第18話 不安

昼休憩で休憩室に入るとスタッフ達が盛り上がっていた。

「ねぇ! 大野主任、南先生のこと綾ちゃんって呼んでた!」

「ええ?! 信じられない!」

「なんかね、鈴木さんが怒られてたのよ、いつもの感じで。そしたら『綾ちゃん、相変わらずツンツンしてるのね。ウチの子がなんかした?』って言ってた!」

「南先生の名前、綾っていうんだ」

「綾子じゃなかった?」

「綾香じゃない?」

綾乃だよ。

「で、南先生ってその時どうだった?」

「気まずそうな顔してた」

南先生を名前で呼ぶ人。

なんだかすごく嫌な予感がする。

でも、この間メールで大野さんのこと知ってるか聞いたら「昔お世話になった」と返事があった。

棚橋先生の時はすぐに元カノって教えてくれたから、もし大野さんと何かあったとしても教えてくれると思う。

大野さんとかぶってたとしても確か研修医の頃だと思うからきっといじられてたんだろう。

歳も南先生の方が二つ下だし。

私の考えすぎだ。

けれど、南先生と大野さんのやりとりをすぐに目の当たりにすることになった。

「綾ちゃん。今日、私の歓迎会なんだけど綾ちゃん来てくれるよね?」

「今日オンコールだから無理」

「私の事知ってる人少ないんだから綾ちゃん来てよ」

「そんなこと言われても困るわよ」

「後で場所教えるね。連絡先変わってないでしょ」

「変わってないけど」

「楽しみにしてる」

なんなの今のやり取り。

棚橋先生だって南先生にあんなに馴れ馴れしく話しかけない。

「青木さん」

後から声をかけられた。

「あ、棚橋先生」

「なんか、怪しいよねえ」

「何がですか」

気づいていないふりをする。

「同じ女を愛したもの同士、分かるよ。今の気持ち」

ぽんぽんと肩を叩かれる。

「先生っていつも絶妙なタイミングで絡みますね」

棚橋先生は思わせぶりな笑顔で、

気のせいじゃない? と返してきた。

「歓迎会って今日でしょ? 今日は綾、オンコールだし行かないよ。私も当直でいけないんだ。弥生に悪い虫寄ってきたら追い払ってね」

「私は虫除けですか」

「綾も同じこと弥生に言ってたみたいよ。お互いかわいい彼女持つと心配で仕方ないのよ。青木さん、なんかあったら相談のるからね」

棚橋先生は楽しそうに微笑みながら、じゃあねと去っていった。

棚橋先生に絡まれると調子がくるう。


大野さんの歓迎会に南先生は来ていなかった。

ホッとする自分がいる。

やっぱり私の考えすぎだったようだ。

オンコールの時は基本私とも会わない。

何より今は学会の準備で大変な時期だ。

だからこんな飲み会なんかに来るはずがない。

「綾ちゃんうれしい! 来てくれたんだ! 隣来てよ!」

大野さんの声が響く。

ウソでしょ? 南先生来たの?!

南先生はそのまま大野さんの隣に座らされた。

「南先生、飲み会来るの珍しくない?」

「昔からの知り合いだから来たのかな」

「飲み会なのに緊張するんだけど」

周りの同僚達が口々に言う。

席の関係で南先生の表情はうかがえない。

すごく気になって仕方ない。

時間作ろうと思えば作れるんじゃん。

南先生への不満がどっと湧いてくる。

同じテーブルの同僚達が色々喋ってるが全く頭に入って来なかった。

飲んでるお酒の味が全然しない。

取り分けられる料理も全く手をつける気がしない。

南先生と大野さんのテーブルから時々聞こえてくる話し声に意識が向いていた。

「そういえば綾ちゃん、髪バッサリ切ったんだね」

南先生髪長かったの?! 知らなかった。

「サージカルキャップかぶる時邪魔なのよ。それに切ったのは随分前」

「私が異動してすぐ?」

「忘れた」

「ねぇ、綾。なんかよそよそしいんだけど。昔はよく飲み行ったりした仲じゃん」

綾?

今、大野さん、南先生のこと綾って言った?

「大野さん、飲み過ぎじゃないの?」

「私がこんな量で酔わないの知ってるでしょ? 綾はなんで飲まないの?」

「今日オンコールなの」

「それに、さっきから大野さんとか言って。昔みたく呼べばいいのに」

「あ。病院からだ」

南先生は席を立ち店の外へ出る。

すぐに戻ってきた。

「緊急オペになりそう。病院もどるわね」

「ずいぶんタイミングがいいオンコールね」

「ホントだってば。じゃあお先に」

急いで店を出て行く南先生の姿を目で追う。

店の扉を出る間際、南先生はこっちに振り返った。

私を見つけて目が合うと目を細めて少し微笑んできた。

南先生、すっごいかわいい、好き! 大好き!

と、一瞬思ったが、大野さんとのやり取りが引っかかって素直に喜べない。

「大野さんって南先生と仲いいんですね」

他の看護師が大野さんに言う。

「そうだねえ。昔色々あったからねえ。それにしても。さすがの綾も大人になったなぁ」

南先生の背中を追う大野さんの目は私と通ずるものがある。

「ねぇ、美穂。大丈夫?」

隣に座る増田が心配そうに聞いてきた。

何か察したのだろう。

「なんか、悪い予感が当たってる気がする」

「話聞くから。いつでも」

「うん」




「で、先生」

「どうしたの? 美穂ちゃん。なんか怒ってる?」

歓迎会の数日後、先生に無理を言って会うことにした。

合鍵で先に先生の家に入り帰りを待っていた。

「怒ってないよ。機嫌が悪いの」

「なんでかな」

「それをこれから先生に聞くところ」

「何か私、したかな? 連絡マメじゃないとかかな? 昔それで振られたことある」

前から思ってたけど、昔の恋愛を小出しにしないでほしい。

苛々が増し、早速核心を突くことにした。

「なんで大野主任は先生のこと綾って呼んで馴れ馴れしいのか説明してもらえますか?」

先生の顔が青ざめ、目が動揺している。

「前から思ってたけど先生って嘘つけない人だよね」

先生はいきなり、私の前で正座になった。

「元カノです。私が研修医の頃から二年くらい付き合ってて、結婚と子供諦められないって振られた人。そのあとすぐ異動になって、結婚したって聞いたんだけど、バツつけてウチの病棟に何故か戻ってきたちゃったんだよおおお」

「未練あるの?」

「ないよ! 絵理子のこともあったし、美穂ちゃんと出会って私、美穂ちゃんのこと馬鹿みたいに好きだもん」

「それはありがとうございます。でも、棚橋先生の時とは違ってすぐに教えてくれなかったよね」

「隠すつもりはなくて。なんか。仕事やりにくいんだよねぇ。研修医の時すでに五年目とかだったから色々と迷惑かけたりしたのよ。歳は二つしか変わらないんだけど」

「今までで一番好きだった人?」

「美穂ちゃんって言いにくいこと聞いてくるね」

先生も答え言っちゃってる。

「大野さん。美人だし、すごく仕事できるしいい人なんだよね。全然敵わないんだよ。どれも。逆に憧れちゃうくらい。看護師として」

だから今回はすごく不安になる。

「え? そうかな。ああ、でも美穂ちゃん、昔の博美とナースのタイプ似てるよ」

「先生、それ全然フォローになってない」

しかも普通に博美とか呼んじゃってるし。

大野さんは離婚して今フリーらしい。

私より大人で先生より二つ歳上。

何より、昔の先生を知ってる。

先生の話を聞いた限りでは、お互い嫌になって別れたわけじゃない。

先生が一番好きになった人。

どれを並べても全く勝ち目ない。

「ねぇ、何心配してるの? 私、美穂ちゃんしか見えないよ?」

「髪が長い時の先生、知らなかった」

「じゃあ、これから髪伸ばそうかな」

「そのままにして!」

このタイミングで髪なんか伸ばし始めたら大野さんがいいように捉えるに決まってる。

「ねぇ、美穂ちゃん。心配しないでよ。私、美穂ちゃんのことが一番好きなんだよ?」

先生が私に覆いかぶさってきた。

寝室に移動し先生に抱かれる。

先生から抱かれたいのに大野さんがチラつく。

先生は大野さんにも同じような抱き方をしたのだろうか。

大野さんが好きだった愛撫を私にもしているのだろうか。

この部屋でお互い名前を呼び合って、幸せを感じていたのだろうか。

棚橋先生の時はこんなこと一度も考えなかったのに。

全然入り込めない。

「美穂ちゃん。今日、あんまり?」

「え。なんで?」

「全然濡れない」

「ごめん。なんか今日ダメみたい」

先生は私を触るのをやめて、かわりに抱きしめてきた。

「なんか、心配させちゃってるね。ごめんね。美穂ちゃんを越える人いないんだよ。愛してるの美穂ちゃんだけ」

先生は朝までずっと抱きしめてくれた。

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