第19話 俺の前だけで

「佐伯さんも私と同じ隠れオタクみたいです」


 そう橘が言った時、今まで感じたことがない【嫌な気分】になった。


 最近、会社のヤツラの橘をみる目が変わってきたことに気が付いていた。

 今まで仕事に押しつぶされて誰も見向きもしてなかった。

 でも俺の彼女という枠になり、余計な仕事が減り余裕が出てきたのか……社内でも笑顔を見る。

 そして何人かに言われたんだ。

 「全然気が付かなかったけど、橘さん可愛いねえ。五島さん早めにゲットするなんて、やりますね」って。

 余裕が無かっただけで、アイツは俺の家に来た時からあんな感じだ。


 ……俺も家に来るまで知らなかったけれど。


 でも会社では橘は『俺の彼女』ということになっているから誰も近づかない。

 影で「怒号の五島」と言われていて良かったと少し思ったくらい、安心していた。


 でも社外ではそうはいかない、

 飲み会から守るために箱に入れただけの彼女だ。

 橘の性格からして、外で「彼氏がいるんです」と惚気るとは思えない。


 打ち合わせに行くたびに話している佐伯と橘を見て、胸の奥にイライラが溜まるのが分かった。


 俺は、今の橘との距離感を気に入っている。

 同僚で、家に帰るといて、ばあちゃんの話し相手。このままずっと、この距離感で、横に住んでればいいと思っていた。

 俺が作った飯を食い、店にいる。仕事が大変なら守ってやるし、悪くないだろう?

 橘はばあちゃんの仲間だから、店から居なくならない。

 そう思ってたけど、店に他の男とくる……という事があり得るのか。

 それを俺が見なきゃいけない可能性があるのか。

 それにやっと気が付き始めた。




「……猛烈にイライラする」

「大丈夫ですか、五島さん。おつかれですよね、すいませんこんなこと頼んで」

「ああ、すいません。個人的なことです」


 今日はバスイベントの本番で、俺は保城さんの事前撮影を見守っていた。

 どうやら去年ヤバいやつに追い回されたらしく「五島さんが睨んで立ってるだけで、パーフェクトなんで!」と営業に護衛を頼まれた。

 まあそうだろうな。なんたって遠くに佐伯と橘が楽しそうに話しているのが見える。

 ものすごい顔で睨んでる自覚があるから、護衛には最適だと思う。


 佐伯と橘は素手で段ボールを開けている。

 ……怪我するぞ。

 俺は再びイライラした。


 段ボールを扱うときは軍手を使えよ、資材置き場においてあるだろう。

 佐伯も持って来いよ。お前の手の皮と、橘の手の皮は違うだろ。

 俺が持って行くか……と資材置き場に行き、軍手を二つ持って戻ると、もうふたりは売り場に移動して居なかった。

 なんだかイライラするなあ!! 悪さをするマスコミさんは居ないかねえ!!

 今なら俺は良い仕事すると思うけどなあ!!

 ため息をついて軍手をスーツのポケットに入れると、横で保城さんが笑った。


「社内だと橘さんに手を出す不届き者は居ないですけど、社外だといるんですね」

「いや、そんなオーラを出しているつもりはないけど」

「出てますよ。『俺の橘に手を出すな』って顔に書いてあります。でも五島さんは、橘さんといるようになってから落ち着きましたね。前はとにかくイライラしてるのが周りに伝わってて怖かったですよ。五島さんの机の周り、鬼が島って言われてましたよ。そして羽鳥さんがキジ」

「……マジですか」

「でも最近は聞きませんし、かなり落ち着いたように見えます。橘さん効果ですね。橘さん可愛いですもんね。男性はああいう可愛い方が好きなんだって分かります」


 そう言って保城さんは撮影ブースに移動していった。

 俺は販売スペースで商品を並べている橘を見ながら思う。


 前は結構ストレスがあったことは自覚している。


 ばあちゃんが買ってくる詐欺商品は、全部商店会の仲間から買ってきたものだった。

 面倒なのは、最初に商店街の人に詐欺商品を売りつけるやつだけ悪意があって、それを広めてる商店街の人たちは善意で動いているのだ。

 厄介なのは、悪意より善意。

 善意を裏切ったと思われるのが一番駄目だ。

 だからこそ対応が大変だし、根っこを叩くのは面倒で……とにかく関わらないでほしかった。

 でも商店街ってのは、そんな単純じゃない。

 先代から百年以上今の場所で店を続けている我が家からすると、簡単に関係を断ち切れない。

 

 でも橘がきてから、変わった。

 橘はいつの間にか知り合いになった自治会長に「これは詐欺ですよ。駄目です。健康チェックって言ってますけど、最後には変なジュース出してきますからね」とハッキリ伝えてた。

 新参者のいうことなんて誰も聞かないが、うちのばあちゃんは自治会長と付き合いが長い。

 五島さんのばあちゃんの所の子が言うなら……と自治会長はイベントスペースに健康チェックを呼ぶのをやめた。


 最近の詐欺は『血圧チェック』や『体調チェック』と銘打って、その後に詐欺商品を売りつけてくる。 

 だから詐欺の巣窟になってたんだけど、それをやめて、ばあちゃんの提案でお菓子売り場になった。


 元々近くにケーキ工場があり、そこからでるスポンジのはじっこを工場だけで安く売っていた。

 ばあちゃんが好んで食べていたものだが、一般にはそれほど流通してなかった。

 今はそれを置いていて、かなり繁盛していると聞いた。

 縛りがなく自由に入ってきた新たなる風は、商店街で力をもつばあちゃんに守られて、静かな光になっている。


 仕事をしてる時にもかかってきた電話はなくなり、ストレスが減った自覚はある。

 橘が家に来るようになってから、俺は落ち着いた、と思う。


 こんなの初めての感情で正直戸惑うが、家に帰ってきた時に橘が店に立ってると安心するし「おかえりなさい」という笑顔を見ると嬉しい。

 外でも会社でも自然と目で追っているのが自分でも分かる。

 橘を見ていると安心するんだ。


 何よりアイツ……表情がくるくる変わって面白いんだよな。

 家ではばあちゃんといつまでも話してるオタクなのに、毎朝電車の中で抱き寄せてるといつまでもモジモジしてさあ。

 飯食ってる時は子どもみたいに笑顔見せて、会社ではスーン……としてるんだ。何個の顔を持ってるんだよ、アイツは。

 そしてもっと色んな表情を見てみたいと思い始めてる自分に気が付いている。

 ったく、スーンと……スーンとしてろよ!! 俺の前だけでいいだろう?!

 めちゃくちゃイライラしたが、イベントは忙しく、目の前のことをしていたらかなり気が紛れた。




 十六時を過ぎると、七割のお客さんが帰り始め、片付けが始まった。

 倉庫裏に行くと、橘と佐伯が段ボールを片付けていた。見ると……また素手だ。

 それに橘は指先を見ていた。怪我したんだろ!

 ったく……だから軍手しろって言ってるんだ。


 俺は資材置き場に行き、バンドエイドとお茶を持ってきて橘に渡した。

 橘はパアアアと笑顔になったが、もう顔が完全に疲れ果てていたので、パイプ椅子に座らせた。

 うちの会社は男女関係なく仕事をさせることに高評価を得てるけど、力仕事まで女にさせる必要はないと俺は思っている。

 単純に力も、手も、俺のが大きいんだ。それは差別でもなんでもなくて『そういうこと』だ。


 上着を脱いで橘に持たせて作業を開始した。

 段ボールもここまであると、本当に重作業だな。

 縛っても縛っても出てくる。このあと業者が一斉に持って行くけど、凄まじい。


 後ろをチラリとみたら、橘は俺が渡した上着を抱えて眠りかけている。

 首がフラフラして……あのままひっくり返るんじゃないか?!

 それに口が開いてるぞ!! 

 ったく、その無防備な顔を人に晒すな。

 俺は近づいて、スーツを橘の顔にかけた。

 すると橘はバッ……とそれをとって俺を睨んだ。


「!! 五島さんっ、息ができません」

「その間抜けな顔を社外の人に見せるな。かけて休んでろ」

「……はい、すいません……」


 そう言って橘は俺の上着を優しく抱きしめて目を閉じた。

 その表情を見て心臓が掴まれたように痛くなる。満員電車の中……表情なんて気にしてないけど、あんな顔をしてるんだろうか。

 その顔を晒したくなくて、もう一度スーツを顔にかけたくなるが我慢する。

 

 ったく、イベント好きだからってバカみたいに働きすぎなんだよ。

 そんなに体力がないって自覚しろよな。

 この前もばあちゃんとイベント行った日、ご飯食べ終わったあとに台所の椅子で寝ようとしてたくせに。

 俺は橘を見守りながら作業を続けた。



 片付けが終わり、解散になった。

 もうこの時点で二十二時を過ぎている。

 明日は休みだし、もう家に帰って早く横になりたい。

 そこにフラフラとした橘が近寄ってきた。


「五島さん……私、電車で起きていられる気がしません……一緒に帰ってください……」

「大丈夫か」

「本当に疲れました、五島さんも、おつかれさまでした……」


 座れた席で橘は俺の腕にもたれかかって、数秒で眠ってしまった。

 俺は無言で細い肩を抱き寄せる。

 ずっと、このままここに居ればいい。

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