善なる悪意

@kimati

第1話

 一人の男性が横たわっていた。

 加害者と被害者は、かつて親子であった。

 そして今、加害者の手は諤々と震えていた。

 それは、最低気温が零下まで下がった寒さのせいではなく、達成感と解放感のもたらす快感のおかげだった。



 私、多田彩菜のもとにそのただならぬ手紙が届いたのは台風が来るというニュースで東京中が沸いていた時だった。

 過去最高の勢力を保ったまま本州へ上陸する見通しだという。


 その手紙は私の中学生の時の友人、高桐優からだった。

 彼は男子なのに女子と仲が良い珍しい男の子だった。

 なぜその人のことを未だに覚えているかといえば、三年生の時に彼が起こした自殺未遂騒動のせいだろう。


 もともと仲が良かったから、よく相談はされていた。

 父親に嫌われていて辛い、と。

 私は両親が離婚しており、そんな感情は贅沢だとすら思いまともに取り合っていなかった。

 しかし彼なりの悩みがあったのだろう。

 理由について、彼は警察などに何も言おうとしなかった。

 おそらく他のクラスメイトにも打ち明けていなかったのだろう。

 結局自傷趣味として片づけられてしまった。


 私が今の警察官という職業に就こうと思ったのはこれが最大の原因だ。

 なぜ私には打ち明けてくれたのか。彼は私が好きだったのだ。

 これは確信的だ。

 なぜなら私は彼に、半分告白されているのだ。

 彼は相当に頭がよかったから、直接的にではなくそうともとれる曖昧な言葉しか言わなかった。

 その後彼にそのようなことを言われることはなかったが、それは彼が私との友人関係を崩したくなかったからだと思われる。

 実際その後も友人としての関係は続き、私から彼に相談を持ちかけることもあった。

 高校に入ってからもしばらくはラインなどでつながっていたが、結局どちらからともなく自然消滅した。

 さて、手紙の内容だがまったくもって意味不明だった。


「結婚式の夜に父を殺す。終わったら捕まえてほしい。ただ、終わるまでは見逃しておいてほしい。」


 言葉一つ一つの意味は分かる。


 が、全体としてまったくもって意味不明だ。


 彼は二日後に結婚式を挙げ、美人な奥さん、優里さんと結婚する予定だったはずだ。


 昨年の、卒業十周年同窓会の時に彼女を紹介されみんなびっくりしていたのを覚えている。

幸せの絶頂のはずの彼がなぜこんな手紙を送ってよこしたのだろうか。


 とりあえず彼に電話をかけてみた。

「あ、もしもし?彩菜です。」

「おう。先月ぶりかな?どうしたの?」

「『どうした』はこっちの台詞よ。あの手紙は何?ちゃんと説明しなさいよ。」

「あぁ、あれの話ね。説明も何もそこにある通りだからよろしく。」

「優里さんは承知しているの?」

「ああ。もともと結婚を切り出す時に言ってあったからね。」

「あんた私の職業知ってて言ってる?」

「ああ。けどやっぱりお前には言っておいた方がいいと思ってね。十年待てたのもお前のおかげだし。本当は自殺騒動の後すぐやる予定だったんだぜ。」

「警察官が殺人幇助だなんてシャレにならないんだけど。」

「そうだね。今の僕の話はすべて物語ってことにしておこうか。」

「そうゆう問題じゃない…って切りやがったな!この野郎。」

 受話器を荒々しく置きベッドに寝そべった。

 止めた方がいいのだろうかそれとも…。


 いや、しかし私は警官だ。

 起こるとわかっている殺人を見て見ぬふりをするわけにはいかない。

 しかし信頼してくれた彼を裏切るのか…。

 悩ましい問題だった。



 翌々日。結婚式当日。彼にもう一度会いに行った。

「ねえ。優。」

「おう。来たんだ。てっきり捜査本部でも立ち上げて俺を逮捕しに来るかと思ったよ。」

「私はどんなことであれ、信頼は裏切らないことにしてるの。見損なわないで。」

「分かってるよ。お前のことはちゃんと信用してるよ。じゃなきゃお前にあんな連絡する訳ないだろ?」

「勘違いしないで。確かに捕まえに来たわけじゃないけど納得したわけでもないんだからね。説得しに来ただけなんだから。」

「はいはい。でも真面目に説得できると思ってるわけじゃないだろ?俺が頑固なのはお前も知ってるだろうに。」


 そう。彼は途方もなく頑固なのだ。

「でも私は諦めないわよ。現行犯逮捕ならいつでもするんだからね。」

「それもいいな。お前、俺のこと逮捕してくれよ。そうすればお前も疑われずに済むだろ?上々じゃねえかよ。」

「ちょっっ、馬鹿じゃないの?私にそれをしろと?嫌だよ。勝手に自分で自首しなさい。」

「でもそうするとお前も共犯じゃないかと疑われることになるだろ?それだけは避けたいんだよ。それに、惚れた相手に捕まる方が諦めがつくだろ?」

「馬鹿じゃないの?奥さんの前でそういうこと言って。」

「いえ。私は気にしていませんよ?彼があなたに惚れていたことも、その感情のせいで彼がとても苦悩していることも私は知っていて、それでも尚、彼のことが好きで一緒にいるのですから。」

「はぁ。あんたこんなにできた奥さんもらってるのに人殺しがしたいだなんていかれてるとしか言いようがないわよ?」

「ああ。その点はマジで感謝してるよ。こんな酔狂な人間に付き合ってくれる奴なんて優理かお前ぐらいだからな。」

「私を数に入れるな!ったく馬鹿は死んでも治らないって本当だったんだな。お前を見てると熟そう思うよ。」

「お口が悪うございますよ?そんなことよりもそろそろ準備しなきゃいけねえから出てけよ。」

「準備って何の!?」

「式のだよ。なに勘繰ってんだよ。」

「今のお前の言動に説得力があるわけないだろ?」

「はいはい。分かったから去ね」


 しばらくして式が始まった。

 やっぱり奥さんは奇麗だったけど、それよりも驚いたのは、優がめちゃくちゃかっこよかったことだ。

「お前、整形でもしたのか?お前は中学生の頃はただの冴えない野郎だったはずだろ?」

「お前ひでえぞ!? そんなことしてねえよ。あ、もしかして俺がかっこよかった?うわあー嬉しいわ。」

「んなことあるかボケ。ちょっとましになったかな?ぐらいだよ!」

「そんな照れんなって。取って食いやしねえからよ?」

「選択しそれとかお前の思考回路どうなってんの!?」

「はぁぁ。お前元気だな?羨ましいよ。」

「うるさいな。てかお前なんでこんな豪勢な式あげられんだ?」

「はっっ。年収1000万舐めんなよ?」

「え?お前そんなに稼いでんの?」

「夫婦合わせてな?流石に25歳で1000万プレイヤーは怖えよ?!」

「何だ。ビビった。戻るぞ?」

「あぁ。また後で。」


 晩餐会までの間は暇だから仕事だ。

 休暇を取っているからといって事件は待ってくれないし、調書の期限も待ってはくれない。

 こう見えて以外と多忙なのだ。


 コンコン。

 誰か来た。

「はーい。入っていいよ。」

 誰も入ってこない。

 何なんだ?

 見にいってみると一枚の紙が置いてあった。

 

『事件は三時間後。犯人は21-23-20の2番だ。』


 何だこれは。

 私が思いだせる事件といえばやはり優たちの話だ。

 これは取り調べが必要だ。


 バンッッ


「おう。どうした。俺が恋しくなったか?」

「黙れ!おまえは何を考えてる!?」

「鼻息が荒い。うるさい。頭を冷やせ。俺は深謀遠慮を巡らしているんだ。ついでに言えばお前は常に何も考えていない。」

「ごまかすな。この手紙は何だ?」

「待て待て。俺は今、筆記具も何も持っちゃいねえぞ?どうやって手紙を書けってんだ。」

「知らねえよ。でもここに手紙がある。それだけが事実だ。」

「おおう。暴論。ちょっと見せてみろ。あぁ。この番号は俺の中学校の出席番号だな。住所じゃあんまり見ない数字だ。この『2番』ってのはなんだろうな。で、これがどうした?」


 唖然とした。

 いきなり暗号を解きに来るとは。

 しかしこれは真面目にこいつじゃなさそうだ。

「すまない。いきなりで。確かに少し性急だったな。お前らの事件についてと断定するのは。」

「いや、俺ら関連ではある。番号含め怪し過ぎるからな。現実的に言うと、俺らの作戦を知ってるやつがいて、そいつが撹乱に動いたって筋じゃねえか?」

「成程。で、その誰かってのは?」

「俺らに近しい奴で、目立ちたがり屋の男。おそらく俺らと同年代でお前が警察と知っている奴。ってとこか。」

「要はこの式場に来てる人なら殆どが当てはまるって訳だな。」

「まあそういうことだ。物分かりが良くなったじゃねえかよ。」

「馬鹿にするな。これでも一応警察だ。こういう経験ならお前より上だ。」

「仲がいいんですね。お二人とも。竹馬の友って感じで。」

「お前、とち狂ったか?俺らのどこを見てれば仲がよさそうに見えるんだよ。」

「え?だって会話がとんとん拍子で進んでるし。本当に仲が悪ければ先ず先ず喋らないよ?」

「だってさ?俺ら仲がいいらしいよ?よかったじゃん。」

「未来の殺人犯と仲良しだなんてこっちから願い下げだっつうの。」

「どちらにしろこいつが3時間後に事件を起こそうとしてるのは明白なんだから何かしら対処しねえとな。そうしないと俺らが行ったらあるのは死体だけってことになるぞ?」

「そういう問題じゃないでしょうに。一応血族でしょ?その人が殺されそうって言うんだからそっちの方を心配しなさいよ。」

「って言ってもねぇ。どうせこいつがやらなくても俺たちがやるんだからあんま変わんねえじゃん?」

「この人がやってくれるから自分は手を汚さないっていう選択肢はないの?」

「無いな。人を殺したいっていう感情と人に死んでほしいっていう感情は別もんだからな。」

「友人から殺人者の心得を聞くことになるとは。世も末だわ。」

「どうする?放っとく?どっちでもいいよ?こっちで勝手に動くから。って言っても無理か。これから晩餐会だもんな。まさか主役がいなくなる訳にはいかないもんな。あ、ほら。もう始まるから一回戻ろうぜ?」


 そして晩餐会は幕を開けた。

 この時間だけは事件のことなど気にせずに食事を楽しもうと思えるぐらいには楽しい晩餐会だった。

「おう。楽しんでるか?みんな。彩菜もさっきまでの陰々滅滅とした感じが抜けていいじゃねえか。」

「五月蠅いな。しょうがないだろ?目の前の同級生が殺人をしようなんて言ったら陰々滅滅になるのもわかるだろう?つまるところ世界のあらゆるストレスの元凶はお前なんだよ!」

「はいはいごめんなさいね。でもそんなこと言われたからって諦める気は無いぞ?お前の出番ももうすぐなんだからちゃんと頑張れよ!期待してるぞ?」

「だから私はやらないと…。」

「じゃあね。またあとで。」

 逃げられた。

 こうなったら意地でも阻止してやる。



 思わず寝てしまっていたらしい。

 気づいたら、40分ほどたっていた。

 その時、


 ぷるるるる、ぷるるるる、


「はい、多田です。何か起きました?余程のことがない限り電話はしないでくれと…。」

「殺人だ。それも多分知能犯だ。ぜひ君に協力してほしいと本部からの要望だ。至急現場に向かってくれ。」

「了解しました。で、どこですか?」

「東京都×市×丁目×番×号だ。君の実家の近くだろう?すぐに向かってくれたまえ。」


 嫌な予感がした。

 そういえば手紙が来てから3時間も過ぎた。

 ちょうど優たちの姿も見えない。

 あの辺りは彼の実家ではなかっただろうか。

 後から後からいろんな懸念が渦を巻いて飛び出てくる。


 現場は式場から5,6分ほどの近場だった。

 あいつが行こうと思えば行けない距離ではない。


 しかし、表札を見て安堵した。そこにあった名字は『高桐』ではなく『小柳』だったからだ。

 しかし、その安堵が失意のどん底へと沈んだのは被害者の顔を見た時だった。


 そこにあったのは確かに見知った顔だった。


 被害者のことを直接知っている訳ではない。


 しかしそこには確実に『彼』の面影があった。


 私の知るその人より三十程老いているが…。



 それは確かに優の父親の顔だった。

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