第25話 ふさわしいのは


一月二日。

新年初日は日勤だった。

出勤して休憩室の扉を開けると、先に来ていた後輩達から新年の挨拶を受ける。

「あ、青木さんで思い出した! 私、三十一日明けだったんですけど、南先生、私服で上から白衣着てて、なんかすっごいかっこよかったんです!」

私と南先生が関連づけられることが今は苦しい。

「私も見た! 手足長くてぴちっとしたジーンズ似合ってたよね。あとさ、ここ、足背見える靴履いてた。寒くないのかな」

足の甲を指差して言っている。

「おしゃれですよ! それにやめてください! 足背って言い方! いつもは怖くてあんまり見ないけど、私、何回も見ちゃいました。なんか機嫌よかったし」

「あの後デートだったのかな。南先生ってよく見ると美人だよね。普段怖いから分からなかった」

「実は私、南先生の車乗った!」

「えええ!! なんで?!」

「大野さん達と年越し飲みで彼氏いないメンバーで新宿で飲んだの。そしたら大野さん潰れちゃってどうしようもなくてさ。年明けた深夜なのに車で迎えに来てくれたんだよ」

「マジか! えっ。どんな車乗ってたの?」

「なんか黒くてごっついやつ。でも、先生に似合ってたなあ。なんかすごく優しいし、運転してるところ超かっこよくて、女だけど惚れそうだった」

「それ分かるかも。でもまぁ、嫁いるからね。そんな時間に車で迎えに来るって完全嫁でしょ」

「嫁? あ、ああ。大野さんね。お似合いすぎてなんだか二人結婚するって言っても全然納得だよね。女同士だけど全力で祝福しちゃう」

「ほんとほんと! 青木さんもそう思いません?」

突然話を振られた。

話に入らないようにしてたのに。

「そうだね。そう思う」

本当にそう思ってしまった。


病院の正月休みが明け、十二月に戻ったかのように病棟は慌ただしくなった。

この忙しさが十二月の時よりもありがたく感じた。

ただ、あの時と違ってこの忙しさを乗り切るための糧となるようなものが何一つなくなった。

むしろ、忙しさの中に白黒はっきりさせられる時がいつ訪れるのかという悩ましい問題がふとした時に頭をよぎる。

むしろ白黒はっきりさせる時を自ら作る必要があるのかもしれない。

先生とはあれから連絡を取り合っていない。

病棟で関わることはあるものの、お互いに仕事上の立ち位置でやりとりをしている。

あんなことがあっても病院での表情や態度が変わらない南綾乃と接することで、辛さが諦めへ変化しつつあるように感じた。


忙しさは収まることはなく二月に入った。

その日は大野さんと夜勤だった。

大野さんがいるので久しぶりにリーダーを外れた。

そして南先生も当直だった。

とても白衣を着る気にはなれなかった。

紺色のスクラブを着る。

南先生と一緒に夜勤したくない。

こんなことを思ったのは付き合ってから初めてだった。

ナースステーションに入ると大野さんがすでについていた。

「お疲れ様です。今日よろしくお願いします」

「よろしくね。青木さん」

大野さんは白衣だった。

南先生は大野さんにも白衣が好きと言っていたのだろうか。

夜勤の休憩中、大野さんとも院内のどこかで2人で過ごしたのだろうか。

色々な考えが頭に浮かぶ。

それはどんどん自分を追い詰める。


「青木さん」

二十一時の消灯を過ぎた時、大野さんに声をかけられた。

「緊急入院の依頼が来たから七号室のベッドに入れるね」

「はい。私取ります」

「ううん。私取れるから大丈夫」

「でも、大野さんリーダーだから」

「大丈夫。今日落ち着いてるし、青木さんは重患持ってくれてるでしょ。そのかわり、色々手伝ってもらっちゃう」

大野さんはにっこり笑う。

悔しくなるほどの笑顔。

緊急入院が入るのに全然プレッシャーを感じていない余裕の態度。

手伝ってもらうと言ったって結局大野さんが一人でこなしてしまうはず。

仕事でも人間としても自分の至らなさを自覚してしまう。

大野さんに適うものがない。

あるとすれば若さだけ、でも今となってはその若さも幼さとなって自分の足を引っ張る。

けれど、実際は幼さでなかったとしても関係なかった。

南先生は大野さんを抱いた。

この事実は変わらない。


緊急入院の患者を連れて南先生が病棟にやってきた。

大野さんと私で部屋に案内する。

南先生の顔が見られなかった。

患者をベッドに案内した後、大野さんに言った。

「私、ベッド周りとかバイタル取るので送りとか行ってください」

「ありがとう。助かる。じゃあ任せるね」

大野さんと南先生、救急外来の看護師が病室を出ていく。

私は南先生を避けた。

バイタルチェックとベッド周り、患者への説明を一通り終わらせてステーションに戻る。

パソコンの前に座り、指示を入力している南先生の隣で大野さんが同じパソコンを見ている。

二人の後ろ姿に私の心はさらに淀んでいく。

嫉妬や卑屈を通り越し自己否定にまで落ち込む。

南先生は私なんかと付き合ってちゃダメな人だ。

南先生の人生のパートナーは大野さんのような人じゃないといけない。

この間の後輩達の会話のように、周りからも認められて納得されるような人でないと。

それに私は南先生の色々な可能性を伸ばしてあげられない。

大野さんのように南先生をサポートしてあげられない。

南先生は大野さんのことを忘れられなくて、この間抱いてしまった。

たとえ大野さんが先生を誘惑したとしても。

それにのってしまうのは仕方ない。

私なんかより大野さんはずっと素敵な人だ。

ふと気づいた。

人生のパートナー。

南先生に対して私は彼女のことを人生のパートナーとまで考えていた。

そこまで考えていた自分に今気付いた。

大野さんがそっと南先生の肩に手を置いた。

すごく自然だった。

見ていて微笑ましいとまで思ってしまった。

途端にその場にいられなくなった。

見ていられない。

このまま受け持ち患者の巡視にまわろう。

私はナースステーションから離れた。

南先生の隣に私はふさわしくない。

ふさわしいのはあの人だ。

南先生を手放してあげないと。

頭の中ではそう思う。

でも、その時私の心は悲鳴をあげた。

無理だ。

色々無理だよ。

今、涙を堪えることも無理だった。

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