1-4 合同基礎体力訓練(弍)

「なんだ、ルードルマンも来ていたのか」


 予期していない背後から急に声をかけられて、少しだけ反応が遅れた。慌てて立ち上がろうとするところを、声の主である連隊長のユカライネン大佐に手で制されルードルマンは頭を下げた。

 二人のいる警備用の展望所は陸訓練グラウンドのすぐ横にあり、本日朝から行われていた合同基礎訓練の様子が手に取るように見えている。眼下に見える兵士達は午前中の走り込み中心の訓練から昼休憩を挟み、今は組手の時間に入っていた。

 ローテーションでの組手が一通り終わると、次はごろんごろんとグラウンドの地面で前転横転を繰り返し、足元がおぼつかなくなったところでの即格闘訓練。よくもまあこんなモノを思いついたものだ。


「はい。どんなものか見ておこうかと思いまして」

「”それ”の犯人をか?」

「……違います。俺が見てるのはフワ曹長の方・・・・です」


 からかい口調で顎のあたりをトントンと指して言われ、咄嗟に声が出た。意地になっているのは明白で、それに自分で気づいて口を真一文字に引き結ぶ。


「そこで日ノ元帝國の奴らが…とでも言っておけば、そんな表情カオをしなくても済んだろうに。今日はヤケに大人しいじゃないか? そんなに強烈なのをもらったか」


 見透かしているようにニヤニヤと笑う大佐の言葉が、なんだか妙に居心地が悪い。他の将校勢が近場で見ている中、自分だけがわざわざ展望所を選んで来ていたところで鉢合わせしたというのも若干気まずく感じた。


「先日の始末書明けでテンションが上がりきっておらんだけです。それに……大佐やニルソン大尉の拳に比べれば、こんなのそよ風程度ですよ」

「形式上必要な事だ、毎度の事だが処理するのはこちらだから問題ない。まさか戦車砲を括り付けていくとは、お前も相変わらず無茶をする……。それにしてもそよ風か、面白い。見上げた根性だと思わんかね? あの娘ッ子含め帝國の奴らは」

「アレが女のカテゴリーに入るかは微妙なところですが。ここまでの基礎訓練を見る限り奴ら相当な場数を踏んでますね、全くへばらない。それを指導するフワ曹長の力量も。共闘戦線無しで四方を囲まれた中、あの小さな島国を最後まで護れていたのも理解できる」

「面白い話があってな。下っ端にありがちな発言だが、あの訓練内容について「自分でやってみろ」とほざけば、曹長自ら顔色一つ変えずに全ての種目を一番の成績でこなすそうだ」


 映えある連合軍兵士もかたなしだな。そう笑う大佐の言葉にルードルマンはなんとも言えない表情になる。


「何故、此度の配属で彼を飛行部隊の曹長に? 帝國陸軍大将の跡継ぎでしょう、軍大学も出ている筈ですが……」

「その父君と曹長本人たっての希望だそうだ。自身は火の海と化した日ノ元の帝都に未だ籠城している武人なだけある、息子は最前線で闘えるようにしてほしいとの事だ。万が一があっても、連合側に何の責任も問わんとの血判付きでな」

「自信と受け取るか、意固地と受け取るか。俺には判断つかない話ですな」

「まあそう言うな。あれだけのタマだ、本当は陸第4ウチに欲しかったんだが……」


 出張ってもらう事は多々あるだろうがな。その言葉を聞く限り諦めているわけでもないらしい。


「では、彼らを俺の下につけたのは?」

「面白そうだと思ったからだ」

「——は?」


 一瞬自分の声かと疑ったほどに、間の抜けた声が出た。

 自分達は今大戦の真っ只中だ。これまでの幾つもの戦闘の中で多くの僚機や部下を喪ってきた、自分の闘い方が滅茶苦茶だという自覚も多少はある。だからこそ四○四分隊とは名前だけのもので、一機だけで戦果を挙げメンツを保ってきた。それなのに。


「俺を狙った砲弾に、ガキが巻き込まれるのは流石に夢見が悪いです」

「そう言うな。実際にその飛行を見たイッルが言っていたぞ、あの娘ッ子がお前の隣を飛ぶ姿が目に浮かんだとな」

「いつそんな暇が……」

「聞いとらんのか? まったく……良くも悪くもお前は周りの見えんやつだな。先日の基地襲撃未遂の爆撃機、全滅させたのは件の小娘一人だ」

「……」


 流石に表情が渋くなるのは繕えなかった。ユカライネン大尉がご機嫌だったのはそういう事か。冷静沈着な優男に見えて、大尉も十分な飛行機狂いだ。


「高度適正テストの結果次第かと。俺についてこれる奴がいるとは到底思えませんし、遠慮なくぶん殴りましたから、奴も俺の事は嫌っているでしょう」


 尊敬している、しかも大の上官相手に大きなため息をついてしまった。だが咎められないのもわかっている。自分はこういう人間で、それも全て受け入れきってくれているのがこのアルベルト・ルネ・ユカライネンという男だ。


「……で。俺の記憶が正しければ、本日の合同基礎体力訓練には下士官以下は全て参加だったはずですが?」


 そう言って、ユカライネン大佐の背後、一見何も居ない壁際をちらりと見る。 

 懐の深さには敬服する。しかし見透かしたようにニヤニヤ笑ったままの上官に、ほんの少しの反抗心で嫌味も言いたくなるというものだ。


「適材適所、をご存知かねルードルマン? スロは優秀な狙撃手だ、指を怪我されでもしたら大問題だろう?」


 大佐の言葉が終わるタイミングで、展望所の室内にほんの少し雪が舞った。刹那、何も居なかったはずの場所に、小銃を背負った小柄な人物が現れる。

 ぺこり、と眉一つ動かさずその場でルードルマンに礼をした人物に、「行くぞ」と大佐が声をかけた。


「ガードナーと同じだ、上が許可してるんだから問題あるまい。人事に口を挟みたければお前も偉くなれ。できん奴ではないと思っているぞ!」


 ウハハハと豪快に笑いながら背を向ける大佐に、ルードルマンは今度こそ立ち上がって敬礼をした。




***



「ルードルマン少尉! いらしてたんですか?」


 展望所を出たところで、先刻まで訓練を指揮していた不破曹長と鉢合わせした。彼の後方に見えるグラウンドは、現在訓練を終えた兵士達の倒れ込む姿で死屍累々という有様だろう。


「……たまたま通っただけだ」

「そうなんですね! 偶然だ!」


 咄嗟についてしまった嘘を、あっけらかんと受け入れる姿にルードルマンは拍子抜けした。先程まで鬼の形相で兵士達を放り投げては締め上げていた人物とは思えない。

 そのままどちらともなく飛行部隊の庁舎へと歩き出す。

 周りに誰もいないのを確認して、ルードルマンは口を開いた。


「フワ曹長。今は上官ではなく、二つ歳下のただの同じ分隊員と思って話してくれ」

「えっ、何を急に」

「すまなかった」


 隣を歩いていた弘が、息を呑む音がした。


「俺にも姉がいる。俺と違って優しくて大層勉強ができる人でな。小さい頃は片時も傍を離れず、眠る時に隣にいてくれなければベソをかいていた。姉妹とのはなんとなく理解しているつもりだ、兵士とはいえ、知らなかったとはいえ、大の男に顔面を殴られるなんて我慢ならんだろう……と」

「えっと……」

「構わん、今は二人だけだ。文句を言おうが殴ろうが上に報告するつもりはない」


 くっくっくっ……と肩を震わせて笑い出した弘に、ルードルマンは怪訝な顔を向ける。


「いやそれはもう直本人がやり返したから……殴るなんて事はしないですよ、俺は」


 一人称が俺になったという事で、少しは気を抜いてくれたという事だろうか。そう思案していると「じゃ、今は遠慮なく」と隣で呟く声が聞こえた。考える間も無く、胸ぐらを掴まれる。


「うちのカワイイ妹に何してくれんですか、マジで肝が冷えたじゃないですか。顔パンパンに腫れたんだぞ」


「はははっ! お前そっちの方が断然いいぞ」そう言うなりルードルマンも、満面の笑みで目の前にいる弘の襟元をグシャリと掴み返した。


「今のは兄としての貴様への謝罪だ。あの跳ねっ返りがカワイイなどとは、天地がひっくり返ろうが到底思えん事は伝えておく」

「なんでだよ、ちょっと男勝りが過ぎるけど。ちっちゃい頃なんか滅茶苦茶かわいかったんだからッ」

「どこの世界に男所帯の軍隊に入隊した挙句、ナメられんよう気合い入れて坊主頭にする女がいるか!」


 一瞬小さい頃の直を頑張って想像しようとした頭に、ルードルマンはいやいやと蓋をする。


「あの屈強なオブゼン軍曹と張り合うなんぞ、頭オカシイのかと」

「……訓練見てんじゃねーか!」


 アッしまった、そう思って手が緩む頃には、弘もルードルマンの襟首から手を離して笑っていた。


「違うからな。参考として本日の訓練全体を視察しただけ・・・・・・・・・・・だからな」

「…俺、少尉が同期だったら絶対楽しかっただろうなって思いますよ」

「かもしれんな、不本意だが」


 散々笑った挙句、その毒気のない笑顔にするりと懐に入られたようで何だかムカついた。しかし嫌ではない。

 ふと、思っていた事を問いかける。


「フワ曹長、お前あれだけシゴいて祖国で故障者は出なかったのか」

「まぁ……正直多少は」

「聞こえていたかもしれないが、お前の妹への言葉含め、訓練中の者達に対し情けや可哀想だと思う事は?」


 弘は一瞬、困ったように眉を下げ


「可哀想だと今思って手を緩めたら、後々取り返しのつかない戦場で"もっと可哀想な事"になるかもしれませんから」


そうハッキリと言い切った。笑いながら見返してくる視線は暗に「多分アナタも同じ考えでしょう」と語っている。


「同感だ」


 そう迷いなく答えた。


「そういえばもう一つ、とても気になっていたことがあってな」

「おやっ? なんでしょうか?」

「時にフワ曹長、お前の妹が俺に浴びせかけた「ヴォケ」とはどういう意味だ?」

「……」


 空気が固まる——。

 ワザとらしい笑みを貼り付けた弘を、最高に意地の悪い表情でルードルマンが見返していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る