1−18 合流ト作戦、

 定刻通り、陽の登る時刻より前に第8中隊はオスロへと到着した。

 海岸沿いに位置していながらも、氷河により侵食された大地【フィヨルド】が入り組んだ先にその港町はあり、なるほどまるで自然の要塞のようになっており、簡単に上陸を許さない場所であることはすぐにわかった。


吸い込む海風は冷たい。ただ冷たいだけでなく、鼻を通り抜けるような冷気を感じた。

 そして、どこもかしこも真っ暗だ。着陸の際の滑走路灯の類すら何一つともっておらず、オスロの街並みに降下し始めた際に艦内はちょっとだけ慌ただしくなった。

 あまりの暗さに、第8中隊の面々は歓迎されていないのだろうともはや諦め顔である。


 ぼっ、ぼっぼっぼっぼぼぼぼぼぼぼ——。


 空気が小さく膨らみ、弾ける音がした。

 どこからともなく足元には蝋燭が現れ、ぼんやりとした火が灯る。


「総員、敬礼ッ」


 ユカライネン大尉の張り上げた声に、その場にいた全員が身を固くし視線を向かわせる。ザッッ! という揃った音で一斉にそちらへ敬礼をする。


「やぁ諸君、遥々ごくろーさん。あぁーいいよ別にそんな堅苦しくしないで。ごめんねぇ、到着時刻なんて知らされてなくってさ」


 聞こえてきた言葉の軽やかさとは正反対に、先頭に立つユカライネンがその敬礼を解くことはない。

 その視線の先、一直線に灯る蝋燭の向こうから、がっちゃがちゃと音を立てて一人の男が現れた。


 真っ黒な軍服に、まるで防刃の籠手のように幾つも金属製のベルトが巻かれている。そのズボンの腿部分にもハトメが打たれた細いベルトを幾つも巻いており、膝から下には鋲が所狭しと打たれたブーツ、そして灰でわざと汚したような色のオーバーコートを羽織っていた。歩く度にオーバーコートが揺れ、その肩から腰にかけて大振りの弾帯バレットベルトが覗く。チラリと見えた手の甲には『666』のタトゥーが彫られていた。

 黒と鈍い金色の物々しい様相と相反して、陽気な声を発した男はそのままにこやかにこちらへ歩いてくる。

 四十代半ばといったところだろうか。口元にちょび髭を蓄えているが、頭はスキンヘッドだ。そして暗闇からその頭だけが浮くような白塗りを施している。きょろっとした目の周りと唇だけ灰色で塗られており、にこにこしていてもその顔色が全くうかがえない。


「お久しぶりです、ガルデン中将。伝達の件については大変失礼致しました」

「元気そうだなぁユカライネンくん、何より何より! 俺はいいんだけど、こんな時刻だし、スヴェンは起きてこねーかも。ま、それまで気楽にやってよ」


(中将……だって? 出迎えからとんでもねー御仁が出てきちまった)


 言いながら背後にいた夜番の兵達に指示を飛ばしている人物を見て、直の肩に力が入る。指示に従いオスロ基地の兵はテキパキと戦艦や中隊機の移動の準備を始めた。

 しかしながら任務に当たる中隊が、この短期間のうちに丸ごと交代したというのに、その伝達すらまともにできていなかったとは初っ端から第8にとってはかなり痛い。

 手を回されたであろうことは明白だが、それを言い訳に出すわけにもいかない。ここはもう全員で恥も先方の怒りも被るときたものだ。

 非常に気まずい空気の中、整備兵の誘導に従い全ての戦闘機を航空部隊用の格納庫に収容し終わる頃には、既に朝日が登り始めていた。




 お祈りの時間は0600マルロクマルマル、その時にまた会おう——。


 オスロの兵に案内され、指定されたホールへと向かう道すがら直は先ほどの中将の言葉を繰り返し考えていた。


「チビ、腹でも減ったのか? 面白い顔になってるぞ」

「真面目に考え事していたのに、不機嫌みたいに言わんでくださいよ」


 廊下の壁には奇妙な模様が幾重にも刻まれたタペストリーや、顔を塗りつぶされた絵画が飾られている。


「"お祈り"ってさっきの中将殿がおっしゃってましたけど……」

「? あぁ、貴様は知らんのだったな……ノルゲは、」


 ルードルマンの言葉は「こちらがホールです」という兵の言葉に遮られた。「まぁ、見りゃわかるだろう」そう耳元で言われ、ますます訳が分からない。


 扉の向こうにあったのは廊下に飾られていたものよりもさらに巨大なタペストリーだった。その手前に祭壇のような場所があり、蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れている。ホール内には不思議な香の匂いと、赤錆びた色の煙が立ち込めている。


 しゃりん、ぢゃりん、シャリリリリリン……


 不規則に鳴る金属音にぞわりと背筋が凍るような感覚がした。


 ちゃりん、しゃりん、ちゃりん、キ——————ンッ


 金属音が小さく反響しながら止まる。祭壇の中央で何かが動いた。

 音もなく、部隊全員が片膝をついて深々と頭を下げる体勢になり、直も慌ててそれに倣う。


「久しぶりだなイッル。キミのメフィストは元気かい?」


 頭を上げなさい、の言葉にそちらを見上げれば、一人の男が祭壇からこちらへと降りてくるところだった。

 男は片膝をついたままの第8中隊の前に静かに歩み寄り、流れるような美しい所作で逆に十字を切った・・・・・・・・


(なるほど、悪魔崇拝サタニズムか……ノルゲの国教か?)


「お久しぶりです、まさかシャグラフ元帥がこちらにいらっしゃるとは……」


 珍しく、ユカライネン大尉が震えるような声で言った。確かに物腰は穏やかだが、元帥と呼ばれたその男からは恐ろしいほどの威圧感が漂ってくる。


「九つの罪を改めもせん第7中隊セブンスの野郎共が引っ込んだ代わりに寄越されたのは貴様らか」


 その後ろから、もう一人大柄な男が乱暴な口ぶりで現れた。

 先ほどのガルデン中将と同じような服装に身を包んでいるが、穏やかな彼と比べてこちらの方が何倍も凶悪な顔つきだ。

 流石に大物らしく、側にいる人間は誰も口を開くことができず、この人物が誰なのかも教えてもらうことは叶わない。


「スヴェン、ここではあまり大きな声を出さないでくれ。キミはそうでなくても恐ろしい顔をしているんだから」

「……業務中はシレノズとお呼びください」


 口元の大振りのピアスをぢゃりっと鳴らし、吐き捨てるように恐ろしい顔の男、シレノズは言った。


「別に必要もないのにご苦労なことだ。連合の建前上、貴様らの出撃と共闘任務を請け負ったことは忘れぬように」


 その言葉に深々とユカライネンが頭を下げる。


 香の匂いが濃くなる。

 ハッとしてそちらを見れば先ほど元帥と呼ばれた男が、鎖で繋がれた香のポットを振り、祈るように第8中隊に頭を下げた。


Assembleアッセンブル


 地を這うような声音と、頰に落ちた長い黒髪の隙間から覗く双眸。

 神々しいという言葉も禍々しいという言葉も、彼にはふさわしくない。それすら超越した何かに見えた。



 ***


 "お祈り"とやらが終わると、第8中隊はホール近くのミーティングルームへと通された。

 作戦指揮に当たるシレノズ中将より第7中隊からそのまま引き継がれた作戦内容を聞き、第8中隊の面々の表情が翳る。


 当初の作戦では攻撃力に劣る第7の戦力を鑑みての立案だったため、艦隊決戦は想定しておらず、飛行部隊の役割は敵部隊の誘導と分離を促す囮に近いものとなっている。敵航空部隊の撹乱、戦艦を保護する駆逐艦の砲塔の分散、なるほど飛ぶしか能のないとノルゲで評価されている第7中隊ではこれが限度であっただろう。

 リゲイリアの迎撃には戦艦の砲撃と1トン魚雷を使用し、中心はノルゲ王国の近衛師団にもなる【連合軍第1師団】が当たる。故に戦艦一隻、魚雷艇となる駆逐艦が二隻、巡洋艦数隻と空母。あとは万が一陸に近づけばクリスティアーニアの海岸線に待機している第2師団陸部隊が砲撃を開始するという手筈だ。


第8中隊ウチを使えばもう少し自由度が上がった作戦にできますが」

「そうは言っても時間がない、航空部隊の迎撃と敵艦隊の砲塔の破壊をこのままのフォーメーションで取ってもらう事で帳尻を合わせてもらえんだろうか」

「……」


 ユカライネンの提案にもシレノズは苦い顔をして首を横に振るばかりだ。確かに戦力としての数があまりにも少なすぎる、しかし中央さえ叩いてしまえば撤退を促せる。そう判断しての作戦だ。


「最悪、突破されてもフィヨルドからの砲撃に奴らが対応しきれるとは思えん」

「何故ここまで弾薬の備蓄が少量なのかお伺いしても?」

「第7中隊が威嚇射撃でごっそり持って行った、と正直にお伝えすればいいかな? スオミの大尉殿」


 空気が一気に重くなる。


「戦艦の大砲はあるが、あれをバカスカ撃てる技量の奴もそういない。戦艦を動かす要員と大砲でそれぞれ人数食うのは貴様も知っているだろう? ましてやガルデンを戦艦に乗せたら今度は陸が疎かになる」


 その上だ、と何人かの顔を見た後、忌々しそうにシレノズは口を開く。


「お前らは知っていると思うが、戦艦リゲイリアは追尾式のミサイルが搭載されていた。どう考えても航空部隊は格好の的だ、避け続けろとしか言えん。その間になんとしてでも我々が叩く」

「では……」

「待ってください」


 ため息をついたユカライネンが作戦を受領しようとした時だ。

 テーブルの隅で作戦の概要と弾薬の種類等が記載されたレジュメを眺めていた直が突然声を張り上げた。


「バカ、チビ貴様、痛っ…!!」


 咄嗟に口を塞ごうとしたルードルマンの手に噛み付いて阻止した後、直はばかデカいテーブルの反対側にいるシレノズを真っ直ぐ見据えた。


「突然の申し立て失礼仕しつれいつかまつります。発言の許可をいただけませんでしょうか、シレノズ中将閣下」


 既にお前口出してんじゃん! とは第8中隊の総意である。しかし流石にこの場で声は誰も上げられず、恐々こわごわと事の成り行きを見守っている。


「いいだろう小僧、言ってみろ」


 やはり。直は内心ほくそ笑んだ。顔と言動は厳ついがこの中将は作戦会議に出ている上、ユカライネンの意見にも一定の譲歩を見せる姿勢があった。それに敵戦力に対しても抜かりがない。話のわからん奴ではないはずだ。


「では閣下。まずはこちらに戦艦一隻と、もしあれば潜水艦を一隻、追加願えませんでしょうか?」

「な、何を」

「先日第13師団基地よりこちらへ配属されたばかりの、日ノ元帝國出身の海兵が三名おるはずです。着任より数日なので恐らくこちらの戦力に組み込まれておらんのでしょう、その三名の作戦への参加も追加願います」

「ふむ、確かに異動はあったが。その三名の追加で何か戦況がひっくり返るとでも云うか?」


 ニヤリと直は嗤う。


「まず、浅黄あさぎ江草えそうという上級兵曹がおります。どう出し渋ったんか知りませんが、彼らであれば多少無茶させれば一人一隻の戦艦が動かせる事は祖国で証明済みです。存分に使ってください、手の空いた戦艦の機動人員は砲塔でも哨戒でもお好きな箇所に回せばいい」


 唸るシレノズを一瞥し、次に直は1トン魚雷の資料をテーブルにバンと出す。


「次に潜水艦についてですが、これは無いなら無いで構いません。同じく鮫島という水兵長がおります、此奴こやつに潜水服さえ与えてやれば潜水艦と同等の働きをいたしますのでこちらに魚雷を任せれば良いかと」

「一兵に潜水艦と同等とは、また随分とした自信だな。1トンだぞ?」

「"人間は"、一人ですよ閣下」


 意味深に直は嗤い「そして」と話を繋げた。


「もう幾つかの魚雷ですが、我が分隊が発射からのタイムラグなしで当てる事が可能です。それにより、発射からの待ちステイの時間もございません」

「クッッ……」


 隣を見上げればルードルマンが笑いを堪えているのが一発でわかった。察しのいい上官殿で助かる、噛み付いたのはあとで謝罪しよう。


「我が分隊長のJu-87 G2シュトゥーカであれば、このデカブツを一発でど真ん中へブチ込んでやる事が可能です。投下までの援護は自分がいたします。この間、我が第8中隊は航空部隊の撃墜と味方戦艦の援護に着けば……後方は盤石かと」


 如何いかがでしょう? そう不敵に嗤う直を一瞥し、シレノズが口を開いた。


「この無茶無謀を信用しろと云うのか?」

「信用してくださいとは云いません。それに値するものを自分は閣下にお見せできておりませんから。ただこちらの作戦の御許可をいただけましたならば、必ずや戦果をノルゲの海に捧げましょう」

「できなかったら……?」

「その場合は腹でも斬りましょう。帝國陸軍大将の娘の首、安くは無いと思っておりますが」


「待て待て待て!」明らかに狼狽した様子でシレノズが割って入る。


「そこまでしろとは言っておらん、しかもなんだ小僧、娘って」


 おや? と直は首を傾げ……そういえば自分が名乗りもしていなかったことに気づく。間髪入れずにルードルマンからのゲンコツが入った。


「イッテェ……ッ!」


 そのままガバリと頭を掴んで下げられる。


「大変失礼いたしましたシレノズ中将閣下!! 我が分隊のスナオ・フワ伍長でございます。このナリですが正真正銘、日ノ元帝國陸軍のフワ大将の娘であります。伍長の失言や失態につきましては私が処分を受けますので…」


 なんでテメェがンな事云うんだよ、と横目で睨めば、自分以上に頭を深々と下げているルードルマンが見えた。その表情に一気に血圧が下がる。


「いーじゃん、スヴェン。あと半日はあるし調整もきく、俺は乗るけどなー」


 それまで黙って部屋の隅で話を聞く体でいたガルデンが、ぱちぱちと拍手をしながら入ってきた。


「スッゲー、ここまでスヴェンに啖呵切る子初めて見たよ。なるほど日ノ元なんだな、気概もサムライっぽくて俺気に入っちゃった」

「……シレノズと呼べ。あと仮にも貴様も中将だぞガルデン、もう少しその話し方はなんとか」

「あ、お二人さん処罰とか無いから顔あげなよ」

「ガルデンッッ!!」

「もう、そんなんだから可愛い娘ちゃんに『パパおカオがこわーい』って言われるんだぞ、スヴェン」


 第8中隊の全員が堪らず一斉に下を向いた。いかん、ここで笑ってしまっては下手したら国交問題に発展してしまう。全員が別の意味で必死になる。


「で、お嬢ちゃん、でいいんだよねフワ伍長?」


 ガルデンの問いかけに「はっ」と敬礼をして返す。


「嘘偽りなく答えて欲しいんだけど……なんで人当たりの良さそうな俺じゃなくて敢えてスヴェ……シレノズに直談判した?」


 そ、それは……。直が少し困ったように視線を泳がせる。


「不敬に……あたりませんか?」

「ん、大丈夫。俺が聞きたいだけだから」


「その……シレノズ中将閣下は、自分の、父に少し似ておりまして……なので、きっと懐深くお話を聞いてくださる方かと……」


 最後の方は消え入りそうになりながら話す直に、部屋にいた全員が勢いよく同時にテーブルに突っ伏することとなった——。

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