ススケタ笑顔

 今日は午前の巡視の中に、河川に泊まっている海軍の警備艇との定期連絡の任務が入っていた。定期連絡と言っても様子見のようなもので重要なやり取りがあるわけではない。しかし別部隊とのやり取りなので真面目にやる必要がある。


 自転車で淡色の町中を走り抜けて渡船場まで来れば急界は涼やかな青色に開ける。渡船場前で幅が広くなるこの河川は古くは交通の要所だったらしいのだが、いまは緑色の対岸の端に鉄色の舟が錨を下ろしているだけだ。石造りの渡船場にも人影はひとつしかない。


 船着場まで歩いて行くと、係留柱に腰を下ろしていた人影が顔を上げた。濃紺色の詰襟服に金筋の袖章が鮮やかな配色になっている。人影は警備艇の士官だった。


 定期連絡のやり取りはいつもと変わらず、「異常ナシ」という定型の言葉を交わすだけの単調なものだ。そのあとはのんびり雑談したり煙草をのんだりしている。普通なら下士官と士官がこのように接するのはありえないのだが、この学生出身の予備役士官はその点まったく気にしていなかった。


「なんでこんな所まで登って舟を泊めてるんです?」


 のんびりした空気にあてられて気が緩んだのか、言葉をこぼしてから内心「しまった」と冷や汗をかいた。この士官と所属も軍も階級も違うことを一瞬忘れてしまっていた。対して士官は平然としていた。


「……いままでは外洋で潜水艦相手にしてたんだが、いまじゃ戦隊のほかの舟をちりぢりになっちまったんだ」


 煙をぱっと吐くその表情は緊張感の欠片もなく、学生が難しい課題の愚痴をこぼしているかのようだった。


「がんばればあと一、二隻はやれたんだがなぁ……」


 そう言いつつ自分の舟を見詰める士官の横顔を見ていると、この士官が元は普通の学生だったことを思い出した。普通に生活していればこんな表情はしなくていいはずだ。人というのは、時間によってあっという間に変わってしまうものらしい。


 士官のすすけた笑顔を見ていると、なぜだか悲しくなった。

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