17話「ローレンが森にいた理由」



 時はバイレウス辺境伯とその娘ローレンが、マルベルト領に来訪したばかりの頃にまで遡る……。




 ~ side ローレン ~



 私の名前はローレン。バイレウス領の領主ガンジス・フォン・バイレウスの長女で、現在は隣領のマルベルト領にやってきております。

 目的は父の視察に同行するという名目ですが、平たく言えば私の婚約者になる予定のマルベルト家の長男の見極めが本当の目的だったりします。



 貴族の娘として生まれた以上、同じ貴族の人間に嫁ぐ運命にあるのは承知の上ですが、できることなら自分が見初めた方との婚姻がしたいものです。

 ですがそれも御伽噺に登場するような奇跡でも起きない限り難しいことなので、叶わぬ願いとして諦めていたりもします。



 そんな中、マルベルト家の屋敷へとやってきた私でしたが、はっきり言ってしまえば……とても暇です。やることがないです。

 私の身の回りの世話はバイレウス領からついてきた侍女のリリンがやってくれるので、今はお父様からお呼びが掛かるまで待機の時間です。



「……暇です」


「そうですね」



 私のつぶやきにとりとめのない返事をするリリンと一緒に宛がわれた部屋にいるのですが、本当に暇で暇で退屈です。

 そうだ、これだけ暇なら散歩でも行ってみましょう。さっそく思い立ったが早いか、行動を開始します。



「お嬢さま、どちらに行かれるのですか?」


「……」



 そうでした、今の私にはリリンという見張り役……もとい、監視が付いておりました。まずは彼女をどうにかしないといけません。



「ちょ、ちょっとお花摘みに行ってまいります」


「では、わたしもお供を」


「い、いえ一人で大丈夫ですから。リリンはここで待っていてください」


「はあ、そうですか。では、いってらっしゃいませ」



 なんとかうまくいきました。これで外に出ることができます。

 屋敷の使用人に見つからないように注意しながらなんとか抜け出すことができました。



 表の方には門番の兵士がいるので、そのまま行ってしまうと見つかってしまいます。

 ここは門番のいない裏手の方に行くしかありません。本当は表に行きたいですが、仕方がないので裏手の方にある森に入ってみましょう。



 バイレウス領では開拓が進み、都市に住んでいる私なので森というもの自体を見る機会は他の領地の貴族と比べると少ないです。

 ですから、何もない森でも私にとってはちょっとした冒険なのでわくわくします。



 しばらく鬱蒼と茂った森を歩いていると、後ろの草むらがざざっと蠢いている音が聞こえてきました。

 振り返ってみると、そこにいたのは緑色の肌をした小さな魔物ゴブリンです。ゴブリンは同じ種族の雌だけでなく、他種族の雌とも交尾をして種を増やしていくと本で読んだことがあります。もしかして、私のような子供も襲われるのでしょうか?



「ギギィ」


「きゃあ」



 私と目が合うと、奇声を発しながらゴブリンがこちらに駆け寄ってきます。身に着けている腰布の股間が膨らんでいるのは間違いなくあれが大きくなっているからでしょうね。

 このままでは、ゴブリンの餌食になってしまうと感じた私は一生懸命逃げました。しかし、ゴブリンも諦めず追いかけてきます。



 しばらく私とゴブリンとの追いかけっこが続きましたが、ろくな運動をしていない私が慣れない森の中で走り回っていればすぐに疲れ果ててしまうのは目に見えています。

 そして、とうとう体力の限界を迎えた私は、その場にへたり込んでしまいました。そこには当然追いついてきたゴブリンがいます。



「ギギギギ」


「いや、やめて、こないで!」



 こちらがもう逃げられないと知っているのでしょう。嗜虐的な醜い笑みを浮かべながらこちらに一歩また一歩とゴブリンがやってきます。

 嗚呼、このままでは私は花を散らされてしまうのでしょうかと脳裏によぎり始めたその時、それは新たな闖入者の手によって阻止されます。それも、最悪の形で。



「ガアアアアア」


「そ、そんな……あれはレッサーグリズリー」


「ギィ!? ギギギィ!」



 そこに現れたのは二メートルは下らない巨体の熊型の魔物レッサーグリズリーでした。さしものゴブリンも命が大切だったようで、レッサーグリズリーが現れた瞬間一目散に逃げてしまいました。



 となってくると、次に標的にされるのは私ということになります。ゴブリンの脅威からは逃れられましたが、今度はレッサーグリズリーによる命の危機です。

 これはもう助からないとわかっていても叫ばずにはいられませんでした。



「だ、誰か……た、たすけてぇー!!」



 私の声が周囲に響き渡るも、その声を聞いているものはいないでしょう。ですが、もうどうしようもありません。

 逃げる体力は残っておらず、かといってレッサーグリズリーと戦う力もない。あとはレッサーグリズリーがどう私を料理するかだけなのですから。



「お父様……リリン……ごめんなさい」



 今になって後悔の念が浮かんできます。暇を潰すためというちょっとしたことで、こんなことになるなんて思っていませんでした。

 愚かな私を二人は許してくれるでしょうか? バイレウス領にいるお母様と二人の妹たちにもう一度会いたかったです……。



「ガアアアアア」


「きゃあ」



 とうとうレッサーグリズリーがこちらに向かって突進しようとしてきました。私は反射的に自分の腕で顔を覆います。

 迫りくる巨体が自分にぶつかる瞬間、目を瞑り衝撃に備えます。



「……」



 しかしどうしたことでしょう。私の体に来るはずの衝撃がいくら待っても来ません。

 レッサーグリズリーの気が変わったのかと思い、瞑っていた目を開けるとそこにいたのは私と同世代くらいの少年でした。

 おかしなことに、彼はレッサーグリズリーの巨体を片手で押し留めていたのです。何かの手品なのでしょうか?



「え、あ、あの」


「危ないから下がっていろ」




 少年は私に危ないから下がっていろとだけ言い放ち、レッサーグリズリーと戦いを始めました。

 平静を取り戻した私は彼の邪魔にならないよう少し離れた草陰に身を隠します。



 そこからは圧倒的でした。あの信じられないほどの強さを持つレッサーグリズリーが手も足も出ずに少年の手によって倒されてしまったのです。

 少年は金髪に緑色のきれいな瞳を持っていました。子供らしい幼さを残しつつも、とても凛々しい印象を持ち合わせていました。



 そこからお互いに自己紹介をします。どうやら彼はマルベルト家の長男で、私が嫁ぐことになる相手だったようです。

 そして、この時私の体がおかしいことに気付きました。彼を……ロラン様の顔を見るだけで顔や体が熱くなり、心臓の鼓動がすごくうるさく聞こえてくるのです。



 これが人を好きになるということでしょうか? とても心地よくて、とても苦しい複雑な思いです。

 それから、ロラン様のご兄妹のマーク様とローラ様がやってきたのですが、ロラン様からいろいろと事情を聞いてみると、何やら事情がおありらしく私に協力してほしいとのことでした。



 私は彼が言い終わる前にすぐさま了承し、ロラン様に協力することになったのですが、いろいろあって私は弟のマーク様と婚約することになってしまったのです。



(どうしてですか!? マーク様も素敵な方ですが、私がお慕いしているのはロラン様だというのに!)



 そう叫びたくなるのを抑えながら部屋に戻ったのですが、その時リリンが泣きついてきて宥めるのに苦労しました。

 彼女には心配をかけて申し訳ないとは思いましたが、今は彼女を気遣う余裕はありません。



 結局マルベルト領には二日滞在したのですが、どうやらロラン様の評判はあまりよくない様子。

 彼がしてくれた説明では、ロラン様自身が自分を陥れるようなことを故意になさっていて、周りの信頼を損ねるようなことをされているとか。



 マルベルト領からバイレウス領に戻る馬車の中で、お父様に「ロラン様の婚約者になりたい」と懇願しましたが、すげなく却下されてしまいました。

 一体どうすればいいのでしょう……何かいい案はないのでしょか?



 ……あっ、そうだ! ロラン様が私に協力をお願いするために説明された内容に、弟のマーク様に勉強や剣術・魔法などいろいろと教えていると言っていました。

 幸いなことに私にも二人の妹がおります。私の年齢がロラン様と同じ十歳。下の妹はマーク様と同じ八歳なので、年齢的にもちょうどいいです。



 ロラン様がマーク様にいろいろと教えていたのは、自分が当主にならないようにするためであれば、私はバイレウス家の当主になるべく今から頑張ればいいのです。

 下の妹に今からいろいろと花嫁修業をさせ、最終的に私の代わりにマーク様に嫁いでもらい、私はバイレウス家の当主となってその婿にロラン様をもらえばすべて丸くおさまるではないですか。



(そうと決まれば、今からいろいろと準備と根回しが必要ですわね……)



 自分の願いをかなえるべく、頭の中でいろいろと考え事をしているとお父様が声を掛けてきました。



「ローレン、先ほどから妙な笑い方をしているが、大丈夫か?」


「え? あ、はい。も、問題ありません」



 おっと、自分の完璧な計画に思わず悪い笑みを浮かべてしまいました。今度から注意しないといけません。

 ロラン様、待っていてください。このローレン、必ずやあなた様を婿にしてみせます。

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