234話「壮大なる計画の始まり」



「はあ、余計に疲れてしまった」



 そう独り言ち俺は、他の来賓客の待つ会場へと歩を進める。あの後、ナガルティーニャは俺の平手打ちによって意識を刈り取ったため、しばらくは目が覚めない。



 奴は大袈裟に叫んでいたが、この世界には頬に口づけという文化は少なからず浸透している。それ故に、俺自身も頬に口づけは恥ずかしくはあるが、決して抵抗があるわけではない。



 日本人としての記憶がそうさせるだけであって、この世界の視点から見ればあまり珍しいものではない。だが、結果的に奴を喜ばせる形となってしまったのがどうにも癪な訳で……。



「するんじゃなかった」



 俺はナガルティーニャの頬にキスをしたことを酷く後悔した。キス自体に抵抗はないと言ったが、奴を喜ばせる結果となったことがどうにも許せなかったからだ。……とりあえず、目が覚めたら奴の顔をアイアンクローで握りつぶすとしよう。



 そんなことを思いながら会場へとすぐに戻ってきた俺は、先ほどの続きとばかりにサリヤの追及を受けていた。曰く、「先ほどの女は誰だ?」だの「俺とどんな関係だ?」といった問いが主で、端的に言えばナガルティーニャが俺とどういった関係なのか知りたいようだ。



「ただの顔見知りだ。それ以上でもそれ以下でもない」


「その割には、気絶した彼女を自身の手で寝室に運ぶのですね」


「俺は悪逆非道な悪人ではないからな。知り合いが倒れていれば、介抱するくらいの良心は持っているつもりだが?」



 俺にそう言われてしまえば、サリヤとしてもそれ以上突っ込むことができないのか、怪訝な表情を浮かべながらも押し黙った。そんな母親の様子に娘であるティアラはご立腹なようで、サリヤの追及を咎める。



「お母様、いい加減にしてください。他人に知られたくない話の一つや二つ誰でもあります。生前のお爺様からお聞きしましたが、お母様は若い頃そうとうやんちゃをなさっていたとか。なんでも――」


「ティ、ティアラ。何を言うのよ!? 大体今はそんな話は関係ないでしょう!」


「なら、ローランド様の話もここで終わりです。今はお茶会の真っ最中。ローランド様ではなく、サーラ様とサーニャ様の話をお聞きするべきでは?」



 サリヤにとって若かりし頃の自分は黒歴史なのか、ティアラが何かを言う前にそれを遮って止める。であればと、ティアラは俺に対する彼女の追及はここまでと言わんばかりに言い放った。



 彼女としても、俺とナガルティーニャの関係がどのようなものなのか、気にならないといえば嘘になるはずだ。だというのに、敢えてそれを俺にぶつけることもなくサリヤの言動を諫める姿は、とても大人びて見えた。



 まだ若いとはいえ一国の王女なのだと俺が内心で感嘆していると、にっこりと笑いかけたティアラが静かに俺に言ってくる。



「それとは別にローランド様。私もあの方のことは気にならないわけではありません。もしよろしければ、今度紹介してくださいね」


「その機会があればな」


「楽しみです」



 などと言ってはいるものの、その笑顔の裏には「あの女は誰だ?」という意志がはっきりと読み取れ、まるで浮気の証拠を握った妻のような有無を言わせぬ迫力があった。……ティアラよ、お前ホントに十代か?



 それから、本来の目的である他国の姫君のサーラとサーニャの親睦を深めるという目的と、お茶会に出す予定だったお菓子が打ち止めとなったことで今回のお茶会は幕を閉じた。だが、これだけでは終わりではない。



「ローランドくん、もしよかったらこのお菓子の作り方をうちの料理人に教えてもらえないかしら?」


(やはりそうなるよな)



 権力者というものは、善良だろうが悪者だろうがその良し悪しに関係なく欲深いものだ。自身が享受しているものよりもより良いものが見つかれば、当然それを取り込みたくなるのは至極当然なのだ。



 ティッシュに例えるのなら、一箱百円のティッシュと一箱五百円のティッシュがあったとする。感触や肌触りは当然値段が高い五百円のティッシュの方が良い。



 百円のティッシュを使っていた人間が、五百円のティッシュの使い心地を知ってしまって、果たしてそのまま百円のティッシュで満足できるのだろうか? 答えは当然否である。



 今回の場合も同じであり、今まで自分が食べていたお菓子が最高峰だと思っていたところに、文明の発展している地球のお菓子を食べれば、比べるまでもなく地球産のものの方が美味しく、当然そちらのお菓子を常に食べたいと考える。



「もちろん、レシピについては誰にも教えないし、必要なら報酬金も払うわ」


「王妃様、それは無体が過ぎるのではないでしょうか?」



 サリヤの言葉に反論したのは、ローゼンベルク家の当主ドミニクの妻ミラレーンだった。薄く微笑みを顔に張り付けているものの、それは決して笑っているというよりも相手を非難しているように見える。そんなミラレーンの反論に対し、サリヤは顔を歪ませながら彼女に返答した。



「あら、何が無体というのかしら?」


「今回のお茶会で出たお菓子を気に入ったのは、何もあなた様だけではありません。今日のお菓子を常に食したい。ここにいる全員がそう思ったことでしょう。それを知っていながら、王妃様お一人だけがそれを享受するというのはいくらなんでも横暴ではないでしょうか?」


「……」



 そう言い放つミラレーンに、サリヤは軽く睨みつける。彼女の言うことは尤もであり、自身のしようとしていることが多少強引であることも自覚していたからだ。



 だが、これほどまでのお菓子に巡り合うことはなかなかなく、ここにいる人物たちにその情報が流れてしまえば、欲の深い他の貴族たちも我も我もと群がってくることになる。



 かといって、もうすでに俺のお菓子の味を覚えてしまった彼女らにとって、他のお菓子で代用するという選択肢はなく、気持ち的にはサリヤと同じ意見なのだろう。



 俺は頭の中で面倒だと思いながらも、このまま放っておけば結局は欲の深い連中が殺到してくる未来しか見えなかったため、そうならないように動くことにした。



「少しは考えたらどうだ。王侯貴族の悪い癖だぞ」


「何を考えるというの?」


「そもそも、サリヤ。あんたの考え方は“いいものは全部王族や貴族の元に集まる”という考え方なんだ。いいものっていうのは当然独占したいし、他の誰にも渡したくないと思うのは当たり前のことだ。だが、それが元で争いが起こってしまっては本末転倒だと思わないか?」


「ではどうしろというの?」



 俺の言葉にその場にいた全員が耳を傾ける中、俺は「なに、簡単なことだ」と前置きをしてから全員に説明してやった。



「独占しようとして争いが起こるのであれば、独占せずにすべての人間と分かち合えばいいだけだ」


「すべての人間と分かち合う?」


「そうだ。平民、貴族、王族。一切合切関係なく何人でも手に入れることができるようにすれば、争いなんて起こらなくなる。当然、それを独占しようとする連中が出てくるだろうが、あんたはこの国の王妃だ。そういった連中を止めるくらいは簡単にできるだろ?」



 つまり、この場にいる人間での独占ではなく、国全体を巻き込んだ共有をすることで、誰でも手軽に入手できるようにするというものだ。



 国という規模である以上、その手間は計り知れないものがあるかもしれないが、欲にまみれてやってくる貴族の相手をすることと天秤に掛けた時、気持ち的には前者の方が楽なのだ。



「ひとまずは、今日食べてもらったクッキーを広めようと考えている。その過程でここにいる人間の力を借りることがあるかもしれないから、その時はよろしく頼みたい」


「わかりました。協力させてもらいます」



 こうして、国全土を対象としたクッキー量産計画が幕を開けるのだった。

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