第9話 絵里香の引っ越し
「絵里香ちゃん、本当に出て行くのね……」
「滝本さん、同じ東京だし、すぐ近くです」
今日は念願の引っ越しの日だ。
おばあちゃんのお店で働き始めて二か月、仕事を終えた後や土日に通い、作業をするのも慣れてきた。
会社が真ん中にあるとすると、右側に移動すると自宅、左側に移動すると五島さんの家で、二倍移動していたので、この日を待ちわびていた。
滝本さんは心配そうに廊下に座り込んで言う。
「全然知らない場所で、大丈夫なの?」
「どうせなら全然知らない場所に住んでみようかなと思ったんです」
私は笑いながら答えた。
全然知らないというのは噓で、ここ二か月はずっとその町に通っているけれど、まあこれは優しい嘘だと思いたい。
私が引っ越すのはお店の横にあるマンションだ。
おばあちゃんの知り合いの方が持っているマンションで、最上階の角部屋が空いているということで貸してくれた。
オートロックでセキュリティー的にも完璧で、環境も良く「一人暮らしか……」と渋っていたお父さんも滝本さんも部屋を見て許可してくれた。
だけど、隣の建物に同僚男性が住んでいて、お店をお手伝いするのは秘密にした。
先に知り合ったおばあちゃんの出会いが任俠映画のブログって時点で説明できないし、同人誌? それは何? んんん?? という状態であることは間違いない。
同僚だけど、良くしてもらっている男性というのも、お父さんは理解できないと思う。
知られたら「結婚するのか?! しないのか?! しないなら駄目だろう」とか言い出しそう。
大切に育ててくれたし、心配してくれているのは分かっているけど説明しても受け入れてもらえる気がしない。
でも行きたいの。
会社に入ってから毎日忙しいし、絵を描く時間も取れなくてしょんぼりしていたけれど……最近は本当に毎日が楽しい。
私はまっすぐに滝本さんとお父さんを見て顔を上げた。
「もう二十六才だし、ひとりでちゃんと生活できるようにがんばります」
「そうか……淋しくなるな……」
お父さんは年のわりにカッコ良くて、いつもスーツでお仕事に行っていたけれど、最近定年退職した。
滝本さんもお仕事を退職されていて、最近はふたりともお義兄さんお孫さん……
この前も心海ちゃんの幼稚園で運動会があり、三人でお邪魔した。
お義兄さんの
心海ちゃんは「パパはいつも、すんごいカメラもってくるの。そんでカシャカシャカシャカシャってすごいの!」と呆れてきた。
それは心海ちゃんが可愛いからだよー! と頭を撫でたらニパーとうれしそうにほほ笑んだ。カワイイ~~!!
そしてまだお二人が結婚する前……私がコピーショップで任侠BL漫画が入ったUSBを紛失してしまい、困っていたらとある女性が届けてくれた。
偶然にもそれはお義兄さんのお嫁さんになる
そんなふたりがつくるグッズはどれもすごいの!
運動会の写真も、フォトアルバムして我が家にプレゼントしてくれたんだけど、もうこれが本屋さんで売れそうな仕上がりだった。
お義兄さんの写真はものすごく上手だし、咲月さんのデザインは完璧だし……さすが同人先輩、なんたって憧れの壁サー!!
仕上がりを見て震えてしまった。オタク夫婦の本気すごい!!
お父さんと滝本さんは心海ちゃんのためにお買い物に行ったり、フォトアルバムを見たり……とても楽しんでいるので私がいなくても大丈夫だと思う。
部屋で溢れかえっていた荷物は夜中にコソコソと片付けた。
存在を知られたくなくて引き出しの中に入れていた同人誌の在庫もすべて箱に入れた。
出してみたら恐ろしい量になり、滝本さんに「こんなに本があったの?」と言われてしまった。
同人誌を描いていることだけは知っているお父さんが後ろで苦笑してたけど、見逃してほしい。
時間通りに来たトラックに段ボールを詰め込んでもらい、外まで出てきてくれたお父さんと滝本さんに挨拶をして、新しい家に向かうことにした。
月に一度は強制的に顔を出すことをお父さんに約束させられた(心配しすぎだと思う)ので、涙の別れ……とかではない。
二十六才にしてやっと独立したのだから、褒めてほしいくらいだ。
新しいマンションは、オートロックで部屋もきれいでうれしい。
普通のワンルームだけど、一人で暮らすならこれで十分だ。
到着すると、おばあちゃんが掃除をしてくれていた。
「絵里香ちゃん、待ってたよ。ほら、ピカピカや」
「すいません、ありがとうございます!!」
窓が開け放たれた部屋からは、小学校のグラウンドが見る。
三階の角部屋で、三階に住んでいるのは私しかいない。
大家さんは「学校の声が結構聞こえてうるさいけど大丈夫?」と心配していたが、平日はずっと仕事だし、休日はお店にいる。
むしろ校庭が見渡せて、開けた窓から入ってくる空気が気持ちよい!
「荷物が来たぞ」
五島さんが一階から声をかけてくれた。
はじめての一人暮らしで普通だったらうれしいけど、やっぱり少し緊張していたと思う。
でも最初から知り合いが近くにいてくれて、ものすごく心強い。
荷物がすべて運び込まれて、開封作業をはじめた。
同じタイミングで届くようにしていたのは……まずはテレビ!!
実は私が最初にハマった任俠映画【血の絆】シリーズはVHSにしかないのだ。
DVDやBlu-rayならノートパソコンで再生できるけど、VHSは無理で……もうずっとパッケージを眺めて暮らしていた。
おばあちゃんのところで再生を! とか思ったけど、おばあちゃんのところにも見たい映画がたくさんあって、幸せな悲鳴だ。
もう今日からは家でもバイト先でも見放題!
そしてセッティング終了……!!
「……完璧すぎますーーー!!」
私は配置が終わった部屋で叫んだ。
テレビのサイズも丁度良くて(がんばって薄型にした!)下にラックを設置。
そこにはVHSが再生できるデッキ&変換コネクタ、そしてDVDとBlu-rayが見られる環境にした。
おばあちゃんみたいに最高の音響システムなんて夢のまた夢だけど、とにかく好きに見られる!
再生してみると、
「ちゃんと流れたーーーー!!」
私は画面から流れる映像に感動して泣きそうになった。
これをテレビ画面で見たのは久しぶりだ。お父さんしか居なかった時は、リビングでこっそり見てたけど滝本さんと再婚されてからは一度も見られてなかった。
実に四年ぶりの再会。ああーー、うれしい!! もう今日から毎日見よう。
テレビの前で正座して感動していた私の後ろで五島さんが叫ぶ。
「おいこら橘。これで作業終わりなんて言わないよな?!」
「ふう。今日はここまでで良いです。お手伝いありがとうございました」
「はあああ??? お前ちょっと待てよ、テレビとVHSは繋がったけど、後は全部段ボールじゃねーか、どこで寝るんだ!!」
「布団は持ってきたので、こう……段ボールを寄せてテレビを見ながら隙間で寝ます」
「はあああ??? お前それでいいのか?」
「だってご飯は五島さんのところで頂けるし、私、マグカップと箸しか持ってきてません」
そういうとおばあちゃんは爆笑した。
「それで問題ないわ。食事はうちで食えばええ。好きな映画見て風呂入って、寝られれば問題ないな」
「その通りなんですよ~。ああ、もう最高です~~」
「あー、お腹空いたよねえ。そろそろお昼にしてほしいよねえ」
「そうですねえ」
おばあちゃんが腰を叩きながら言うので、私もチラリと五島さんを見た。
悪いけれど、正直めちゃくちゃ頼りにしてしまっている。
だって私はご飯を炊く、味噌汁を作る程度しか料理をする能力などないのだ。
家ではずっとお父さんが夜ご飯まで作っておいてくれたので、それを食べていた。
再婚してからは滝本さんがそれは素晴らしい晩御飯を作ってくださり、私はそれに甘えていた。
もし本当に一人暮らししたら、オール外食になっていたと思う。
五島さんはため息をついて、
「近くに住むなら、料理は手伝え。お前も何もできないじゃ駄目だろう」
「はい!」
「冷凍アサリがあるから、ボンゴレでいい。そうだな、一回休憩するか」
「はーーい!」
ボンゴレ! 聞くだけでお腹が空いてきた。
新しく手にした家の鍵を持ち、部屋を出た。
ちゃんと表札に『橘』の名まえがある。
今日からここで生きていく。
がんばります!
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