1−19 賽ハ投ゲラレタ、

「スヴェン」

「だから業務中はシレノズと、」

「……交じり者がいたね」


 作戦の変更を急ぎ報告に向かったシレノズより話を聞き、ゆっくりと頷いた後ノルゲ王国軍元帥シャグラフは口を開いた。


 真っ黒な髪を腰あたりまで伸ばしている美丈夫は、まだ齢四十代半ばながら国王に次ぐ権力を持つとも言われる、実質的な国家のナンバー2だ。


「あの、紫の瞳の小僧ですか? 確かに奴は四年前壊滅した分隊で一人生き残っておりますが……」

「いやいや、あの子は純粋な人間だよ。限りなく悪魔に近い、ね」

「では……」

「我が信ずる隣人は、ジャンヌダルクを火あぶりにはしないし、そもそもジャンヌダルクの道を歩ませない。自らをしるべとし、ただそこに在るからだ」


 その言葉にシレノズが不快そうに顔を歪めた。ただでさえキツめの三白眼が、より見た者を射殺さんばかりの鋭さになっている。


「あの子か」


 しゃりん、ぢゃりん、シャリリリリリン……

 しゃりん、ぢゃりん、シャリリリリリン……


 どこからか、鈴と金属の小さな音がする。

 シャグラフは目を閉じ、黙ったままだ。


 かわいそうに、かわいそうに。

 うひひ、ウヒヒヒヒッ。

 あゝ、哀れ憐れ、面白いホドに運命を歪めらレテ。

 それなのに。

 なのに、ナノに、ナノニ。

 楽しそうで、絶望もシテイナイ。

 アノ生き様、気ニ入ッタヨ。


 その声はシャグラフにしか聴こえない。もしかすると、声自体存在しないものなのかもしれない。

 シャグラフは微笑み、立ち上がる。歴戦の戦友は彼の号令を待ちわびていた。


「さぁ行こうスヴェン。右の頬を打とうとしてくる大ブリテン王国海軍ロイヤルネイビーへ、ご丁寧に左の頬も向けてあげてはノルゲの流儀に反する」

「えぇ、目にもの見せてやりましょう」


 ギィと軋んだ音を立てて、ホールの扉が閉まった。




***




「っひょー! 本日ハ晴天ナリ、本日ハ晴天ナリィ!」

「貴様という奴は……遊びに来たんじゃないんだぞ!」


 哨戒中のボート隊より伝令が入り、ノルゲの第1師団と連合軍第13師団第8中隊はオスロの港より北海に向けて出港した。

 出港前にようやく顔をつき合わせる事となった江草と浅黄は「お前〜、やってくれたな」「だがそれでいいぞ」と口々に言い直の頭を撫でた。

 前日に知らされたであろうその作戦に対し、リアクションが苦笑い一つとは。これまで大抵の無茶無謀は飲まされてきた第8中隊の面々も、まるでその無茶無謀が日常茶飯事かのような悠々とした受け入れ方には目を丸くした。

 

 急ごしらえながら戦艦三隻、空母一隻、軽巡洋艦六隻、駆逐艦十隻、偵察部隊とここまで大幅に戦力を増強できたのも、迅速な司令官の対応とノルゲ側の全面協力があったからである。


(まさかこれがコイツのかけた発破で成し遂げられるとは……)


 ルードルマンは空母の甲板を走って海を眺めていた直の首根っこを引っ掴んで持ち上げたまま、その艦隊の様相を眺めていた。

 四年前の海上戦では、ノルゲ王国軍と連合国の飛行部隊は全く別の作戦として行動していた。それが今、一個師団に近い足並みとなってこの作戦は動いている。


 ノルゲ王国が対岸のダンマルクから攻撃を受けないのは、単にその王家の方針だけでなく、ノルゲの元帥と中将に恐れをなしているから……とも囁かれている。敵勢力国家すら恐れるその人物に対して直が言い放ったのは「父親に似てるし話のわかる人だと思ったから」だ。


「貴様の父というのは……」と唖然とした表情で問うシレノズに対し、「私の父上は強く優しく、キリリと勇ましいお顔で。体格も良くてまさしく閣下のような素敵な御仁です!」と目をキラキラさせて言うものだから、もう後始末が大変だった。


 ぶっちゃけ、頭の下げ損である。

 どうやら自分の滅茶苦茶な部下は、その口八丁と心意気で一国の重鎮の御心を動かしてしまったらしい。


 中将が退室してからはもっと大変だった。

 我慢の限界に達したユカライネンが見た事もない勢いで爆笑し、「もう苦しいっ……」と彼がうずくまるまでの長い間、第8中隊の面々は部屋から出る事も叶わず必死に笑いを堪える生殺し集団と化していた。


 よく言えば殺伐とした空気が和んだ。

 悪く言えば締まりが無い。

 そして自分が言えた義理ではないが、そもそも第8中隊は決して"イイコ"の集団ではない。

 それ故にルードルマンやハートマンのような若手が、規律に縛られず伸び伸びとやれているのも事実なのだが……。


「おーっ、ルードルマン筋トレかー?」

「二人して海に落ちるなよー」

「ルードルマンJr.(直の事)の手綱、ちゃんと握っとけよー」


 先輩にあたるコスケラ軍曹とランピール曹長からも、遠目にこの言われようである。

 

 なんで俺は昨日からコイツの保護者みたいな事を……とため息をつけば、「少尉どのっ、幸せが飛んで逃げてしまいます! 勿体無い!」と手で空気を掴むフリをする小柄な部下が手の下で揺れていた。


 第一、Jr.ジュニアって何だ、Jr.ジュニアって。そもそも自分はここまで喧しく部隊を引っ掻き回した事は……恐らくないはずだ。急降下で基地の物を吹っ飛ばしたり、命令を無視して戦車大隊を壊滅させてきた事はあった、あったが……。

 自分達の面倒を見ていたフォッカー大尉もこんな気持ちでいたのだろうかと思えば、改めて恩師の懐の深さを痛感する。



「貴様心臓に毛が生えてるのかと思ったが、神経も図太すぎるんじゃないのか……。忘れてないと思うが、敵を発見次第ここから出撃なんだぞ」

「ユカライネン大佐は出撃をピクニックと言っておいででした! あれは自分も是非真似したい……」

「せんでいいっ! 貴様はどれだけ傍若無人の幅を拡げるつもりだ。大佐は素晴らしい御方だが、アレを真似するのは絶対に違う」

「少尉どのだって、十分無茶してたと聞きましたよ? なんでしたっけ……非番の日報改ざんして一日に三度出撃、とか。それにいっつも牛乳飲んでるやないですか、なんの願掛けですか? 正直結構、最初気味悪かったですし……あげん飲んだら腹下しますよ?」

「仮にも『陸軍大将の娘』と、隊の全員の前で啖呵切った奴が「腹下す」とか言うんじゃないっ!」


 誰だそんな昔話を吹き込んだ奴は、と思ったもののあまりの心当たりの多さに舌打ちが出た。言いながら握っていた拳にはまだ包帯を巻いている事を思い出し、静かに降ろす。

 今朝取り替えたばかりの包帯には、赤茶色のシミが滲んできていた。

 その拳に気づいたのか、直が急に大人しくなる。


「どうせ数刻後には戦火の真っ只中です。今笑ってやらねば美しい海に失礼というもんでしょう」


 急にしおらしくなりやがって、とその持ち上げたままになっていたその小さな身体を甲板に降ろす。

 片手でルードルマンが持ち上げられる程度には、直の身体は軽かった。


「……お前の兄が間に合わなくて残念だったな」

「仕方なかです、兄上は大切な任務中ですから」


 今回の作戦に、弘の合流は間に合わなかった。

 伝達をするにも、極秘任務故にどこを飛んでいるのかすら分隊には知らされていない。

 対戦艦という大きな任務に、兄がいないというのはさぞ心細いだろう。そう気を遣っているのは見え見えだった。


「いいか、何かあったら俺を置いて戻れ」

「は……?」

「万が一の話だ、リゲイリアには苦い思い出がある。意固地にならず、自分の命を優先した行動を取れ。それが一番、隊のために……うぐっ」


 予想もしていないタイミングで、綺麗な後ろ蹴りがルードルマンの腹に入った。


「きっさま……っ」

「鳩尾は外しましたッ!」

「そういう問題じゃな」

「少尉殿が囚われているのはその思い出とやらですか」


 流石に鍛えている身なので、急所を外した蹴りを腹に一撃喰らったくらいで膝をつくことはなかったが痛くないわけではない。思わず顔をしかめたところに、射抜くような視線が刺さった。

 どうやら今度は自分の方が直の地雷を踏み抜いたらしい。


「分隊長機を置いて戻れ? ンな事できるわけねーだろ、一生の恥だ」

「万が一の話だと言っただろ、これは命令だぞ」

「今回の作戦のかなめが貴方だとわかっての発言ですかっ」


 腹の底から出すような冷え切った声とは反対に、周囲の空気がビリビリと震えるのが伝わってくる。

 脅そうとしても無駄だ、と言わんばかりにルードルマンは無言でその電流を圧し潰し相殺した。


「恥だの何だの、ここは日ノ元ではないと前にも言ったはずだ。その精神論で命を捨て鉢にされては迷惑だ、まだわからんのか」

「自分と同じ空を飛んでくださいと、そうお伝えしたはずです。……貴方は自分の向こうに何を見ておりますか?」

「何を意味わからん事を」

「初めてお会いした時からそうです、何をそんな恐れて自身を律しておられるのですか?」


 このっ……と胸ぐらを掴もうとして踏みとどまる。

 その血だらけの包帯を見て、一瞬直がとても悲しそうな表情をした。


「アンタの手は血だらけだ、しかしそれは何よりも尊い手だ。大勢を守り救う事も、大勢を壊し消す事も、どちらも出来るのにアンタ自身がその価値に気づいていない……」


 

 ゔィィィイイいいいいんんン————


 その先の二人の言葉は、鋭く間延びした警報の音に掻き消された。

 大音量のはずのその音は、しかし、その刹那、世界を無音にした。


『哨戒中の偵察部隊より伝令——。前方より敵艦隊前進中!!!』


 スピーカーから鳴り響く音声に、艦内が慌ただしくなる。


「少尉殿」


 とすんーっ。


 怒りという感情を全く孕んでいない声音で。直はルードルマンの胸にその拳を当てた。


「行きましょう。貴方の後悔を沈めてやる時です」


 子供みたいに笑ったかと思えば、急に覚悟の出来上がった軍人の顔をしやがって——。


「クソガキが」


 とんっ。


 自分よりもずっと小さいその身体に、誓うように拳を返した。

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