北高の数奇な日常

須田玄

第1話 国語教師 道明寺忠行

「ここは作者の気持ちを理解するんだ」

 作者の気持ちを理解する、だと?

 国語教師を続けて齢三十八となるが、このセリフは口にする度に恥ずかしくなる。    そんな簡単に人の気持ちが理解できるものか。昨日、彼女だった美幸に「忠行は国語教師のくせに私の気持ちを理解してない!」と言って振られてしまった。俺、もう三十八だぞ。どうすんだ、これから。

 そんなこと考えてる場合ではない。

 俺は今日も、このうすら寒いセリフを吐きながら授業をしている。ほとんどの生徒は聞いちゃいないが。

 寝ている奴、私語をしている奴、そもそも授業に来ない奴。色んな奴がいる。

 そして目の前の奴はイヤホンで何かを聴いている。何かとは言ったが、大方予想は付いている。今日はドラフト会議だ。現にこいつは野球部のジャージで授業を受けている。朝練をしてきたのだろう。

 俺は注意するのも面倒で、適当に流していた。

 その時突然、野球部の彼が立ち上がった。かなり動揺している様子だ。

 「どうした?自分の名前でも呼ばれたのか?」

 俺は冗談めかしてそう言った。野球部の彼は、一呼吸置くと、はっきり言った。

 「先生の名前が呼ばれました」

 「…は?」

 「道明寺忠行なんて名前、同姓同名の人がいるわけありません。先生、野球やってたんですか?」

 「…ハハッ、あんまり先生をからかうもんじゃないぞ。俺なんて生まれてこの方、体育の授業以外でバットを握ったことなんてないんだから」

 俺は軽くそう言ったつもりだったが、教室の様子が何かおかしい。みんなスマホの画面を見ている。

 俺はどうしたのかと、野球部の彼の隣の席にいる子の画面を見せてもらった。

 ドラフトの中継におふくろが映っている。

 「忠行は努力熱心でね…」

 そう言いながら、号泣している。

 いや、野球に関しては努力したことないんだわ。

 でもここにおふくろが映っている以上、俺がドラフト指名されたのは事実らしい。

 俺はジャケットを肩にかけると、教室を出た。

 ドアがガラッと開き、生徒が追ってくる。

 「先生、どこ行くんですか?」

 まるで授業の続きをしてください、とでも言いたげな口ぶりだな。

 俺は勝ち誇ったような顔でこう言い放った。

 「俺の気持ちを理解してみろ」

 その生徒は、何言ってんだあいつ、みたいな顔でポカンとしていた。

 俺はそいつを尻目に、教室に踵を返した。

 バットはほとんど握ったことがない。グローブは持っていない。そもそも野球って何人でするスポーツだっけ?十一人だっけ?

 不安はある。正直かなり予想外だ。でも俺の気持ちは今までにないくらい踊り狂っていた。

 さて、沖縄キャンプの準備をしないとな。

 俺の人生、ようやく面白くなってきたぜ。

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