第26話 空に消えて、それでもそこに

「これ。喜んで頂けたのが嬉しくて、昨日焼いてきました」

「!! ありがとうございます。本当に美味しかったです」

「また来てくださいね。昨日は人生で最高の日でした」


 高見さん記念館の管理人の高橋さんが、東京に帰るまえに渡したいものがある……と言われて駅前で待ち合わせしたら、昨日頂いた手作りカステラを追加で作って下さった。

 私たちは三人で別れを惜しみ、また必ずくることを約束して別れた。

 頂いたカステラはまだ胸もとで命みたいに温かくて、私はそれを優しく抱き寄せた。

 おばあちゃんは車の中で嬉しそうに口を開いた。


「めっちゃ楽しかったなあ。また冬に来ようか。旅館で聞いたんやけど、砂のお風呂も行ってみたかったわ」

「私も調べたとき思いました。すっごく楽しそうですよね」

 私とおばあちゃんがキャイキャイ話していると五島さんが運転しながらミラー越しに口を開いた。

「指宿の砂むし温泉な。あれに入ってから酒飲んだら旨いだろうな」

「尚人は酒ばっかりやな! でもばあちゃんも今回は高見さん記念館に夢中でお酒の一本も飲まれへんかったから、次は飲みたいなあ」

 三人で鹿児島空港に直で降りればよいのでは?! と次の旅行のアイデアを練った。

 

 そして空港に向かう車の中で気が付いた。


「来るときは気が付かなかったけど、これって海じゃなくて湖なんですか」

「湖に見えるけど、一部海に通じてるらしい。長崎空港は、その中に浮いてるんだ」

「すごい、楽しいですね」


 五島さんの考えてくれたプランは、帰りは長崎空港から東京に帰るプランだった。

 車は長い橋を渡って空港に入った。旅行好きな私は、地方の空港も大好きなのだ。

 まだまだ行きたいことも、したいこともたくさんあってワクワクする!


 五島さんが「どうせパンフレット送るなら、他の荷物も送っとけ」とカウンターに連れて行ってくれた。

 私はかなり身軽な状態で長崎空港の屋上に上がった。

 強い日差しがジリジリと肌を焼く。ものすごく南国! 

 でも名残惜しくて、屋上を五島さんと歩いた。 

 すると空港の屋上に『幸せの鐘』というのを見つけた。

 『鐘を鳴らす方に幸せがきますように、鐘を鳴らす方が思う大切な人に幸せがきますように、鐘の音を聞いた方に幸せがきますようにという願いを込めて』と書いてあった。私はこういうのが大好きだ。

 チラリ……と五島さんを見ると「っ……たく」と恥ずかしそうにオデコを揉みながら、それでも一緒に鐘を鳴らしてくれた。

 えへへ、嬉しい! 信じてるわけじゃないけど、一緒にしてくれる『その気持ち』が嬉しいのだ。

 私は五島さんの手を握った。

 さあ、東京に帰ろう。




 昨日の夜、お父さんにはLINEをした。

 週末、家にきてほしい、と。


 実は引っ越す前にマンションは見に来たけど、その後は一度も呼んでない。

 だって……ねえ? もう正直まったく片付けてないのだ。

 仕事を終えて帰ってきて、すぐにお店に行って働きながらおばあちゃんとオタクトーク。

 五島さんが作ってくれたご飯を食べて、部屋に戻ってお風呂に入り映画を見ながら隙間で就寝……。

 それをくり返しているので、完全な寝部屋。

 漫画を描くタブレットや、画材さえ、勝手におばあちゃん家の台所に運んでしまった。

 だってそもそも私のへやには机も椅子もない。

 隣にお仲間がいて「ここで描きなさいよ、ばあちゃんもここでブログ書くから!」と言われて、横の大きなテレビで映画が流れている空間があって、自分の部屋を掃除する人がいるだろうか、いや居ない。

 だからお店のほうにきてもらおうと思っている。

 でも、会う時の事を考えると気が重くてため息をつく。


 私を産んでくれたお母さんは、良いところのお嬢さまだった。


 都内にある大きなお屋敷で、祖母はいつも素敵なドレスを着て出迎えてくれた。

 お父さんと祖母の希望で、私はずっとお母さんが通っていた中学高校に通っていたのだ。

 同じ制服を着た私を、祖母もお父さんも「お母さんを見てるみたいだ」って喜んでた。

 だから実家にいたときは、お母さんが好きだったピンクや白で統一して、祖母のお屋敷にお邪魔する時はお母さんに似せた服を自ら選んだ。

 でも何もかも、自分に馴染まなかった。

 望んだ娘になれなくてごめんなさい、という気持ちが大きい。

 飛行機の中でうつむく私の手を優しく五島さんが握ってくれた。


「大丈夫か?」

「はい」


 私は私のままで良いって、もう知っている。

 それに私には素の私のままで頼っていい人たちが、ちゃんといる。




 家に帰ってきた。

 おばあちゃんは荷物を部屋の中にいれて、換気のために全ての窓を開けた。


「はあ~。おつかれさん。旅行って片付けがめんどくさいよなあ」

「私はわりと好きですよ。洗濯して、あとはカートのまま保管してますから」

「絵里香ちゃん、それは片付けって言わんのや」

「そうですか?」


 私とおばあちゃんのやり取りを聞いて五島さんが笑っている。

 だってまたすぐに旅行にいくので、部屋のすみっこに「旅行ゾーン」が作ってあり、旅行関係の荷物は全部そこに置いてある。

 私は聖地巡礼が趣味なので、楽しそうな旅行グッズとか見かけると無限に買ってしまう。

 首枕とか、小さなスリッパとか、なにより一泊用のシャンプー!

 昔はお店であまり見かけなかったけど、最近はお試し用にひとつだけのシャンプーが売っている。

 これが旅行に最適で段ボールにたっぷり詰まっている。


 帰ってきたばかりなので、今日はお店をお休みにしようと思ったら、典久くんが学校から出てきた。

 どうやら学校の校庭が解放されていて、みんなで遊んでいたようで汗だくだ。

 ベンチに座ってお茶を飲み、目を輝かせた。


「絵里香お姉ちゃんとおばあちゃん、おかえりーー!」

「典久くん、ただいま!」

「はい、お土産ちょーだい」

「もお~~。秘密だぞ~~~」


 私はさっき頂いたカステラを取り出した。

 少し切って出してあげると、典久くんは目を輝かせてそれを食べた。


「すっごくふわふわで甘くてシャリシャリしておいしい!」

「でしょ? 作ってもらったの」


 カステラを自慢したかった気持ちのが大きかったりして。

 夏の日差しにグラウンドが発光して見える世界に、水しぶきが見えた。

 典久くんは紙からザラメを引きちぎって食べながら口を開いた。


「そういえば、金曜日、小学校で『水鉄砲祭り』があるから、水鉄砲を仕入れると売れるよ」

「ほう。どんなタイプが売れ筋なの?」

「やっぱ柄杓ひしゃくだよ、柄杓」

「水鉄砲じゃないよね?」

「もしくはバケツ。百均の小さいやつ。もう駅前は売り切れてるから仕入れてきてよ」

「だから水鉄砲じゃないよね?」


 私と典久くんが笑いながら話していたら、横に五島さんがガリガリくんを食べながら立った。


「……またこの時期がきたのか」

「鬼の五島さんキターー!! 今年も十三時からね。絶対来てね」

「イヤでも迎えにくるだろ。ったく、あれ疲れるんだよ……」


 五島さんはオデコを揉んでため息をついた。

 どうやら毎年恒例で、商店街の男性が引っ張り出されるようだ。

 水鉄砲祭りなんて名前がついてるけど、ただの水かけ大会で、みんな柄杓片手に水をかけあうらしい。

 調べると実に色んな種類の柄杓があることが分かった。

 私はスマホ片手に五島さんのほうを見た。


「今すぐ仕入れにいきましょう!」

「橘の目はなんでそんなに輝いてるんだよ」


 五島さんは苦笑したけど、結局私たちは問屋で色んな種類の柄杓を仕入れた。

 小学生が買うならなるべく安いほうがいいと思って、プラスチックの柄杓を仕入れたらこれが売れて!

 そして百均で売っているより、更に小さなバケツも五十円で売ったら、売り切れた。楽しい!

 やっぱり私わりと商売が好きなのでは……?



 そして水鉄砲祭り当日。

 私は濡れたくなかったので店のベンチで見ていたけど五島さんは常時六人くらいの男の子に追い回されていてめちゃくちゃ面白かった。


「……男子ってなんであんなにバカなの?」

「天音ちゃん!」


 天音ちゃんはベンチに座り、最近私が仕入れたシャボン玉を買ってくれた。

 強度百倍という宣伝に興味がありすぎてやはり仕入れてしまった。

 目の前のグラウンドでは、大騒ぎしながら水しぶきが上がっていて、私たちの手元からは丸くて空の青ささえ閉じ込めるようなシャボン玉がふわりと浮いていく。

 強度百倍はダテではない。

 どこまでも高く上り、それは太陽とひとつの丸になってパチンと消えた。

 びしょ濡れになった五島さんが逃げてきて、一緒にシャボン玉をした。

 ふわふわ青い、夏の日。

 

 そしてスマホが明日のスケジュールを伝えた。

 お父さんと滝本さんが、このお店にやってくる。


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