第11話 私の恋人

四年目になり、五月に入った頃だった。

「お前らちゃんよやれよ! 使えねえな!」

研修医も看護師も怯えている。

急変は突然だった。

検査目的で入院した患者が入院したその日に致死性不整脈が出現し状態が急変した。

心電図モニターで発見し、病室に行くと患者は意識を失い痙攣していた。

不整脈の既往はなかった。

ただでさえ急変ということに足がすくむほど緊張しているのに。

指示を出す医者が一番余裕なくてテンパってる。

一番厄介なパターンだ。

「ルート入ってないってどういうことなんだよ!」

若いナースに怒鳴る。

「ルート取りました」

ルートキープをしていた私はできるだけ冷静に伝える。

荒ぶっている医者は乱暴に点滴の指示を口頭でぶつけてきた。

それを素早く準備してつなげ、薬剤を投与する。

今ここにいる看護師の中で四年目になった私が一番上。

看護師のリーダーとしてできることをする。

研修医が心臓マッサージをして循環を維持している。

うるさい医者はバッグバルブマスクで患者の呼吸を維持しようとしている。

バイタルチェックは鈴木さん。

血圧は測れないだろうから、モニターのチェックを二分おきに声に出させよう。

鈴木さんはそれで手一杯。

記録は三年目看護師に任せる。

他の看護師に人工呼吸器、パラパックの手配はした。

輸液ポンプはもう揃えた。

私はルートキープを終えたところ。

そして次に使用するであろう薬剤と気管挿管の準備をしているところ。

中心静脈カテーテルの準備は外回りをしながら病棟を守ってくれてる同期がしてくれている。

あとはさっきから喚き散らして使い物にならない医師をどう落ち着かせるか。

正直、医師がもう少しいて欲しい。

心臓マッサージも一人でやるには限界がある。

「二分たちました」

不整脈はまだもどらない。

AEDをかけるがたちなおらない。

指示された強心薬を投与する。

その時だった。

さっきから喚き散らしている医師の背後に別の医師が立つ。

喚いている医師の肩に手をかけ、落ち着いた声をかける。

「松本先生。君は研修医と心マ代わって。少し頭を冷やしなさい」

南先生。

すごく落ち着いている。

南先生はバッグバルブマスクを受け取り、患者の換気をしながら点滴や薬剤の指示を出す。

いつものピリピリした感じではなく丁寧で落ち着いている。

看護師一人一人の名前を呼び指示を出す。

「研修医はもう一ルート取って。反対の正中でいいから。後でCV入れるけど、すぐアミオダロン使いたい。とりあえずそれでもたせよう。ルート入ったらアミオダロンをプロトコール通り落として、もう1ルートはそのままIV用に使って」

指示を出しながら患者の状態を探っている。

「呼吸安定させたいね。青木さん。挿管できる?」

「準備できてます」

「介助お願い」

南先生は患者の頭上に立つとあっという間に挿管した。

スタイレットを抜き、バッグバルブマスクを挿管チューブに付け替えてチューブの確認をする。

「大丈夫そうだね。右口角二十二センチ。固定しよう。」

先生はステートを耳から外しながら言う。

挿管チューブを固定しながら応援に来た医師達に指示を出す。

主治医チームが全員揃ったようだった。

二分がたち、心電図をチェックすると窒死性不整脈はおさまっていた。

「まだ波形安定しないから心マは続けて。研修医、松本先生と心マ変わってあげて。松本先生はレスピの設定頼んだ」

いつの間にか病室には他のオーベンの先生達がきていた。

原因が何なのかとか、すぐにICUに転棟させるといった話をしている。

ベッド周りを整えていると背中を優しく触られた。

「美穂ちゃんありがとう。すごく心強かった」

顔を上げると南先生が病室を出て行くところだった。

南先生、今、私のこと名前で呼んだ。

周りを見たが誰も気付いていない様子だった。


患者はすぐにICUへ転棟となり、状態は安定したという。

仕事の最後に日勤メンバーで急変の振り返りをしたため、仕事が終わったのはいつもよりもずっと遅い時間だった。

休憩室では南先生話で盛り上がっていた。

「南先生ってすごいですね」

「すっごいカッコよかった。主治医じゃないのになんか落ち着いてたし」

「主治医の松本先生ヤバかったね」

「あれには幻滅ですね」

「それに青木さん冷静でホントすごいと思います」

後から休憩室入った私に気づいた後輩が言ってきた。

「私、大分慌ててたよ。怖かったし、足が震えてた。ルート取れるか全然自信なかった。正中になんとか入った感じ」

「私、昔南先生と急変当たった事あったけど、その時も優しかったなあ。その時から南先生のイメージ変わったよ。美穂、南先生と急変初めて」

病棟で唯一の同期の増田が聞いてくる。

「ここまでの急変はなかったかもね。増田は南先生と急変あるんだね」

「あの、青木さんが増田さんのこと増田って呼び捨てするのいまだに違和感なんですけど」

「すっごい分かりますそれ! なんで呼び捨てなんですか?」

増田と顔を見合わせる。

「学生の頃から増田のことはみんな増田って言ってたからねえ」

「青木さん全然そういう風に言いそうな感じしないのに」

増田との話が終わった後も休憩室はまた南先生の話でもちきりだった。

ちょっと誇らしいと思った。

「そういえば南先生って結婚してるんですか?」

後輩看護師がそんな話題をふった。

「結婚してないはず。美穂知ってる?」

「してないよ」

「なんか不倫してたって聞いたことあります!」

「私、レズって聞いたことあるかも!」

レズという言葉に血の気が引く。

「どうせあれでしょ?厳しくされた研修医が腹いせに変な噂流してるだけじゃない? ひがみとかやっかみとかさ。私は今までそんな浮いた話聞いたことないよ。確かにキツいけど、言ってること間違ってないし、誰よりも患者のこと考えてるよね」

増田の言葉に救われる。

でも、同性と付き合うことになぜそんな言われ方をされなきゃいけないんだろう。

何で不倫と同等の扱いをされなきゃいけないんだろう。

南先生は私のことすごく真面目に愛してくれてて、私だって大好きで真剣に愛してるのに。

ちょっとキツイかもしれないけれど、南先生の真摯な仕事ぶりへの嫉妬で、先生を揶揄する言葉として使われるのにも腹が立った。

手にしていたスマートフォンが震える。

「仕事終わった? 私、珍しく今日お腹空いちゃったんだけど一緒にご飯食べに行かない?車で来てるから駐車場で待ってるね」

先生からの連絡だった。

思わずニヤけてしまう。

「お先に失礼します」

そう言って賑やかな休憩室を出た。

先生に今日の事、色々聞こう。

それで、アドバイスもらおう。

名古屋のことがあってから、恋人としても仕事のことでも距離が近くなった実感がある。

あと、南先生が落ち着いてて、的確で、すごくカッコよかったこともちゃんと伝えよう。

疲れているはずなのに、明日も日勤なのに、これから南先生に会えることで色んなことがどこか飛んでいってしまうようなそんな気分だった。

南先生が私の恋人という事実に自然と笑顔になる自分がいた。

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