第513話 帰って来たイチロー

 別に目を閉じる必要は無いが、俺は目を閉じて転移に備える。五感の一つである視覚の情報だけを制限している訳だが、その他の感覚、耳からは周囲の音が聞こえるし、味は全く感じないがゴクリと呑み込む生唾の感覚、あたりの空気が鼻を通して体内に流れる感覚、そして、俺の手をぎゅっと握り締めてくる汗ばんだカローラの手の感覚を感じる。



(では、向こうの私をよろしくお願いしますね。その頃はバカなのでちゃんと未来の私がマスターイチロー様を送り返せるように教育してください。後… アレは止めて下さいね)


 

 そんな俺にアシュトレトは脳内に直接語り掛けてくる。アシュトレトのアレが何を刺しているのか明言はしなかったが、俺にはなんとなく察しがついた。恐らく召喚と送還を使った致し行為の事について言いたいのであろう…

 一応、今回手詰まりになっていた俺たちを助けてくれたのと、天文学的年月を経て神格化した相手なので、検討する(しないとは言わない)と答えようと考えたが、電話の通話を切られたような感覚を感じる。

 

 そして、『あっ、切られた』と思った瞬間、俺たちの周りの空気が、長時間乗車していた車内から外に出たように切り替わり、耳から感じる周囲の音も、ヘッドホンを外したように、一瞬で切り替わる。



「切れたか… 転移が…終わったのか…?」



 なんだか、用事が済んだらそそくさと帰るような神アシュトレトの通信切断に素っ気ないなと思いながら、俺はそう呟いて薄っすらと固く閉じた瞳を開いていく。

 屋内の薄暗い景色に対比的にステンドグラスを通して差し込む眩しい光。周囲の音も先程の先程までいた遠くの生活音のある状態から、まるで人のが全く消えたかのようなシーンと静まり返った中、俺自身の生唾を飲み込む音と、カローラの長髪が揺れる微かな音しか聞こえてこない。


 だが、俺は完全に目を見開き辺りを見る。ここは間違いなく俺が現代日本に送られる前にいたホラリスの大聖堂の中である。



「本当に帰って来たのか?」



 現代日本で結構な時間を過ごしたので、曖昧な記憶を辿りつつ、大聖堂内を見回して異世界に帰還した事を確認しようとする。そんな曖昧な記憶で確かにここはあの時転移させられた大聖堂とは思うが、全く人気が無く、NPCの配置を忘れたゲームの中のような感覚にとらわれる。



「イ、イチロー様… もう、目を開けてもいいですか…?」



 ぎゅっと目を閉じたり俺の手を握っている俺の隣にいるカローラが尋ねてくる。



「あぁ…大丈夫だ… もう目を開けてもいいぞ」



 そんなカローラに俺が声をかけると、用心深い仕草をしながらカローラが徐々に目を開いていき俺と同じように辺りを確認し始める。



「ここって… 私の城じゃなくて… 日本に行く前のホラリスの大聖堂…ですよね…」



 カローラはキョロキョロしながら確かめるように俺に尋ねてくる。



「あぁ… そうだと思うんだけど…」



 俺は生返事で答える。



「にしては、誰もいませんね… 窓から差し込む光を見る限り昼間だと思うんですが… この時間から誰かが掃除とか手入れとかしてそうなのに誰もいないなんて、不思議ですよね…」


「だろ? 俺も誰か出迎えでスタンバっているとか思っていたんだけど、出迎えどころか、普通に誰も人気が無いのでちょっと気味が悪いんだよ…」


「もしかして… 戻る時間を間違えて、時間が経ちすぎて人類が魔族に滅ぼされて後に戻されたんじゃないですか?」



 カローラは俺も心の奥底でもしかしてと考えていた最悪のケースをなんの躊躇いも無くポロリと口にする。



「いや、あそこまですごくなったアシュトレトがそんなミスをするはずが無いと思うけど… もしそんな状況だったら、流石に俺と聖剣があっても逆転するのは不可能だぞ?」


「そうですよね… ゲームのラスボス戦で今まで全く育てていなかったキャラが強制出撃になって、そのキャラが死んだら即ゲームオーバーみたいな話ですよね…」


「…言わんとしている事は良く分かるが…その例えはどうなんだ? ってかカローラ、お前向こうの世界でどんだけゲームしてたんだよ…」



 今まで異世界で過ごしてきた中で、現代日本のアニメやゲームのニッチな例え話を言い出せなかった事にもどかしい思いをしていたので、カローラと同じ話題を話せるのは良い事だが… カローラがあのゲームにまで手を出しているとは思わなかった… ホントどんだけゲームしてたんだよ…


 そんな事を思いながら似たような事をしていた聖剣の存在を体内に確認する。うん、ちゃんと聖剣の奴も一緒に来ている様だな… マイSONに関しては言わずもがなちゃんと俺の股間に存在する。



「まぁ、思えば現代日本も結構な時間いましたからね… 先程のは引き戻せないボス戦の前で、準備無しの詰みセーブした方って言い方の方が例えが近かったですかね? でも、本当に人気を感じませんね… 一体どうゆう状況なんでしょう…」



 カローラは俺の手を握り締める力を緩めずにそう答える。状況が状況だけにカローラも異世界に戻って来たとしても警戒を緩めていないのであろう。



「俺にも分らん… このまま誰かが来るのを待つか…それとも…」



 俺がそう言いかけた時、大聖堂の入口である正面扉がギギギと音を立て始める。その音に俺は言いかけていた言葉を飲み込んで、カローラと二人して正面扉に注目する。

 ここからでは遠くて薄暗く見える正面扉は、開口部が闇の中に徐々に太くなっていく光の柱のように見栄ながら、開いていき、その光の柱の中に外からの逆光に照らされて、黒い人影が扉をあけ放つ様子が映し出される。



「誰か来たようだが… なんだか小さいな…」



 その逆光に照らし出されたシルエットに俺がそんな感想を漏らすと、そのシルエットは扉を完全に開くのではなく、自分の身体が十分通れるだけの隙間だけ扉を開けて、動きを停止する。いや、俺とカローラの姿を見つけて立ち止まったという方が正しいだろう。



「止まりましたね、イチロー様…」


「あぁ…止まったな…カローラ」



 俺とカローラがシルエットを見て、そう感想を漏らしたとたん、シルエットがこちらに向かって駆け出す。そして、バタバタと足音を立てながらシルエットが俺たちに向かって駆け出してきて、途中、窓から差し込む外の明りでその姿が時折照らし出される。



「マスター!!! マスターイチロー様っ!!」


「ん?マスター? って…俺をその呼び方にするのは…」



 それと同時にシルエットの主、アシュトレトが勢いよく俺の胸へと飛び込んでくる。



「マスターイチロー様~!!」


「って、アシュトレト!?」



 つい先程まで神アシュトレトと一緒にいたので、俺の胸に飛び込んできた愚アシュトレトに俺は少し困惑する。そして、そんな困惑する俺に追撃をかけるように別の声が大聖堂に響き渡る。



「えっ!? イチロー!? 本当にイチローなの!?」



 その声に視線を向けると正面扉にまた別の人物の人影が見える。



「その声…もしかしてミリーズか?」


「ミリーズ様だけではございません、ワタクシもおります!」



 ミリーズと思われる人影の後ろにまた別の人物の人影が現れる。



「その声は… アルファー…いや違うな…」


「ベータです!! キング・イチロー様!! あなたのベータです! お帰りをお待ちしておりましたっ! キング・イチロー様っ!!」



 そう言って、ミリーズとベータも俺の所へ駆け出して来て、俺に抱き付いてくる。



「イチロー様、イチロー様って… 私も一応、帰って来たんですけど…」



 俺の隣でカローラが拗ねたように小さく呟くのが聞こえたのであった。


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