第693話 プリニオの思惑
次の朝、俺は自分の部屋でプリニオを待つのではなく、こちらからプリニオの執務室へと向かう。奴を自分の部屋に入れたくないからだ。
部屋の前ではプリニオの衛兵が警護に当たっており、俺の姿を確認すると敬礼をして声を掛けてくる。
「これはアシヤ・イチロー伯爵! プリニオ宰相との面会でございますね?」
予め面会依頼をして来た使者にはこちらからプリニオの元へと向かうと連絡してあるので、その話が通っている様だ。
「あぁ、そのつもりで来た。プリニオ宰相は中に御在室か?」
「はい、少しお待ち下さい!」
衛兵は扉越しに部屋に向き直ると、中のプリニオに声を掛ける。
「イアピース国のアシヤ・イチロー伯爵が来られました!」
「入って頂きなさい」
中からプリニオ自身の返事が返ってくる。そして扉が開けられて俺は中へ進む。
「これはこれはイチロー様! 聖剣の勇者様にご足労をおかけいたしまして、すみません! どうぞお掛け下さい!」
執務机の所に座っていたプリニオが歓迎の笑顔で立ち上がる。
「いやいや、こちらこそ居座っている客人の身分だから、足を運ぶのは当然だ」
そう言って、応接用のソファーに腰を下ろすと、ネイシュの言っていた例のメイドがお茶を運んでくる。
「イチロー様、こちらをどうぞ…」
見た目はかなり良いメイドであるが、出会ったばかりのネイシュよりも無感情・無表情でまるで動く人形のようなイメージを受ける。しかし、ネイシュが戦闘では敵わないと言っていた通り、それなりの実力は伺える。暗殺者系の人間って、無感情・無表情になるものなのか?
メイドは俺にお茶を差し出した後、同じポットでプリニオにもお茶を差し出し、プリニオが口元にティーカップを運びお茶を一口含む。その姿を見た後、俺もティーカップを口元に運びお茶を飲む。
「さて、イチロー様に御足労頂きましたのは、お願い事が御座いまして…」
ティーカップを降ろしたプリニオが口を開く。
「あぁ、また討伐依頼だろ?」
プリニオが要件を言う前に俺がお願いの内容を口にする。
「はい…その通りでございます…現在カイラウルは先だっての魔獣やアンデッドの被害で、首都近辺を警護するだけの兵しかおりませぬ… なので、聖剣の勇者のイチロー様のお力をお借りするしかないのです…」
プリニオが申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
俺がこのカイラウルに来て、プリニオから魔獣の討伐依頼をされたのはこれで二回目である。プリニオの言っている様に、魔獣の侵攻やアンデッドの大量発生でカイラウルの軍は壊滅状態で首都の周辺を警護するだけの兵力しか残っていない。とても魔獣を討伐する事なんて出来ないであろう。
俺も元々は冒険者なので、その辺りの依頼をされるのは慣れているし、それが当然の事だと思っているが、依頼者がプリニオという事もありあまりやりたくない仕事だ。かと言って断ると回りまわってシャーロットが困る事になるし、客人としての俺の立場も悪くなる。なので断る事は出来ない。
「で、討伐対象と場所は?」
「引き受けて下さるのですか!? 有難うございます!! 現れたのはタイガーの群れで場所は、コルドバ集団農場です」
例のメイドが俺の前にすっと地図を差し出す。
「あぁ、ここか、ここなら今から言って日が変わる前に帰って来れるな」
地図から見ると姫扱いされていた男性がいた集団農場だな…
俺はティーカップを手に取りぐっと飲み干し、そしてすっと立ち上がる。
「じゃあ、早速行ってくる。今日中に終わらせたいからな」
「おぉ! これからすぐに向かって下さるのですか! 有難うございます!! 集団農場で働く者たちも喜ぶことでしょう! 聖剣の勇者に感謝を!」
仰々しい感謝の言葉に俺は胸の内で『一番喜んでいるのはお前だろう…』と毒づきながら部屋を出た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
プリニオはイチローが退出する背中を表情だけではなく心からよろこんでニコニコ顔で見送った。そこへメイドが新しいお茶を差し出しながらプリニオに尋ねる。
「プリニオ様、幾つかお尋ねしてもよろしいですか?」
いつもはこちらの返答に『はい』か『いいえ』ぐらいしか言葉を口にしないメイドが自分から質問を投げかけてくることにプリニオは意外に思う。
「ヴラスタさんから質問とは珍しいですね、私に何が聞きたいのですか?」
プリニオは新しいお茶が入ったティーカップを口元へ運び、その香りを嗅ぎながら答える。
「先ずはシャーロット様をこのまま帝位につけてよろしかったのですか? 前のカスパルのままの方が扱いやすかったのでは?」
「あぁ…その事ですか…現状ではカスパルのままでも良かったのですが、そろそろカスパルに献上する女を調達するのも厳しくなってきましたからね…前の私…アルフォンソが暗殺された事で、外部からの動きもあるので、そのままでは続けられなくなってきたのですよ」
一頻り説明した後、お茶を口に含む。
「そうなのですか? プリニオ様なら出来ると思いますが…」
「確かにやれば出来ますが無理をせねばなりません、そうなると尻尾を掴まれる可能性が高くなるのです… 暗殺もされましたしね… そこで私は今までの悪行を以前の私、アルフォンソに押し付け、新しい私であるプリニオは手を汚さないように心がけているのですよ… 私の暗殺を企んでいる者や私を排除しようと考える者の大義名分とならないようにね…」
プリニオが説明したとおり、今のプリニオはアルフォンソの様な悪行には一切手を出していない。それはプリニオが改心した訳ではなく、アルフォンソの時に賄賂や横領で溜め込んだ財を使った贅沢の極みは既に飽きる程体験しており、財を溜め込む事に魅力を見出していない事もある。そうしてプリニオは周りの者にクリーンな自分を演出しているのである。
「しかし、シャーロット様の侍女…おそらくイチロー様の息のかかった者だと思いますが、あの侍女はプリニオ様に会う度に隙を伺っておりますが…」
「あぁ、あの者の事ですか、あの者についてはヴラスタさんのお陰で助かっております。貴方がいなければ今頃暗殺されているでしょう… ヴラスタさんが常に目を光らせているお陰ですよ」
プリニオは無表情のメイドに微笑みかける。そして言葉を続ける。
「そういう訳でカスパルが不要になり、シャーロット様を帝位に付けた訳ですが、それは別にカスパルがいらなくなっただけではありません。他にも重要な理由があります」
「その理由とは?」
「アシヤ・イチローの篭絡です」
「シャーロット様を帝位につけることがアシヤ・イチローの篭絡とどう繋がるのですか?」
プリニオはティーカップを降ろすと、ヴラスタに向き直る。
「アシヤ・イチローという男は非常に女好きの好色男ですが、女に目が眩んで人類を裏切る様な男ではありませんでした。かと言って、女を気軽に捨てられるかというとそうではありません。非常に情の深い人間に思えます。一度、情の移った者は簡単には切り捨てられないでしょう」
プリニオはヴラスタにティーカップを差し出すと、ヴラスタは当たり前の良く慣れた仕草でお代わりを注ぐ。
「アシヤ・イチローは恐らく確実にシャーロット様に情が移っているでしょう… そして、自分の息のかかった侍女を側に付けて居ても、シャーロット様が私の傀儡になるか魔族の手に落ちる事を非常に恐れています」
「それは我々の目的ですからね…」
「いえ、ヴラスタさん、シャーロット様を傀儡にしたり我々の手に落とす事は手段であり、目的ではありませんよ。我々の目的はこのカイラウルを魔族の手中に収める事…いやこれすらも手段ですね、真の目的は魔族側が勝利する事です」
「失念しておりました。申し訳ございません…」
ヴラスタは頭を下げる。
「いえいえ、頭を下げる必要はありません。末端の者にとっては上の物が考える手段が目的になるのですから、ヴラスタさんのように考えるのは当然です。ただ時には大局を見通す目が必要だという事です」
「流石はプリニオ様です」
ヴラスタはプリニオを讃えるが、無表情で口にしているのであまり讃えている様には見えない。しかし、プリニオはその言葉にふふっと笑みをこぼす。そしてヴラスタに前のめりになって説明する。
「話は逸れましたが、アシヤ・イチローは今の隣国の客人という立場ではシャーロット様の身を護ることに限界を感じるでしょう… 物理的にも人材的にも、そして…時間的にも… だから私はアシヤ・イチローを後押ししてあげるのですよ… このカイラウルで武功を得て名声を高め、常に堂々とシャーロット様の隣に居られる相応しい人物となる様に…」
「それは一体どういう意味ですか?」
「シャーロット様の夫として帝位に就いて頂くのです」
「アシヤ・イチローが帝位に就く事と我ら魔族の真の目的とどう繋がるのですか?」
ヴラスタは先程と同じく無表情で尋ねるが、プリニオには口調でヴラスタが興味を惹かれて興奮していることが分かる。
「アシヤ・イチローが帝位につけば、近くでシャーロット様の身を護ることが出来ます。しかし、今まで良好な関係を築いていたイアピースもウリクリも態度を替える事でしょう… 今までは自分たちにとって都合の良い手駒か手綱のついた犬程度に思っていた存在が自分たちと対等な立場になるのですからね…それに他国から見てもイアピースが傀儡国を作ったと思われます…だから、イアピースはアシヤ・イチローと手を切って無関係を装いアシヤ・イチローと敵対するか、それとも友好関係を保って、他国から魔族との戦時中に他国を傀儡国にしたという汚名を被るかの二択になりますね…どちらにしろ渦中のアシヤ・イチローの立場は危うくなります」
プリニオはニヤリと口元を歪める。
「そしてアシヤ・イチロー並びにカイラウルはそのままだと魔獣とアンデッドの災害からの復興もままならない状態で各国から交易も断ち切られ食う事も困る状態に陥り、その弱った所へ他国の粛清軍が派遣される流れになるでしょう… そこで魔族がアシヤ・イチローとその仲間、そしてカイラウルを保護する代わりに手を組むように持ちかけるのです… その時のアシヤ・イチローは魔族の手を握るほか生き延びる道は無いはずです」
プリニオは一頻り、説明し終えると椅子の背もたれに身体を預けティーカップに手を伸ばす。
「なるほど、そこまで壮大な計画を立てておられたのですね、流石ですプリニオ様…しかし、アシヤ・イチローがシャーロット様の事を見捨てたり、そんな危機的状況になる前にプリニオ様をもっと精力的に排除しようとする恐れは無いのですか?」
「確かにその可能性も僅かにあります、しかし、シャーロット様を見捨てたアシヤ・イチローはその後アシヤ・イチローに足りえなくなってゆく事でしょう…人は一度自分の信念の様な物を曲げてしまうと、坂を転がるように曲げ始めてしまうものです。転げ切った後のアシヤ・イチローの篭絡は容易いものでしょう… 私の身に関しての事は私はプリニオになってから尻尾を掴まれるようなやましい事はしていません… だが、カスパルの遺産を装った例の件はさっさと済ませておく方が良いかもしれませんね」
「なるほど、安心しました、やはりプリニオ様は凄いお方ですね…お茶のお代わりはいかがですか?」
「えぇ、頂きましょう! ヴラスタさんのお茶は美味しいですからね」
プリニオはニッコリした顔でティーカップを差し出す。
「そう言って頂けると幸いです」
ヴラスタはいつもの無表情でお茶を注いでいるが、プリニオはその仕草からヴラスタが喜んでいる事が分かったのであった。
連絡先 ツイッター にわとりぶらま @silky_ukokkei
pixiv http://pixiv.net/users/12917968
ブックマーク・評価・感想を頂けると作品作成のモチベーションにつながりますので
作品に興味を引かれた方はぜひともお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます