第21話 心から愛した人
新宿まで車を走らせる。
家に美穂を残すことが辛かった。
でも、電話が博美からだと分かった時、少なからず心が揺れたのは事実だ。
そして美穂を抱きながら博美のことが頭に浮かんだ。
「何してんだよ」
車の中で小さく呟く。
呟いたところで自分への怒りはどうにもならない。
それ以前に自分に腹を立てても何も変わらない。
博美は自分が初めて心から愛した人だった。
看護師としても信頼していた。
博美の恋愛対象は女性ではなかった。
けれど、想いを伝えた時に嬉しいと涙していた。
性格も身体もこれ以上ないくらい相性がよく、毎日が楽しくてあっという間に過ぎていった。
病棟でも「仲がいいね」「夫婦みたい」と言われた。
まだ二十代半ばだった。
若かったせいもあるが、博美がいてくれれば他に何もいらないほど夢中で愛した。
そして博美がいてくれれば何も怖いものはなかった。
ずっと博美は自分の隣にいてくれるものと思っていた。
それが、いきなり別れを切り出された。
「私、子供のこと諦められない」
こればかりは自分が博美に与えてあげられない。
自分が女であることを恨んだ。
「こんなに愛してるのに、誰にも言えないことも辛い。手をつないで外を歩きたい。結婚して、私は幸せって言いたい。親とか親戚から私は仕事ばかりして不幸な女って見られるのが辛い」
自分が彼女のことを精一杯愛することでそういった障害は乗り越えていけるものだと思っていた。
でも、そう思うのは私だけだった。
自分達の愛情よりも、家族や親戚から幸せだと思われる方が大事なのか。
そんなもので脆く崩れる関係だったのか。
博美のことを責めた。
実際は自分の心の中で責めた。
博美に何も言えなかった。
これ以上何も言われたくなかった。
言われることが怖かった。
「綾のこと、愛してる。誰よりも愛してる。でも、私には綾とこのまま一緒にいる勇気がない」
愛だけで何とかなると思っていた。
自分の思い違いだった。
「最後に抱いてほしい」
博美は泣きながら言った。
お互いを知り尽くしてなじみあった身体。
キメが細かく、吸い付くような肌。
抱き合うだけでこんなに心地よく感じる人は今までいないった。
博美の身体の隅々までが愛おしく感じた。
博美の美しい身体をこれから他の誰かが堂々と抱くなんて、考えただけで気が狂いそうだった。
でもそれは現実となる。
こんなに愛しているのに。
私の愛は誰にも認められず、逆に異性であれば全てが認められ許される。
博美さえも認めてくれてはいなかった。
私達が今まで築き上げたものは中身のない張りぼてのようなものだったのか。
そんなはずはない。
そう思いたいが、そこに自分の気持ちしかなかったことが途端に自信を失わせる。
私達は泣きながら抱き合った。
狂ったように求め合い、一晩中貪り合った後、別れた。
本来ならもう少し先になるはずの他院への研修を早めてもらった。
博美の顔を見られなかった。
名古屋に行って、すぐに絵理子と出会い、絵理子から付き合ってほしいと言われた。
絵理子は女性が恋愛対象だった。
もうノンケとはこりごりだと思った。
研修から戻ると病棟に博美はいなかった。
異動したことと結婚したことを聞いた。
自分の中で終わった事だと思っていた。
絵理子のおかげで忘れられたと思っていた。
でも、それを耳にした時、やっと再構築して形づいてきた自分の中の大切な何かが簡単に崩れてどこかへ消えて無くなってしまったような感じがした。
もうそれは取り戻すことは永遠に不可能だと思った。
美穂と出会ったのはそんな時期だった。
美穂は昔の博美にナースのタイプが似ていた。
きっかけはそれかもしれない。
でも、電話口で聞く声に何故か分からないが信じられないほどに癒されてしまった。
最初は諦めるつもりでいた。
でも、なぜか諦められないほど惹かれた。
ノンケはこりごりのはずなのに、美穂のことを知れば知るほどにどうしても美穂が欲しいと思った。
美穂への想いが通じ、どうしようもなく美穂が愛おしかった。
あの時失った大切なものを美穂が集めてきてくれて、元通りに戻してくれた。
不器用ながらも、再び崩れないようにしっかりかたち作ってくれているような気持ちがした。
それは美穂でないとできなかった。
だから、美穂は私にとってかけがえのない存在だった。
絶対に離さない。
自分のことをもっともっと好きにさせたい。
自分以外見えなくさせたい。
その代わり、美穂のことを何があっても愛し続ける。
そんな強い想いがうまれた。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に、美穂に対して慎重になってしまう自分がいた。
大切で大好きで愛おしいと思えば思うほど臆病になる。
以前のよう失敗は二度としたくない。
美穂だからこそ特にその想いは強いものだった。
そんな時、博美が戻ってきた。
博美は離婚したという。
博美の私に対する接し方は昔のままだった。
昔の幸せと思っていたあの時期を思い出さずにはいられなかった。
そんな自分を責めた。
美穂がいるのに。
美穂のことを誰よりも愛すると誓ったのに。
それでも、柄にもなく歓迎会に行ってしまった。
あの時は緊急オペで助かった。
昔のように「綾」と呼ぶ声に揺さぶられる。
美穂のことを愛しているのに。
そして今日の電話。
いい加減、今の自分の心を自分がどうにかしなくてはならない。
今、最も大切で愛しているのは美穂だから。
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