2−5 出逢ウ最悪ノ敵ハ、

 隣国スウィーデン王国中東部に位置する都市、ノルチェピングからの緊急出動要請が出たのは翌朝の事だ。

 哨戒中の別部隊より、ダイチェラント国旗の上陸用舟艇部隊を発見の報は瞬く間に王国軍部を駆け抜けた。

 ノルチェピングはバルト海へと繋がるムータラ川がその中心に走っており、豊かな水と工業により栄えた都市だ。首都であるストックホルムからも135kmと近しい位置にあり、おおよそこの地からの侵略とスカンディナヴィア諸島連合を中央から分断しようという魂胆であろう。


 欧州方面からの侵略に対するスウェディッシュの遺恨はことのほか深い。

 もう何世紀も昔の話だ。当時欧州の国家の配下に置かれていた北欧各国の中、特に強くそれに抵抗し独立せんと闘い、血なまぐさい争いの果てに独立を勝ち取ったのが現在のスウィーデン王国の始まりとされている。

 ストックホルムの大広場はその大勢の罪なき群衆の血で溢れかえり、忌まわしき欺きと粛清の記憶は『ストックホルムの血浴』という名で今日こんにちでも語り継がれている。


 スウィーデン王国には第4から第6までの三つの師団が存在するが、平時での各所への防衛にそれらは注力しており、もちろん彼らが戦力とならないわけではないが、今回のような対上陸用舟艇や大規模戦闘の際には空第8中隊が合流というのはよくあることでもあった。


『おかしいな、合流予定のスウィーデン飛行部隊の姿がない』

『何かトラブルでしょうか? まもなく合流ポイントに到達しますが……』


 ユカライネン大尉の隊長機を先頭に計十三機での編隊飛行、周辺空域をくまなく見渡したメイヴィス中尉からの通信が入る。


『メイヴィス、君は先行して地上部隊へ到着の一報を。着陸はせずにそのままUターンしてこちらに合流してくれ』

『了解です——』


 通信が切れるなり、三八七小隊の四機が編隊から離れ飛んでいく。

 合流部隊が何らかの事情で飛行していないのなら、情報の遅れ次第で味方の軍の砲撃に晒される可能性もある。ここは一旦、三八七には伝達役となってもらうしかないのだろう。


「メイヴィス中尉って、今は小隊率いてますけど実質ユカライネン大尉の補佐みたいなポジションですよね? バルクホーン中尉とはまた違ったお人柄で……仕事できそうだしまるで秘書みたいな、」


 編隊の後方を飛びながら、直がルードルマンの機体へ通信を入れた。突如、なぜかルードルマンの少し咳き込む音が耳元で聞こえる。


「どしたんすか少尉殿」

『……咽せただけだ、気にするな。まったく何の用かと思えば……、俺が入隊した時はバルクホーン中尉とメイヴィス中尉はユカライネン大尉の直属の小隊だったからな、まぁ当時は階級が違ったが。それに、メイヴィス中尉の方がよく喋るだろう』

「ああ、なるほど」


 直は自分の前を行く分隊長の機体と間隔を空けないように調整しながら一人頷く。作戦会議や報告の場でも、寡黙なバルクホーンと違って要点をつくかのような発言をするのはメイヴィスだ。先、先、と話題を進めるメイヴィスは、理にかなってはいるがどちらかといえばせっかちというか、目立ちたがりのように見えなくもない。


「大丈夫ですか、少尉どの?」

『何がだ、』

「だって、上陸用舟艇部隊ってダイチェラントのものでしょう? 貴方やガードナー軍曹の祖国では」

『……貴様に気を遣われるとは、明日は大雨だなまったく』

「……」

『日ノ元と違ってダイチェラントは完全な内戦での分断だ、もはや別国家と言ってもいい。もっとも——』


 今でも祖国に家族や仲間を残したまま、生き別れになっている者もいるにはいるがな——。


 その言葉に逆に自分の祖国を思い出し、「むぅ……」と唸る直に『残念か、俺がそんなに感傷的じゃなくて』と揶揄い口調の通信が入る。


「いいです、お元気なら何よりです。であれば、自分は躊躇なく撃てますね」

『お前こそ、気にせんでいいぞ』

「……は?」

『バルクホーン中尉とハートマンだろう。二人だっていい大人だ、貴様がどう任務を全うしようが評価してる、だから……その、気にするな』

「えっと……少尉どの?」

『どうせ余計な私情に首を突っ込みたがる貴様の事だ、昨日の事を考えてはいまいかと思ってな。……殺らなくては自分が殺られる場所で育ったのだろう?』


 その捨て鉢な闘い方に怒鳴り、引っ叩いた事を思い出したルードルマンの語尾が小さくなる。


「まぁ、そうですが。あのお二人もダイチェ出身でしたね……」

『おい、余計な事は考えんでいいぞ。ココで……貴様が何機撃墜しようが、何隻沈めようが、その命は俺も一緒に奪ったようなもんだし、それは分隊長の責任だ。俺がそうさせてる、だから気にせんでいい』

「……もしかして今、励ましてくださってます?」


 返事の代わりに乱暴に舌打ちする音が聞こえ、ふふふっと笑いが溢れる。


(誰もそんな事、言っとらんのになぁ)


「……少尉どの、人付き合いがド下手どころか、貴方に気を遣われるとは。やはり明日は大雨でしょうなァ」

『クソ、覚悟しとけ。帰投したら腕立て三百回だ』

「へへっ、りょーかいです」


 隊長機から攻撃開始の合図が出る。


「それじゃあいっちょ、行きますかっ!!」


 直は操縦桿を握り、目の前で翻ったルードルマンの機体を全速力で追った。



***



 多少機体の数に変動はあったものの、概ね戦況は作戦通りに進んでいった。


 その均整に取られたフォーメーションから、先に離れ下降したのは四機。先行するバルクホーンとハートマンの機体が素早く上陸用舟艇上の低空に煙幕を張り、左右に散会。異常を察知した舟艇からの対空砲火が立て続けに火を噴くも、煙幕に阻まれその狙いが定まる事はない。

 上空で発生した火花に気を取られそちらを撃とうが、爆発の生じるその空間には既にハートマンの機体は存在しない。

 風切り音が大きなサイレンのように鳴り響き、煙幕の下の兵士の恐怖を煽る。

 辺り一帯の空気を震撼させる恐怖の音、少しでも怯めばもう奴らは小さな獲物にすぎない。逃げたい奴は好きに逃げるがいい、逃げ惑え、ここはもう魔王の狩場なのだ——。


 対空砲火の雨の中、七十から八十度の角度をキープしものすごいスピードで降下したJu-87 G2シュトゥーカが舟艇部隊の最後方を狙い撃ちしていく。その二門の37mm機関砲が同時にズドン! ズドン! と物凄い音を放てば、爆炎と共に上陸用舟艇が吹き飛んだ。水面スレスレでブレーキを切り替え上昇、その風圧で大きく波打つ水面に、何人もの兵士がバランスを崩し落ちていくのが見える。

 直の機体は彼を護衛しつつも更に際どい位置まで降下し、片翼をその水面みなもにざぶりとつけたまま水を切り裂くように進むと、派手な水しぶきを上げターンをしてから上空に舞い戻った。

 海水で一瞬視界を奪われた機銃手の罵声が過ぎ去る眼下に聞こえる。


『シュヴァルべ! 丁寧に後ろから叩いてやる必要はない! 正面から撃破するぞっ!!』

了解ーッ!!」


 上昇のスピードでガサついた通信の後ろでガードナーの批判めいた叫びが聞こえたような気もしないが、そこはいつものことだと流して直は嗤った。


 正面——。ウチの上官どのは全くもって無茶をしなさる。


 眼前のムータラ川にはその鼻先一ミリたりとも触れさせてやるものかという気概だろうが、真正面からの爆撃とは狙ってくれと言っているようなものだ。

 耳を傾けるに、上空では恐らく飛行部隊同士の戦闘も開始された。ならば自分達は一秒でも早くこちらを壊滅させて舞い戻るべきだろう。

 背後からは弘が投下したであろう手榴弾の音が断続的に聞こえてきた。ルードルマンの指示であろうが、これで背後の心配をする必要は格段に減る。


 緩めのカーブを描いて上空に戻ると先にターンして方向を変えていたJu-87 G2シュトゥーカを視認、同時にくるりとこちらも宙返りをしてそのすぐ側へとつく。

 煙幕の中から確実に上昇と下降の繰り返しでハートマンに狙い撃ちされた大型の砲塔は、既にその動きを止めていた。ルードルマンと直が上昇するタイミングを読んだであろう、ピンポイントに入るそのフォローの的確さがまたニクい。


 急降下の体勢に入ったルードルマンの機体に寄り添い、向かってくる銃撃をスピードで叩き落とす。空気を切り裂き眼前にその舟艇が見えたところで、37mm機関砲の重厚な音と振動が伝わり、爆炎と上がる水しぶきの中で空力ブレーキをめいっぱい引いた。


 ドンッ! ドンドン! ズドォオオオオオンンッッ!!!


 弾薬庫かエンジンに誘爆したのであろう、立て続けに爆撃したのとは違う舟艇が三隻吹き飛んだ。チリチリと鉄屑が機体に当たる音がする。


 水しぶきと煙が晴れ、そこにもう起動する舟艇がない事を確認する。


『シュヴァルべ、低速で降下だ。撃たんでいいが複合艇が出ていれば沈めろ』

「……っす」


 ボートとその武器だけ破壊しろという指示だろう。あれだけ縦横無尽に暴れまわっていたくせに、なんだかんだ言って、人のことを気にしている辺りがまたルードルマンらしいと直は息をついた。


 降下の体勢に入ろうとしたその時だ——。


『上空に警戒! ダイチェのTornado IDSトルナードォが一機、猛スピードで接近中!』


 突然入った通信に緊張が走る。


「なっ!? 上空部隊はF-4ファントムと交戦中では!?」

『確かに先に入った通信ではそうだ……、ヒロシっ! こちらが上がる、下を頼めるかっ!?』

『了解っ!!!』


 手榴弾を撒き散らすタイプの大型爆撃機に搭乗する弘では、上がる速度が戦闘機のそれと比べ遅く、同高度での戦闘機との対峙は些か不利だ。

 指示を飛ばすなり、ルードルマンと直は部隊を援護すべく上空へと上がった。


「なっ——!?」


 飛び交う怒号と銃撃、それはまだ予想がついた。しかし——。


『バルクホーン中尉! とにかく攻撃を避けることだけに集中してください!俺がなんとかしますっ』


 聞こえてきたのは繰り返し叫ぶハートマンの通信。

 援護に回ろうにも、引き続き上空の部隊はF-4ファントムと交戦中で、突然の異常事態に完全に後手に回ってしまったのが見て取れる。


 27mm機関砲での銃撃を繰り返しながら、体当たりも辞さない程のスピードでそのTornado IDSトルナードォが執拗に追うのはたった一機。バルクホーンの機体だった。

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