フェンザムン~漆黒と深淵~

フェンザムン委員会

王都脱出

第一話

 その日、後世の歴史家から「フェンザムン王国の転換点」と呼ばれる、王国暦三九二年、七番目の月の十二日は、当時を生きた人々にとって不吉な日として記憶された。夏の暑さに慣れてきた人々が額の汗を拭っていると、それは不意に現れた。抜けるような青空を仰いだ誰かが声を上げた。

「太陽が、欠けてるぞ……!」

「本当だ! 太陽が……スルトに食われてる!」

 後の時代の言葉で言えば、それは日蝕と呼ばれる天体現象だった。しかし、数十年に一度、恒星と惑星と衛星の位置関係で起こるこの現象を、当時の人々はまったく違う理解で見上げていた。彼らの知識で言えば、それは世界の終わりの始まりだった。炎の巨人スルトが、自らの力を増幅させるために燃える太陽を喰らい、太陽をなくした世界を焼き尽くす。『ラグナロク』の始まりである。

 突如真昼に現れた凶兆と徐々に暗くなる空に、人々が悲鳴を上げたり祈りをささげたりしているうちに、古の王はその手で太陽を覆い尽くし、そしてやがて引っ込めた。その様を一部始終目撃していた民衆は、世界の終わりが始まったのだと信じた。

 そんな不吉な日、ひとつの予言が下された。

 曰く、『七つ星の廻りに生まれる王の子らの剣で、古の玉座の支配は砕かれる』ーー。

 王国年代記のその日の記述は、次のように結ばれている。

『その予言が下った直後、第三十二代フェンザムン国王ガントスに、男女の双子が誕生した』



*** *** *** ***



 真夏の太陽の光すら拒絶するような荘厳な造りの大講堂では、学長が重々しい声で学生たちに語りかけていた。学年末お馴染の学長の大演説は、当人の陶酔にも似た高揚感も混じってよく響き渡っているものの、聞いている学生の胸に響くかはまた別の問題だった。

「生徒諸君もよく知っているように、フェンザムン王国は約五百年前、その始祖、偉大なるエルディン王が魔物を討伐し、太古の邪悪な王を打倒して始まった。その子孫たるフェンザムン王家は代々、いにしえよりの魔物から国を守護する役目を担っておられる。ゆえにフェンザムン王家にお仕えする我らも、身分を問わず皆王国を守護する者である。休みの間もそのことを忘れず、務めを担う者としての自覚ある生活を送るように。以上」

 満足げに語り終えた学長は堂々とした足取りで講壇を降り、学生たちはそれぞれの学級ごとに講堂を後にした。この演説が終わると、今学期の課程は修了となり、学生たちは翌日には故郷に帰ることになる。

 ここは大陸の南側、中央部に位置する港町、エメラルダにある、私立フォートレス学園である。第三十三代フェンザムン国王、カナタス・フェンザミアは、十一歳から十七歳の夏までをここで過ごした。後の肖像画に金の髪と青い瞳の偉丈夫として描かれる王は、この時まだほんの十七歳の少年とも青年ともつかない若者だった。


 カナタスが食堂で自分の分を受け取っていると、後ろから友人のリートが声をかけてきた。

「ようカナトス。帰り支度は終わったか? なら今日の午後は暇だろう? 街へ行かないか?」

 彼はひとつも答えさせることなく午後の予定を勝手に決め、二人分の席を確保してさっさと座ってしまった。いつも通りのその光景に呆れながら、カナタスはその隣に腰を下ろす。一人で先に座った割に食事に手を付けるのは律義に待っているリートに礼を言い、カナタスはパンを千切った。

「街って、妹へのお土産でも買うのか?」

「そうそう。俺一人だとアイディアに限界があるから、たまには違う意見も聞きたくてな」

「俺に贈り物のセンスがあるとは思えないけど」

 鳶色の髪と鮮やかな新緑色の瞳の友人は、片目を瞑って肩を竦めた。

「アリアの反応がどうしても駄目そうだったらおまえのせいにするから大丈夫だ」


 当時の入学記録に、カナタス・フェンザミアの名はない。ここでの彼の名は、カナトス・クロスフィールドといい、彼の正体を知る者は一人もいなかった。親友であるリートにさえ、そのことは秘密だった。一方、リートの方にもどうやら秘密があるらしく、彼は妹以外の家族のことを一言も話そうとしなかった。

 ふたりはその日の午後、街へ出かけ、露店の前でああでもないこうでもないと散々議論を交わした末、ここエメラルダの海の色とよく似た石のブローチを買って帰った。店主が言うには、それは大陸の西端のさらに向こうにある島々で採れる石で、貴重な品なのだという。

「おまえは家族になんか買わなくていいのか」

 そう聞かれたカナタスは黙って首を振った。学園に来たばかりの頃は物珍しさから双子の姉や父にも見せようと色々買って帰ったのだが、それを見た叔父モルガンは冷たく言い放った。王族が、そのような庶民の品で喜ぶなどみっともない、と。以来カナタスは王城で学園での生活についてほとんど話さなくなった。

 リートはそれ以上深くは聞いてこなかった。フォートレスに所属する貴族出身の学生の多くは次男三男で、嫡子との扱いの差を顕著に見せつけられ、故郷を追われるようにしてやってきた者たちだったから、リートもカナタスのことをそのように解釈していたのだろう。その解釈が間違いであるとはいえない。物心ついた時から次代の王は双子の姉ミナネスだろうと誰もが思っていたし、それはカナタス自身もそうだったからだ。

「じゃあ帰ろうぜ」

 リートがそう言って、後ろで一つに括った肩までの髪を颯爽と靡かせて歩き出すと、細い道の両脇の店から店の主人たちが顔を出した。

「おや、リートじゃないか。どうしたんだこんな時間に。サボりか?」

 茶化すように言った肉屋の店主にリートが応じた。

「もう終わったよおっちゃん。明日から休暇!」

「じゃあお前さん、しばらく帰っちまうのかあ。夏の間は手伝いがいねえなあ」

「うちもだよリート。夏休みもこっちに残っちゃくれないかね」

 リートは肩を竦めて、妹に会いたいから、と照れもせずに答えた。そりゃあ仕方ないねえ、と店主たちは引き下がり、気を付けて帰るんだよ、と手を振って店に戻っていった。

 カナタスの親友は、奨学金でフォートレスに通っていた。全学科で学年五位以内を保つことを条件に学費を全額支給する、フォートレス独自の制度によって、リートは入学以来奨学生を続けている。しかし、支給されるのは学費と寮費と授業がある日の食事代のみであり、家と学校の往復の旅費やその他の出費に関しては自分で何とかしなければならない。実家からの援助を一切期待できないというリートは、授業の合間に町に出て店の手伝いをして稼いでいた。そういうわけで彼はこの町のほとんどの店と顔馴染だった。

「相変わらずすごい人気だな、リート」

 帰ると聞いて食料やら外套やらを渡してくれる人までいる始末で、カナタスは持ちきれなくなった友人の分の荷物を持ってやった。

「こっちにアリアを連れてきてやれれば……、もう何も言うことないのにな」

 ぼそりと呟いた声を、カナタスはそっと胸の内にしまった。それに対しての反応をリートが望んでいないと分かっていたからだった。


 翌朝早く、まだ日も昇りきらないうちに、リートは愛馬のアルベルトに乗って故郷へ帰っていった。アルベルトはリートが十五歳の時、突然匿名の人物から学園のリート宛てに送られてきた鹿毛の牡馬だった。送り主は未だに不明だが、リートは構わずアルベルトと名付け、以来演習も帰郷の旅もこの馬と一緒にしていた。

「じゃあな! 達者でな! 休みの間、カナトス様に会えなくて寂しいですって愛の詩を送ってやるよ」

「おまえ、俺で恋文の練習するのやめろよ! 返すのどれだけ大変だと思ってんだ!」

「毎回律義に拙い文を返してくれるところ、大好きだぜ」

 カナタスの心配をよそに軽口をたたく親友は、ひらりとテオに跨って学園の門を後にした。太陽が顔を出し、海から吹きつける湿度の高い風が町を熱し始めた頃、他の学生を迎えに、それぞれの家の馬車が学園の前庭にやってきた。カナタスの迎えの馬車はその中でも最初の方にやって来て、さっさとカナタスを学園の空気から引き離してしまった。海沿いの道を走る馬車から水平線の彼方を眺めながら、この景色もしばらく見納めか、と考える。それどころか、来年の夏にはカナタスは卒業である。卒業後カナタスがどうなるのかはカナタス自身にもよくわからなかった。姉を補佐しながら王城で生活するのが妥当な将来のような気もするが、いまひとつ現実感のない想像でもあった。美しく聡明な双子の姉に、自分の補佐など必要だろうか。どちらかといえば、要所でもなければ見栄えもしない国の片隅に領地を分け与えられ、王家の利となる相手と結婚させられて面白みもなければ不安もない、ごく平凡な領主としての人生を送ることになるような気がしていた。

 今年の夏はそのあたりを父であるガントスに聞いてみようなどと思いながら、いつしかカナタスは眠りの世界に引きずり込まれていた。彼はまだ、これから起こる出来事も、自らが歩むことになる過酷な道も知らなかったから。

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