1−6 誰ガ為、

 結果から言えばその日の小隊飛行訓練は中止となった。

 分隊の二機一組ロッテが訓練中同時に墜落、大破。しかもこれが襲撃などではなく隊員同士の諍いが原因ともなれば、通常分隊及び管轄の小隊は始末書どころでは済まない。

 とりあえず小隊全員で墜落地点の滑走路の修繕と機体の回収——。それで済んだのはひとえにバルクホーン中尉の人徳といったところだろう。

 整備員や滑走路の管理部署まで総出で「負傷者も出ていません! 気にしていませんから!」「ちょうど滑走路の清掃をしたいと思っていたところで!」とユカライネン大尉への申し出があったという。

 そしてもう一つ、あれほど青筋立てて怒るバルクホーン中尉を今まで誰も見たことがなく、流石にそんな彼に処分や始末書を与えるのは全員が忍びなかったのだろう。


「……顔を合わせればこれなんて、似た者同士なのはわかりますがそろそろ終わりにしてもらえませんかねぇ」


 流石に小隊に迷惑がかかるのはきまりが悪い、とガードナーは溢しながらルードルマンの腕に包帯を巻いていた。直の方は既に応急処置を終わらせ、後片付けに向かわせている。


「……誰が似とるか、まさか地面に激突するまでブレーキを引かん馬鹿と一緒にするな」


 ムスッとした表情の上官は、乗っていた機体の大破具合から見れば至って軽傷で、憎まれ口を叩ける程にはピンピンしている。

 ハートマン少尉からの通信が入り、地上待機組は墜落に備え慌てふためいた。機体の故障か、敵軍の襲撃か……。そうして数十秒後には爆音と共に先刻見送ったはずの二機が垂直急降下でそのまま滑走路に激突、それを避けるように着陸し血相を変えて飛び出してきたバルクホーン中尉に小隊には緊張が走った——。

 しかし蓋を開けてみれば四○四分隊の二名が突然度胸試しチキンゲェムを始めただけであるというからまったく締まるものも締まらない。

 その上墜落した当事者二名は、爆煙の中を大声で罵り合いながら歩いて・・・出てくる始末である。理解の範疇を超えたバルクホーン中尉の、滅多にない堪忍袋の尾が切れる音を、小隊全員が聞く羽目になってしまった。


「そっくりじゃないですか? 入隊当初の誰かさんに。……それと、咄嗟にフワ伍長を庇おうとして重力操作してる間に、自分が地面に激突してる馬鹿がいたようですが」

「それは絶対に言うなよ……」


 馬鹿と言われた事には目を瞑った。それよりも、庇った事が本人に知れたら逆上するに違いない。煽った自分も確かに悪いが、あれほどまでに乗ってくるとは思わなかった。舌打ちするルードルマンを、ガードナーはやれやれと見る。


「どこかでお互いに寄り添ってくれれば、貴方達はとんでもなく凄いチームになると思っていますよ。実際、楽しかったんでしょう? 機体は壊しましたがね」

「スピードと度胸、飛行センスは確かに凄い。正直久々に滾った、俺についてこれる奴が初めてだったからな」


 だが認めん。そう殊更なおさら表情を固くするルードルマンに、どうしたもんかなぁとガードナーは一人思案した。久しぶりに少尉があんなに笑って飛んでいる姿を見たのに、と。


「認めないのは、伍長が自分より若くて才のある者と思っているからですか?それとも……あの子が女性だからですか?」

「どうとでも取れ。この分隊には俺とお前だけでいい」

「部隊を預かるということは、部下の命も背負うものも全て含めて抱え込むということですよ? バルクホーン中尉が何故あれだけ怒って、それでも貴方達をはじかないのか、よく考えて御覧なさい少尉どの」


 終わりましたよ、とガードナーは包帯をしまいルードルマンの肩にぽんと手を置いた。


「弾く事が、あの子を守る事や貴方という存在を確立させる事になるとはゆめゆめ思わない事です。そろそろ、貴方だって上に行っていい人材だ。アルベルト大佐も言ってませんでしたか?」

「……何故お前が大佐との話を知っている?」

「さぁてね? とにかく、期待されている事も自覚なさい。若さだけで突っ走れるのは今だけなのですよ」


 いつも飄々として正論を突きつける部下の言葉が今日は余計に痛い。

 だが——。


「死んでからじゃ遅いんだ。わかるだろうガードナー?」

「……フワ伍長は貴方じゃありません、そこは貴方が推し量るものではありませんよ?」

「……ふん。分隊長とは孤独なモンだな」

「それも貴方次第です」


 早く後始末に参加した方がいいですよ、どうせすぐ動けるんでしょう?そう言うと、食えない歳上の部下は一礼して医務室を出て行った。


 誰もいなくなった医務室で一人大きなため息をつく。

 早く出撃したい、敵を殲滅すれば少しは気分も晴れるだろうか。

 とんだ戦争中毒だ……自虐的に笑う。


『何の為……がわからなかったら、誰かの為って思っていいんだヴォルケ。私達が戦う理由なんて、今はそれで十分だ』


 そう笑って空の中に消えていった元上官の声を思い出した。




***




 子供の頃から空への憧れは強かった。

 父に連れられ行った航空祭で、空にダイナミックにスモークで絵を描きあげるアクロバット飛行部隊に釘付けになった。大きくなったら僕もパイロットになるんだ!そう思ってからは元来の真面目で一直線な性格そのままに、寝ても覚めてもどうしたら飛行機乗りになれるのかを考えるようになった。

 高い所に慣れるため屋根に登ったり、ベランダからシーツで自作したパラシュートをつけ飛び降りた事もある。体育や体操の類も得意、幼いながらに体格や素質に恵まれていたヴォルケ少年は、絶対に飛行訓練高校へ進学するんだと内心密かに決意していた。


 九歳の頃から世界の状況が変化し始め、遂には世界規模の戦争にまで発展してしまう。しかし、幼い彼の目にはその光景もウイルスの情報も、初めは遠いテレビの中の出来事としか映っていなかった。

 テレビの向こう側の出来事が、じわじわと日常に侵食し始めてから数年。遂に国で内戦が起こり、家族共々隣国へ避難しようとしていた時である。列車や交通機関はとうに規制され、両親と姉と共にいくつかの避難民キャンプを経由し徒歩で隣国を目指す。


 突然——。焼けるような痛みと共に、自身の視界が失われた。疲労感は確かにあった、疲れによる風邪でも引いたのだろうくらいに思っていた。集団移動もこの状況下では仕方ないと……まさか、そこで自分が、感染者になるなんて。

 辛うじて残っている感覚の中で、口からはもう言葉ではなくコポコポと何かが溢れ出る音しか聞こえてこない。ああ、自分は今血を吐いている……喉にこびりついているどろりとした錆臭い味と、遠くなる意識の中でそう思う。


(お願い、姉さん。姉さん、僕に近づいちゃダメだ。お願い、誰か——)


(こんな、許さない、絶対、に、ゆる、さない。僕たちが、ねえさ、んが。何をしたっていう、んだ)


 沈んでいく意識の中で、少年の心に湧き出てきたのは。恐怖でも絶望でもなく、怒り。自分の将来を奪われた怒り、そして誰よりも優しい姉から沢山の未来を奪った戦争と、ウイルスと、神への怒り。


(こんなところで、死んで、たまるかっ。畜生、絶対に負けない、生きて……こんなことを始めた奴ら全員、俺がブッ殺してやる!!)


 真っ暗な暗闇の中、針の穴ほどの光を目指してどれくらい経ったかもわからない時間の中、少年は足掻あがき続けた。



 おい…! この子目を覚ましたぞ……!! そう聞こえたのはどれくらい経ってからだろうか。まぶたが自分のものでは無いかのように重く、薄眼を開ければ外の光が刺すように痛かった。包帯や消毒液の独特な匂いが鼻をつく。


「よく頑張ったね! 頑張ったよ君!」


 そう言いながら涙を流し、少年を抱き上げた男は自分が生まれ育った国の軍隊の服を着ていた。もう一人、その横に立って見下みおろしている男の方にゆっくりと首を傾ければ、その顔にある大きな刀疵が目についた。 


 話によれば自分は二年近く眠っていたらしい。

 民間人の避難を護衛していた軍部と、貴族側の騎兵隊との衝突で多くの者達が犠牲になったのだという。その中で、息をしていた自分は既にウイルスに感染しており、息も絶え絶えの状態だったそうだ。

 その状態でも生きようとしていた、と身体を支えてくれた軍人が言った。彼がこの軍事施設まで自分を保護してくれたそうだ。


「あ、あの。俺の両親は……姉は……?」


 聞けば首を横に振られた。銃撃戦が起きた中で既に両親は所在が知れなかったという。


「じゃあ……姉さんも?」

「いや、君のお姉さんは無事だ。君を助けて欲しいと最後まで庇っていたのもお姉さんだ」


 その声に安堵し、しかし辺りを見回せど、どこにも姉の姿はない。


「ヴォルケ・ウルフリッヒ・ルードルマンくん。君、軍に入らないかい?」

「えっ……?」



 要は軍の上層部との交換条件だ。

 もし自分が生き残れば”悪魔の契約者”となり得る。せっかく生かした能力のある祖国の子供を、軍が見逃すはずはない。たとえ血の繋がった家族が何を言おうが、だ。

 なるほど理解した。優しい姉の事だ、せっかく生き延びたんだから軍に入るなんて死ににいくような真似はやめて欲しいというだろう。

 別にいい。姉は民間人の保護シェルターでメサイアを発症する事なく過ごしているという、それがわかれば他の事は正直どうでもよかった。

 皮肉な事に、その後の適正テストをクリアした自分は空軍の所属となり、夢だったパイロットへの道を歩む事になる。曲がりなりにも自分だけが憧れた道を歩んでいる事には少し後ろめたさがあった。

 配属されたのは連合軍第13師団、飛行部隊第8中隊。中隊長は自分を救い上げてくれたあの軍人だった——。


 アルフレッド・フォッカー大尉、その真っ赤な機体と夕日を背に突如現れ爆撃を開始する姿からRouge Diable赤い悪魔と敵軍に恐れられる名パイロットである。

 彼の元で連日厳しい訓練に励んだルードルマンはみるみる頭角を現し、得意の重力操作で敵すれすれまで急降下し爆弾を落とすか、重力で叩き潰す戦法を確立していった。始まりはどうであれ、やはり飛行機に乗るのは楽しく、訓練中も戦闘中も無茶ばかりして反省文をよく書かされるという跳ねっ返りの問題児…という立場も同時に手にしてしまった。


 四○四はフォッカー大尉が戦時中に拾い上げ助けた者達で固められた分隊だった。機銃手、パイロット、当時はルードルマンと大尉も合わせ六名が所属していたという。

 面倒見が良く、紳士的なフォッカー大尉は皆の憧れの的で、赤い機体が飛び立てば基地の外からはハンカチが振られていた事もある。四○四分隊の仲間も二十歳前後とルードルマンと歳の近く身寄りのない者が多く、まるで男兄弟のように皆仲が良かった。


「ヴォルケ、ほらお姉さんからの手紙だよ」

「ありがとうございます!」

「早く将校になりなよ、そしたらお姉さんとの面会だって叶うからさ。そしたら一緒に会いに行こう」


 人付き合いがそこまで上手くないルードルマンにも良く気を回してくれ、基地に戻ればまるで弟のように可愛がってくれた。将校クラスにならないと民間人との接触が許されないため、大尉はシェルターに行っては姉からの手紙を持ってきてくれていた。


「フォッカー大尉、この戦争に終わりはくると思いますか?」


 ブリタニア連合の開発した新しい戦艦への攻撃出撃命令の出た夜、ルードルマンはそう尋ねた。


「どういう意味だい?」

「あっ、いや。戦争が先の見えない無駄なモノだと言いたいわけではないのです。……俺は凄く神を憎みました、しかし訓練校を出て十八歳で正式に軍に所属してから三年、一度も神とやらの存在に出くわしたことがありません。叩き潰してきたのは、敵軍と、その兵器のみです。これでは、原則主義派は新人類派と戦い消耗し続けるだけなのではと……」

「そうだね、俺もずっと軍にいるけど、祖国にいた時から神とやらにはお目にかかったことがないや」


 何やってるんだろうね、俺たち。そう少し悲しそうに微笑む大尉は、目をそらして夜空へと視線を向けた。


「もしかしたら、この戦争でさえ”神サマ”とやらの掌の上で、人間は遊ばれているだけなのかもしれない」


 内緒だよ、上にバレたら首が飛びかねないから。そう言って人差し指を唇に当てながら、大尉は振り返った。


「だってさ、人類が二分化して争っている今、きっと毎日その絶対数は減っていく。新人類派だって別にメサイアを克服しきったわけじゃない。その先を考えるのなんて……途方もなくて目を瞑りたくなってしまう」

「でも……それでは我が軍は何のために」


 大尉はぽんとルードルマンの頭に手を置いた。今はもう自分の方が背が高くなったのに……と少し恥ずかしくなってそっぽを向く。


「何の為……がわからなかったら、誰かの為って思っていいんだヴォルケ。私達が戦う理由なんて、今はそれで十分だ。シェルターにいるお姉さんの為に生き抜く、それでいい。戦争の大義名分なんて我々が語らなくていいんだ」

「……叱られませんかね、それ」

「はははっ、大丈夫だ。私とヴォルケだけの秘密だよ。君のことは弟みたいに思ってるんだから。さあ明日も早い、今日はしっかり寝て備えるんだ。明日は大物が相手だぞ」

「はいっ!」


 隊舎に戻っていく大尉に軽く敬礼し、ルードルマンは後を追う。自分も貴方を兄みたいだと思ってます、とはタイミングが掴めず言えなかった。




「戦艦リゲイリアに追尾式ミサイルが搭載されているなんてデータになかったぞ!」

「くそっ! シュヴァイツアーがやられたッ!」

「……皆すまん! 俺もやられた! 後を頼んだぞ!」

「やめろ、戻ってこい!」

「クッソォォオお」

「ルードルマン! 戻れ! 撃ち終わった後に狙い撃ちされるぞ!!」


 出撃した先は地獄絵図だった。煙幕の中から確実に一機一機撃ち落とされていき、四○四分隊は壊滅的なダメージを受けた。

 仲間達は迎撃されそのまま海へ墜落するか、辛うじて機体が残っていた者も最後の力を振り絞って戦艦リゲイリアへと機体ごとの体当たりを試みるという状況だ。


「フッザけんな!! このデカブツ!!!」

「やめろ! 行くなルードルマン! ……っおい! 戻れヴォルケ!!!」


 通信から大尉の声がルードルマンの耳に入る。しかし既に急降下の体勢に移っており後には引けなかった。

 シュヴァイツアーは恐らく即死だった、対空砲ミサイルが機体のど真ん中を貫き爆発したのだ。レミンシェルも、ケストナーも、翼をやられた瞬間別れの言葉を吐いて突っ込んで行ってしまった——。

 ちくしょう、自分だって引けないんだ。息を吸い、機体を垂直にして機体周り全ての重力のベクトルを下へと叩き込む。

 周りの空気が反響して物凄い音を出したのがわかる、後少し、三百メートル近くまで来たら爆弾を切り離す……。

「ユカライネン中尉! ヴォルケを頼むぞ!!」どこか遠くでそんな声が聞こえた。

 残り二百……百…‥よしっ。爆弾を切り離し、空力ブレーキをめいっぱい引き上げる。垂直に加速をつけて落とした爆弾は戦艦に凄い勢いで刺さり——。


「何……だと?」


 爆弾は不発で、何の反応も示さない。 

 どこかで、神とやらが嘲笑うような声が聞こえたような気がした。

 その気持ちの悪いまるで人間ではないような嗤い声が響く中、スローモーションのように自分の状況が把握できた。不発の爆弾、急降下の体勢からの反転上昇の速度の上がりきらない機体、そしてこちらを向く砲塔……。


「ヴォルケェェェェエエ!!!」


 ドォオオオオオン! と唸り声のような轟音を上げ砲塔が火を吹いたのと、赤い機体が自分と砲塔の間に飛び込んで来たのはほぼ同時だった。


「嘘だ……」


 耳の奥では嗤い声が酷く鳴り響いている。砲弾を受けて自分がバラバラになって幻聴を聴いているのかとさえ思った。

 何かが貫かれ、弾け飛んで、砕けて……墜ちた。自分ではなく、それは——。


「ルードルマン! 操縦桿から手を離すな! 浮上しろ!」


 瞬時に現れた同じ中隊のユカライネン中尉の機体が、撃って来た砲塔に向けてあらん限りの銃撃を浴びせる。


「……っしかし!」


 嗤い声で頭が痛い。バカにするな、嗤うな。お前がどれだけ蔑もうが、無駄に吐き捨てていい命なんて一つもなかった。お前が、遊んで捻り潰していい奴なんて一人もいなかったのに……っ。

 振り返って再度突っ込もうとするルードルマンにユカライネンの檄が飛ぶ。


「ルードルマン! 聞きわけろ! お前はフォッカー大尉の遺志を無駄にする気か! 離脱するんだッ!!」

「……ッ!!!」


 瞬間、操縦桿を思い切り手前に引いた。いつの間にか嗤い声も止まっている。

(ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……っ!!!)


「バルクホーン、メイヴィス、援護してくれ! せめて大尉の機体だけでも回収する」

「了解——!!」


 数年ぶりに流した涙が空に飛び散る中、ユカライネンの指示に従う二機とすれ違った。

 退避命令に従い、基地に戻る空は酷く重たく、まるで鉛を飲み込んだような気分だった。

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