1−9 其ノ背中ハ離レルカ、
「いやぁ、流石に引くわ。容赦なさすぎでしょう少尉殿……」
重い沈黙を破ったのは、事の顛末を遠巻きに見ていたハートマンだった。
大丈夫? とハンカチを差し出されたが、首を横に振って直はそれを断る。相変わらず気遣うように肩にはガードナーの手が添えられていて、寄り添われたような体勢のままだ。
ふーん? と言いながら屈んで顔を覗き込まれたが、生憎涙なんてものは一滴も出ていなかった。期待はずれだったのか、諦めたのか、少し笑いながらハートマンはハンカチをしまう。
「キミに捨て身で守られたのが余程堪えたんだと思うけど……。でもさ、普通こんなスパン短く何度もボコスカ手が出るか? って。初陣でジェット機三機墜とした事でチャラにして欲しいところだよね」
味方をしてくれているのだろうか。少しだけ視線をそちらに向ければ、スラリとした体躯のハートマンは相変わらず俯いた直の顔色を伺うように屈んでいて、ああこれは違う、子供扱いに近いやつだと直感的に感じた。
「まぁでも、手が出たのは別として。今回は俺も先輩少尉殿の意見に同意」
綺麗な顔、表情を崩さないままグサリと刺してくる。物腰は柔らかくて丁寧に見えるぶん、そうハッキリと言い切られるのは周りから見ても明らかに自分の方に非があったのかと思い知らされる。
「俺もね、初陣の時にジェット機を墜としたんだよ。味方の静止を振り切って、俺が止めなきゃって。そしたらさ、墜とした事に満足しちゃって優越感に浸ってる間に俺が墜とされちゃったのね」
足音が近づいてくる。今度こそ顔をあげれば、ハートマンの後ろにバルクホーン中尉が並ぶのが見えた。にこやかなハートマンと違い、困ったような表情をしている。
「そんでここのオジサンに助けられたわけなんだけど」
「……オイ、事によってはお前が鉄拳制裁の対象だぞ」
振り向かないままに背後を指したハートマンに、バルクホーンが苦言を呈す。
「そんな事言ってー、一度も貴方俺の事殴った事ないじゃないですか」
で、とそのままハートマンは言葉を続ける。
「俺はさ、出撃したらそりゃいつも命懸けてるよ。少尉殿の受け売りじゃないけど、でも隊の仲間含め自分の命すらそこで落としてくるつもりないんだよね。誰も失わず勝つ、それが俺の戦争」
キミはどう? ハートマンはそこらの女性が見ればうっとりするような笑みでそう問いかける。
「ちょっと……ハートマン少尉」
ガードナーがやんわり牽制するが、ハートマンは言葉を続ける。
「そこんところがさ、あの無茶苦茶な少尉殿とは合わないと思ってたんだ。あんなのに着いてっても命を落とすだけだし、だからルードルマン少尉は僚機をつけないんだろうってね。でも違った、今日見て思ったよ。着いていける奴が居ないからじゃなくて、彼は昔のような——」
「おい待てハートマン」
堪らずバルクホーンが入ろうとした瞬間、ハートマンが口をつぐんだ。
その先の言葉は聞こえない。
何が起こったのかも、理解できていなかった。
「そこまでだよ、ハートマン」
静かな声で、ハートマンの口を手で塞いでいたのは、つい今しがたまでこの格納庫内には居もしなかったユカライネン大尉だ。
「ルードルマンがそれを話していないのに、君が言うのはフェアじゃない。わかったね?」
驚きとも恐怖とも取れない表情で固まっていたハートマンは、そのまま無言で頷く。
よし、いい子だ。そう言うとにこやかにユカライネンはハートマンを解放した。
「正しければ何を言ってもいいわけじゃない、先輩だからって答えを最初から教えてやる必要もね」
「すみません……」
バツの悪そうな表情をして、ハートマンが俯く。
その隣に並んだバルクホーンが頭を下げると同時に、ハートマンの後ろ首を掴み一緒に頭を下げるような形をとった。
「わざわざすみません、ユカライネン大尉」
「いやいや、戻ってきて早々から気を揉んで大変だったろう」
「面目ありません……」
「君は本当に真面目だなぁ、誰も小隊の子達を責めてるわけじゃないよ」
むしろよくやった、満点をあげたいくらいのスピード解決だ。そう呟きバルクホーンの肩を叩くと、ユカライネンは未だ口を開かない直に向き直った。
「ルードルマンもハートマンも、君が嫌いで言ってるわけじゃないってことはわかるね?」
「……はい」
泣いてもいないのに、その声は掠れていた。
痛みなら、初めて会った時に鉄拳を喰らった方が何倍も痛かった。それなのに、今
言葉が出ないのは悔しさや悲しさではなく、自分の認識の甘さに対しての怒りだ。そして良かれと思ってやった事で間違いなくルードルマンの地雷を踏み抜いた事も。
「ふーん、こっちもなかなかだねぇ。ガードナー、伍長借りてくよ。ルードルマンの方、頼んでいいかい?」
「えっ、はい。しかし伍長は……」
心配そうなガードナーの声が耳元で聞こえた。
何を考えているのか読めない、穏やかな表情のままのユカライネンは直の肩に手を置き「おいで」と一言伝えその場を後にする。
「ガードナー二等軍曹……少尉は、」
振り返った直は、ガードナーと壁についた血痕を不安そうに交互に見つめた。
その目にひとまず絶望の色は無い事がわかると、ガードナーはふぅと息を吐き、直の背中をぽんと押した。
「行ってきなさい、大丈夫だから。
その言葉にスッと背筋を伸ばし、直は敬礼をした。
そのままバルクホーンとハートマンの方にも向き直る。
「中尉殿! 少尉殿! 私の未熟さ故に、大変失礼をいたしました! 不破直、心を改め皆様方と再び任務に当たれるよう精進いたします!」
失礼いたします! とそのまま馬鹿デカい声を上げ、頭をブンと下げると踵を返してユカライネンの元へ走っていく。見送る三人の表情は穏やかだ。
やれやれ……と力無く首を振ったバルクホーンが、思い出したようにその背中に叫んだ。
「伍長! 次機体を壊したら一ヶ月の出撃禁止を命ずる!」
「
小さなその背中はまもなく見えなくなった——。
「なぁんか俺、凄く嫌な奴で終わってません?」
「あれはお前が悪い、完全に
一気に気の抜けた表情になり頭の後ろで腕を組んだハートマンがそう呟くと、バルクホーンが渋い顔で返した。
「だって嫌でしょ、最強の
ねっ、ガードナーさん。そう同意を求める彼もまた、天才の名を欲しいままにしているとはいえ若干二十三歳の若者だった事を思いだし、ガードナーは微笑んだ。
「最強、と思ってくれたんですね」
「そりゃもう。あの子見ました? 命知らずとはいえあんな戦法誰が恐怖心なく成功させられます? しかもジェット機を同時に三機、普通に褒められこそすれ平手打ちは無いでしょ。噛み合えば無敵なのは一目瞭然なのに、何してるんですかあの人。なんだかんだ言いつつ、拾いにも行ってるし」
「お前の初陣に比べれば、正直花マルをつけたいくらいの出来だろうな」
「うっ……耳が痛い」
気まずそうに視線を泳がせた後、それなのにね、とハートマンは思い出したように笑った。
「伍長は命張ってでも少尉殿を守ろうとするし、少尉殿は少尉殿で殴ってまで自分から弾こうとする。正反対向いてるようで、二人ともそこにある結論は一緒なのに」
あー、やだなぁ。小鳥ちゃん、俺の事嫌っちゃったかなー。そんな事をブツブツ呟くこの若い少尉が、最初から場を和ませようと口を開いたのは明白で、俯いたまま動けなくなった直にさっさとその答えを提示してやろうとしていた事もバルクホーンにはお見通しだった。
「だからいつも、一人で突っ走るなと言っているんだ」
非情になりきれないこの部下は、そうやって自分の正義の物差しでいつも前だけ見て進んでいく。時に歯痒いその真っ直ぐさが、今はほんの少しだけ救いだ。
「あそこで泣きでもすれば、俺の部下にもらっちゃったのに」
どこまで本気かわからない、笑うだけで様になるその横顔にガードナーは苦笑する。
「やめてくださいよ、ルードルマン少尉の機嫌が益々悪くなるだけです」
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