われたのでは?」
「横になっていた方がいいのでは?」
スザナは眉を下げたままちょっと笑った。
「まったくのかすり傷でしたので、どうしてもお二人にお会いしたいとのことです」
そして声をひそめた。
「これは私の推測なのですが、リザ様は今日お二人にお会いできることをとても楽しみにしておりましたので、どうしてもお顔を拝見したいのではないでしょうか。とは言え、ご都合よろしくなければお断りしてくださいませ」
その気持ちはわかる気がした。実は私もかなり今日が楽しみだったからだ。
私は笑った。
「リザ様のお体に支障がないなら、ぜひお伺いしたいですわ」
グレーテ様も笑顔だ。
「私も大丈夫ですわ。むしろ私のような者が突然公爵家にお邪魔していいのかと思うのですが」
「ではぜひいらしてください!」
スザナは間髪入れずに話をまとめた。
普段からリザ様の気まぐれに慣れている感じだ。
私はそっと指示を出す。
「ルシーン、カール、そういうことだからお願いね」
「かしこまりました」
カールが早速グレーテ様の護衛の方に事情を説明しに行った。カールが話しているところは貴重だわ、と思いながら私たちは場所を移動した。
‡
「わざわざごめんなさいね」
オコンネル公爵家のリザ様の私室に案内していただき、私たち三人でお茶を頂いた。
緊張気味だったグレーテ様も、落ち着いてきたようだ。
「ですが、本当に大丈夫なのですか?」
それでも一応私は聞いた。
主治医が外出を禁止しているくらいだから、実は大変な事故だったのかもしれない。
しかし、リザ様は首を振る。
「驚いて地面にお尻を打っただけなの。今はもう椅子にも座れるのに、主治医が念の為念の為って驚かすから」
「そうなの?」
「もしかして明日あたりには青くなってるかもしれませんけど」
不貞腐れたリザ様の言葉に思わず笑ってしまった。
「でもどうしてそんなことに?」
グレーテ様の言葉にリザ様が答える。
「出かけようと用意してあった馬車に乗ろうとしたら、突然踏み板が外れて。驚いた馬が暴走して来てあわや蹴り飛ばされそうになったの」
「えっ」
「そんな危険な!」
私とグレーテ様は目を丸くした。私たちの視線を受け止めたリザ様は頷く。
「でも、なんともなってないでしょう? 馬が寸前で方向を変えたおかげで助かったのよ」
「よかったですわ」
「ご無事で何よりです」
馬が暴走する痛ましい事故は市街でもたまに起きている。暴れ馬の速度はかなりのもので、皆、避けようとしても避けられず巻き込まれるのだ。
「リザ様は強運の持ち主ね」
「さすがです」
あらためて私たちはリザ様の無事を祝った。
ところがリザ様は、内緒話をするように顔を近づけた。
「今、強運とおっしゃったけど、どちらかと言うと運が悪い出来事だったと思うの」
「というと?」
「だって、踏み板はその前になんともないか確かめていたのよ」
「え、では人為的なものだと?」
思わず私も声をひそめる。だが、リザ様はきっぱりと言った。
「お父様の命令で大勢が調べているけれど、人為的に何かした跡も見つからないようよ。うっかり故障を見逃したんだろうって言われている」
「まあ、そうですか」
不思議な話に私は首を捻った。だけど、リザ様の言いたいことはそこではないようだ。
リザ様は、ご自分のドレスの左の袖を捲り上げてこう言ったのだ。
「私、これのお陰で難を逃れた気がする」
白い手首に通されたブレスレットがそこにあった。見覚えのあるそれは。
「私が差し上げたブレスレットですか?」
「ええ」
フレイア様のお茶会のときにお贈りしたものだ。リザ様は力を込めて頷く。
「あのとき、馬がこちらに向かってきたとき、尻餅を付きながら私、咄嗟に両腕で頭を守ろうとしたのね、こうやって」
リザ様は、両手を額の上あたりで交差させた。
「それでももうダメだと思っていた。だって馬が間違いなく私に向かっているって感じたもの。だけどこれが」
手を下ろしたリザ様は、ブレスレットに大事そうに触れた。
「一瞬光ったのよ」
「まさか」
「そんな」
「ええ、勘違いかもしれないわ。近くにいた御者もスザナも、そんな光見えなかったって言っていた」
リザ様は私たちをかわるがわる見つめた。
「でも、その光を見た馬は怯えたように方向を変えたのよ! それだけは間違いない。だから私すぐにわかったの。きっとこれが私を守ってくれたんだって。クリスティナ様、これ、すごいわ! すごいのよ!?」
話を聞いていた私はにわかに信じられず、自分の作ったブレスレットを眺めた。それは確かに私の作ったものだったが、そんな効果があるなんて思ってもいなかった。
リザ様は興奮したように続ける。
「そこでクリスティナ様にお願いがあるの。これを殿下のために作っていただけないかしら。お誕生日の贈り物にしたいの」
突然のことに私は驚いた。慌てて首を振る。
「え? え? 待って! 待って! ドリヒレネグ王国の王太子殿下に私なんかが作ったブレスレットを差し上げるなんて」
素人の手作りなのだ。気が引けるどころじゃない。しかしリザ様は引き下がらない。
「きっとこれは素晴らしいものよ! 私にはわかる。ただ美しいだけじゃないのよ」
「だからと言ってそんな……」
品質には自信があるが、さすがに王室御用達になるには心の準備がなさすぎた。
諦める様子のないリザ様は、力強く頷く。
「クリスティナ様がこんなふうに遠慮すること予想していたわ」
視線をグレーテ様に向ける。
「そこでグレーテ様の出番です!」
「え? 私?」
唐突に名指しされたグレーテ様も慌てたように目を見開いた。
リザ様は畳み掛ける。
「新しいお店をよく知っていて、いつかご自分でも商売をしたいと思っているグレーテ様がこのブレスレットの価値を客観的におっしゃったら、クリスティナ様も自信がつくと思うの」
「私が自分で商売をしたいって思ってるって、どうしてわかったんですか……まだ誰にも言ってないのに」
「あれだけいろんなお店を調べていたら予想が付きます」
グレーテ様は赤くなった頬を手で押さえた。
「まあ、そうなんですけど恥ずかしいわ……」
リザ様はその手を掴んで力説する。
「ちょっと! グレーテ様まで自信を失わないでください! グレーテ様の感性は素晴らしいです! だから今日もお買い物に付き合って頂こうとしたんだから、だからクリスティナ様を説得して!」
私は静かに首を振る。
「私のブレスレットなんてそんなとてもとても……」
「ああ! クリスティナ様はひとりで勝手に結論出さないでください!」
「だけど」
自分のことは置いておいて、グレーテ様に私は言う。
「グレーテ様の感性は私も素晴らしいと思いますわ。商品の知識が豊富なのがまた信頼できますし」
するとグレーテ様も私を見つめた。
「それをおっしゃるならこのブレスレット、どこにもない意匠で、ビーズの質の良さも合間って、素晴らしいと私は思います」
「そんな……そうですか?」
「クリスティナ様のブレスレットならいくらでもいいところを言えますよ」
「いいものを選ぶ目があるグレーテ様がおっしゃるなら」
「うんうん、お二人とももっと相手のいいところを遠慮なくおっしゃって! スザナ、お茶のおかわりを」
「はい」
リザ様が満足そうにスザナに言う。
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