1−8 白夜ノ空、
朝四時、ドアの蹴破られる音と怒号で直は叩き起こされた。
枕元に置いてある飛行服とブーツ、拳銃の入ったホルダーを引っ掴むとベッドから転がり落ちてそのまま部屋の外に飛び出す。
通路に出る直前に手早くツナギ状の飛行服に足を通し、ブーツを履いて立ち上がる、上は手を通しながらの駆け足だ。
「存外、早かったな。もっと駄々を捏ねるもんだと」
「なぁに言ってんすか。自分も元帝國軍人です、夜間空襲で飛び起きるなんてザラでしたし、小さいので夜戦の偵察もやらされとりましたよ」
怒鳴り起こした張本人に意外そうな顔をされたが、気にせず隣に並んで走る。
「起き抜けに顔を洗わせろなんて、女みたいな事は言わんです」そう言えば「良い度胸だ」と笑い返された。
「空襲ですか」
「いや、ムルマンスクの方から機甲部隊が国境方面へ進軍との急報だ。スオミの地理については?」
「大まかですが把握しております、上の方……ですね。でしたら狙いはロヴァニエミでは?」
「正解だ。上ではなく北、だがな。恐らく第2連隊直属の錬金工場と鉱山の占拠が目的といったところだろうな」
スオミ共和国と隣接し陸続きとなる新人類派の大国家”連邦”の大都市ペトログラードは、現在基地のあるヘルシングフォシュと近く、その国境付近が主戦場となることが多い。そこは常時陸第4中隊及び第2連隊の主力が張り付いている。
北端の地域での小競り合いはいくら新人類派といえども兵の消耗も激しいため、そんなに頻繁に起こることもない。こちら側としては生身の人間しかいないのだからなおの事だ。
鉱山の近いロヴァニエミには数少ない銃弾や部品を製造するための軍直属の錬金工場が点在する。恐らく狙いはそこだろう、というのがルードルマンの読みだ。数少ない武器となり得る原材料を絶たれれば、資源と数で劣るこちらの戦況はジリ貧だ。
今はまだ五月、北端の地方は白夜——。
「
「全てを奪い尽くした者をその上で
直の呟きに、歩きながらルードルマンがそう返す。
「少尉! 伍長! 機体の方は準備できてます!」
滑走路横の小隊格納庫に着くとガードナーが既に待機していた。
乗り込むのはJu-87 G-2一機とメッサーシュミットBf 109Gが三機。
「今回は
「
短く返して機体に乗り込む。
安全装置を締め、操縦席下部に触れる。初めて使う機体だが難なく起動できた。
先行で出発したユカライネン率いる中隊の他部隊は前線への攻撃と足止め、そしてロヴァニエミへの護衛の二手に分かれている。時差が出たのは自分が宿舎にいたのを呼びに来ていたせいか、と直が考えるよりも先に「安心しろ。元より俺達はその横っ面をブチのめすのが役目だ」とバルクホーン中尉に釘を刺された。
「そういう事だ、精々実戦で足は引っ張るなよチビ」
「……うるせぇ」
格納庫に来るまでは普通に話せたと思ったのに……やっぱりアイツはいけ好かない。そう思うと自然と帯電のボルト数が跳ね上がったのがわかった。
一時間半ほど飛んで、小隊は連邦側の国境付近で足止めを食らっている機甲部隊の最後尾上空へとたどり着いた。遠くに聞こえるMG131機銃の音と、対空射撃であろう鈍く太いドォーンという音が近づいて来る。
「先発の部隊の攻撃で、敵飛行部隊もお出ましのはずだ。ルードルマン、できるだけ早めに片付けろ。ガードナー、フワ伍長はその援護。ハートマンは私と共に四○四及び先行部隊の援護だ、散れ!」
「了解っ——」
サッと合図で高度を上げ二手に分かれる。
空気を揺らすようなジェットエンジン音が雲の向こうに聴こえると、ハートマンの笑う声が無線越しに聴こえた。
「いやぁ、お相手がジェットエンジンだなんて、ワクワクしちゃいますよね。
「貴様こそ、ヘマはするなよ」
「上は任せといてください、貴方こそ今回は小鳥ちゃんがついてるんだから精々怪我させないでくださいね」
ハートマンの挑発的な通信に、ルードルマンが「ふん」と鼻で笑うような返事をする。すぐに「ハートマン、だから一人で先に突っ込むなと……」と追いかけるようなバルクホーンの声が聴こえると、プロペラの音はもうだいぶ遠くになっていた。
「少尉、見えましたよ。連邦の新しい……軽戦車ですかね? それにしては砲塔があまり上向かないみたいですけど」
「新型にしては発想が乏しいな、所詮工場と非戦闘員を撃ち殺す為の鉄の塊だ。気に食わん、屑鉄に変えてやろう」
雲の隙間から眼下を見れば、数十輌ほどで編成された戦車大隊が見えた。
「チビ、お前は高みの見物でもいいぞ」
「は? ふざけんな」
言い終わる前に、目の前の
目の前の分厚い機体が風を切る音で、サイレンのような音が辺りに鳴り響いた。
完全に前方に気を取られていた進軍中の戦車大隊の真後ろを取ったルードルマンは、そのまま轟音と共にもの凄いスピードで急降下し、戦車に向けて37mm砲を的確に撃ち込んでいく。爆発もしくは重力であっという間にひしゃげた軽戦車は計二十輌、もれなく全て宣言通りの
地上まで距離およそ数百メートルの位置でブレーキを切り替え、再び上空へと向かう。その後ろに引っ張られる勢いを物ともせずに、ガードナーは残りの戦車や装甲車を機関銃で片付けていく。
(戦車大隊を、たった二人で片付けやがった……)
爆撃中、そのスピードに着いていくだけになってしまった直は唖然とした。
こうしちゃいられんと機首を上げ一気に上昇し、スピードに劣るJu-87 G2に追いつくと周囲をくるくると旋回する。追い上げるように、高射砲の砲弾が浴びせられるのを勢いよく回転して主翼で弾き返した。
「二人とも無茶苦茶だ!!!」
ふと叫び声に視線を向けると、ガードナーが泣き笑いのような表情でこちらを見ているのが目に映った。
上空ではハートマンが爆撃機と戦闘機を相手取り、
この二人が”中隊の矛と盾コンビ”と言われる所以でもある。
墜ちて来る機体を避けながら、上空の
よし自分も、と思いはしたものの、あくまで自分の役目はルードルマンの補佐。
帝國にいた時から空でしか闘ったことのない直にとって、戦車大隊との戦闘は初めての事。下にも上にも神経を研ぎ澄まさなければならないこの状況で、目先の戦果に捉われ役割を与えられた
不完全燃焼、と言えば不謹慎かもしれないが、やはり先行部隊も合わせ腕のいいパイロットが揃っており、この程度であれば自分の出番もさほど残っていない。
スカンディナヴィア諸島は大陸と陸続きな分、軍の目配りも広範囲になってくるが、攻守共にその分ポイントは絞られてくる。何より連合という人数の多さは武器だ。
小さい島国で四面楚歌の中、合衆国の砲撃に日々抵抗していた身としては、守る国土が無事という事実は絶対的な安心感となる。
(まあそれでも、これだけの部隊を持ってしても、防戦一択というのが皮肉なもんだ)
つくづく直は"神サマ"とやらが嫌いだ。
「少尉! 一機獲り零しました! そっちに行きます!!」
ハートマンからの通信で緊張が走る——。
どこだ、どちらから来る? 遠くの銃撃戦の音の中から、抜けるようなジェットエンジンの音を探る。
「零時っ!」「正面だっ!」
直とルードルマンが叫んだのはほぼ同時だ。
咄嗟に左右に散ると、先程まで二機が並んでいた空間に銃撃が浴びせられた。
「ルードルマン! 聞こえるか! ユカライネン大尉からの伝令だ、四機こっちに向かってる!」
「今交戦中の奴とは別ですか!?」
「
「……あぁ、言えてますねぇ」
旋回している間に、後ろでえげつない量の銃撃を浴びせ応戦をしていたガードナーが若干のんびりと呟く。
「どうせお前のことだ、下の戦車は部品の
「……仰る通りですっ!!」
「俺達も向かう、なんとか持ちこたえろ」
「言われなくとも!」
後ろを獲られるとマズい、宙返りをして一旦敵機の上に出ようとすると、そのJu-87 G-2の弧を描いたど真ん中を直の機体が突っ切った。
虚をついた真横からの砲撃に晒された敵機は、エンジンに誘爆したのか火を吹いて爆発音とともに落ちていく。
「まずは一機!」
「気を抜くなチビ、くるぞ!」
安心したのも束の間、間髪入れずにジェットエンジンが連なって飛ぶ轟音が聞こえてきた。
雲を切り裂き、美しく並んだ編隊飛行で現れた敵機は、まっすぐにそのJu-87のみを目指して飛んで来ていた。機首を視認すると同時に高度を上げ、集中砲火に晒されないようターンを繰り返す。
いくら直でもジェット機の
ダダダダダッ、という連続射撃の音と共に、すれ違うように黒い影が上空から落ちてきた。
「俺達は眼中にないって? つれないねー」
そのまま一機を編隊から引き剥がしたハートマンが一対一のドッグファイトにもつれ込む。援護にすぐさまバルクホーン中尉の機体が向かうのが見え、空にバチバチと火花が連続して弾けた。
いくらこちらが人道を外れた力を持とうが、旧式の戦闘機とジェット機ではまるでスペックが違う。まだこちらを追う三機が残っている、挟まれて砲弾を打ち込まれたらことだ。
出来るだけ早く、こいつらをまとめて始末しないと——。
「少尉! 自分から離れてください! できるだけ」
「何をするつもりだ、チビ!」
「いいからっ」
ぶつからない程度の絶妙な力加減で隣に並んだ機体を押しのける。
そのまま小さく宙返りし敵機正面につくと、操縦桿を勢いよく引いて機体を傾けた。敵機の鼻っ柱で垂直上昇に近い体勢になった直の機体は、その尾翼を相手の機首を蹴り上げるように叩き込んだ。
「貴方以上に滅茶苦茶ですよ! あの子!」
ガードナーが叫び、その光景に目を見張っていたルードルマンは舌打ちする。
「食らいやがれハイテク野郎!!!」
尾翼の削れた自身の機体を避雷針替わりにして、直は稲妻をそこに呼び込んだ。
ドォォォオオオン!! という破裂音と共に、先ほど先端を弾いた一機は距離が近かったためそのまま炎上、残り二機も機械系統に支障をきたしたのか、バチバチと電流をその表面に流しながら一瞬停止した。
一瞬、それがあれば直には十分だ。
機体を真横に傾けると、そのまま放電と一緒に敵機正面に同時に当たるように渾身の力でぶつける。
ゴシャッという鈍い音がして、敵機の先端がひしゃげた。数秒おいてそこから火を噴くと、直の機体もろとも戦闘機は飛ぶ力を失い墜ちていく。
「……ガードナー、あのバカを回収するぞ」
空は先程とは打って変わり、とても静かだ。
もう一機を仕留め終わったであろう、ハートマンとバルクホーンの機体がこちらに向かってくるのが見える。
機体をぶつけると同時に空の中へ飛び出していた小さな人影を、
***
帰りの道中ずっと無言かと思いきや、基地に帰還するなり思いきり横っ面を引っ叩かれた。
「ちょっ、少尉!?」
慌ててガードナーが止めに入る。
「貴様はッ! あの場が連邦の上空だと知ってあんな戦法を取ったのか!?」
怒鳴られるなどは予想もしていなかった直は、呆気にとられた表情で自分に平手打ちを喰らわせた上官を見上げる。
「……どういう意味ですか。自分はあのままでは少尉が挟まれると思って」
「挟まれて俺が簡単に墜とされるとでも? 上から叩き潰す事くらい造作もないわ! 何故長機を頼らなかったッ!?」
反撃をしてこない直に毒気を抜かれたのか、握られた拳が向けられることはなく、そのまま壁を殴りつける音が響いた。
「連邦の領土に墜落して捕虜にでもなってみろ。部隊にとっては迷惑千万だが、新入りの貴様が嬲り殺されようが何をされようが軍にとってはプライドを少々傷つけられる程度だ。だが残された貴様の兄はどうなる? もし救出に向かおうとした隊の誰かが砲弾に晒されたら? 最悪、その身体を機械に変えられてこちらに牙を剥くよう仕向けられたら……貴様はそこまで考えたか?」
冷水を浴びせられたような気分になった。
「ここは日ノ元帝國じゃない、不時着して歩けばなんとかなる場所ではない。打楽器のように機体を扱いやがって……貴様は自分の命なんぞ惜しくないからできるのだろうが、命を懸けるのと命を顧みないのは全く別物だ」
飛んでいる空が違うことを理解しろ。冷たく言い放つと、振り返る事もなくルードルマンは格納庫を後にした。
彼の殴りつけた壁には血の跡がついていた——。
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