バレンタインに乾杯

ゴオルド

第1話

最近同棲したばかりの松崎陽奈子は、その冬の朝、慌てて出勤の支度をしていた。遅刻ぎりぎりの時間である。彼と一緒に眠るとあたたかくて幸せで、つい二度寝してしまうのがいけない。

身支度を終えた陽奈子に、彼がラッピングされた小箱を差し出した。包装紙には有名なチョコレートショップの店名が入っている。

「あっ、今日ってバレンタインだったね。ごめん、私チョコ用意してなかった」

「だと思った。だから僕が用意してみた」

陽奈子は彼氏にキスして、慌てて家を出た。そして、チョコを手に持ったままバス停に向かって走り出した。


陽奈子の勤め先は総合病院である。看護師である陽奈子は病院に着くと更衣室に駆け込み、大慌てで着替えを済ませ、病棟内の看護師休憩室にバッグを投げるようにして置いて、ナースステーションに滑り込んだ。まだカンファは始まっていない。セーフ!


そのとき、同僚看護師の長野麗花が、そっと休憩室に入っていった。

麗花は部屋に誰もいないのを確認するため室内を見回した。畳敷きの和室にバッグが10個ほど転がっているだけで無人である。この病棟の看護師は、更衣室まで私物を取りにいく面倒を省くため、弁当や飲み物、スマホなんかはこの休憩室に置くようにしていた。

麗花は、陽奈子のベージュ色のバッグ見つけると、中をあさり始めた。チョコを持ってきてないかどうかのチェックである。もしイケメンの里中先生へ渡すつもりなら邪魔しなくては。最近陽奈子は怪しいのだ。どうも恋をしている気配を感じる。恋敵なら潰しておかないとね。予想通りチョコが見つかったので、発見したチョコを自分の赤いバッグへしまい込んだ。妨害成功!


午後になり陽奈子は退勤した。バッグからチョコがなくなっていることには気づかない。

陽奈子と入れかわるように遅番で出勤してきた看護師の小山悠人は、休憩室に自分のバッグを置きに来たとき、赤いバッグをうっかり蹴ってしまった。しまった、片思い中の麗花ちゃんのバッグを蹴ってしまうだなんて。

そのとき、悠人は、はっとした。きれいに包装された小箱らしきものが麗花のバッグから顔を出していたのだ。今日はバレンタイン。これはチョコであることは間違いない。まさか俺へのチョコだろうかと一瞬妄想したが、そんなわけなかった。麗花がイケメン医師に夢中なことは誰の目にも明らかなのだ。これはきっとイケメン里中へのチョコだ。

悠人は嫉妬にかられて、チョコの包みを開けた。こんなチョコ俺が食べてやる。

包みの中からチョコと「陽奈子、愛してる」と書かれたメッセージカードが出てきた。

「百合だったあああああああああ」

悠人は膝から崩れ落ちた。


悠人がよろよろと休憩室から出てきたところを、シングルマザーの古賀真理恵が目撃した。8歳の娘が熱を出してお腹を壊したため、この病院で検査を受けているのだ。

「れいかちゃん、なんてことだ……。予想外すぎる……。うう、どうしたらいいんだ……」と看護師がつぶやくのを聞き、真理恵は胸を押さえてよろめいた。

「れいかが、うちの玲香に大変な病気が見つかったのね」

真理恵は別れた夫に電話し、病院に来てもらうことにした。昔は仕事仕事で娘のことなど顧みなかった夫が、すぐに駆けつけてきた。夫が来てくれて少しほっとする自分に気づく真理恵だった。

元夫婦の二人は深刻な面持ちで、イケメンの医師から説明を受けた。病名は風邪だった。

「もう帰っていいですよ」と言われ、元夫婦は拍子抜けした。

父親は一体何を誤解したんだと呆れ、母親はごめんとしょげ返り、子供が私もう大丈夫だからと言い、わいわい騒ぎながら、三人はどこか明るい雰囲気で帰っていった。



夜になり、雪が降ってきた。

病院は夜勤のシフトに切り替わり、当直の里中医師はナースステーションでパソコンをいじっていた。午後に診察した子供の両親のことを思い出す。元夫婦だと言っていたが、よりを戻しそうなムードだった。里中は「再婚するかもなあ」と嬉しそうにつぶやいた。おっと、そろそろ彼女に電話する時間だ、パソコンで遊んでる場合じゃなかった。里中は当直室へと去っていった。

ナースステーションにいた看護師は、重大な事実を知って震えていた。


『里中先生バツあり発覚! なおかつ再婚の予定あり!』


衝撃の知らせは、瞬く間に院内を駆け巡った。


麗花と一部の看護師はショックで膝から崩れ落ちた。

50代の看護師長が遠い目をした。

「人生、いろいろあるわね。再婚する人もいれば、離婚を決意する人もいる」

ナースたちは息をのんだ。

「私、夫と別れることにしたわ」

なぜこのタイミングでそんなカミングアウトを? だが、そんなことはどうでもよかった。

みんなでコーヒーで乾杯した。

看護師長の未来に幸あれ!

麗花と悠人も泣きながら乾杯した。

みんなの未来に幸あれ!



陽奈子が家に帰ると、彼がチョコを食べたか聞いてきた。

「ごめん、まだ。今から一緒に食べよ」

バッグの中を探してみたが、ない。

「あれ? 職場に置いてきちゃったかなあ?」

「もう~」

「ごめんごめん」

「今夜は許さないぞ(はあと)」

「やだぁ~(はあと)」


<おしまい>

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バレンタインに乾杯 ゴオルド @hasupalen

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