第8話 橘の裏表


「んっ……ペペロンチーノにパイナップルが合うなんて」

「アーリオオーリオな」

「何か違うんですか? とりあえず美味しいです」

「橘、アーリオオーリオはにんにくとオリーブオイルだけだ。そこに唐辛子を入れるとペペロンチーノだ」

「そうなんですか。五島さんって本当に料理がお好きなんですね」

「いや。そもそも言葉にちゃんと意味があるんだぞ。アーリオがにんにくで、オーリオがオリーブ油、ペペロンチーノが唐辛子だ」

「そうだったんですか」


 今日は約束通り、会社の裏にあるレストランテ平井に来た。

 橘は「憧れてました」というランチコースを頼み、さっきから満喫している。

 ばあちゃんに話しても無視される料理話を、橘はちゃんと聞いてくれるのでうれしくて語ってしまう。

 目の前を見ると、いつものシェフがニヤニヤと笑いながら俺を見ている。


「五島さ~ん、良かったですねえ。俺、羽鳥くんから聞きましたよ~~。かわいい彼女が出来たので、五島さんが丸くなって助かってるんですって」

「羽鳥は何を言ってるんだ」


 俺が憮然と言い切ると、横で橘がシェフに小さく頭を下げた。


「……初めまして。橘絵里香と申します。よろしくお願いします。えっと、あの……いえ、なんでもないです」

 相変わらず橘は『お仲間』以外の前では、借りてきた猫のように声も態度も小さくなる。

 シェフは目を丸くして、

「ええ……すごく大人しい子……五島さん、弱みでも握ったんですか? 俺は羽鳥くんにそう聞きました」

「羽鳥を縛り上げる」


 俺はフォークを掴んだ。

 何勝手にペラペラと話してるんだ!!

 俺がため息をつくのと、橘が「あの……」と口を開くのは同時だった。


「羽鳥さんはおしゃべりが得意で……いつも楽しいです……」

「ええー……すごい良い子。フィナンシェも出してあげる。今試しで作ってるんだ」


 シェフはデザートのプリンと共にフィナンシェを出してくれた。

 シェフが去ったのを見て安心したのか、パスタを食べていた時と同じ表情になり、


「噂話ひとつで、美味しいオマケ頂いてしまいましたね」


 とほほ笑んだ。

 なんというか。俺はすぐにイライラして怒鳴り散らしてしまうし、何なら今もうすでに羽鳥にLINEして呼び出して説教しようと思っていたが、本人が嫌がってないなら、受け取ることで利益を得て丸く収める。すごいなと思うのと同時に、やっぱり甘すぎるだろうとも思う。

 でもまあ橘が良いなら……と思ってしまう俺も少し甘くなってきているのかも知れない。

 橘はフィナンシェを食べながらスマホを取り出した。


「……そういえば思い出したんですけど。実はえっと……色々あって羽鳥さんから持ち込まれた仕事があるんですけど……」

「はあ?! 聞いてないぞ、そんなの」

「色々ありまして……」


 やっぱりつけ込まれてる。

 俺はオデコを揉みながら口を開く。


「お前、現時点で仕事パンパンだろう?!」

「羽鳥さんが頼んだ高松さんが病気で倒れてしまって……」

「仮病の高松で有名じゃねーか!! アイツさっき超元気にたこ焼き食ってたぞ!!」

「えっと……とりあえずそれは置いといて。とにかくあの、そのお仕事なんですけど、写真が……」


 そう言って見せてきた写真を見て俺は頭を抱えた。

 この企画は二週間前くらいに羽鳥に発注を出した女性用のバスツアーなのだが、バスの中で眠っているサイズ比の人間が……。


「女性向けのバス広告なのに、どうして男が寝てるんだ。このバス新型だろ。少し幅が広いのが売りなのに、みっちりじゃねーか」

「そうなんです。明日午前中まで……と言われてるんですが、新型なので写真の替えもなくて。羽鳥さんに連絡したんですけど」

「アイツ今打ち合わせだろ。もういい、俺がやる。橘、このあと二時間平気か? 顔は出さないから、すまんがモデルになってくれ」

「あ、はい!」


 モデルを準備する時間もないし、橘なら標準的な体系をしているから、WEB用はそれでいい。

 食事を終えて向田さんに許可を取り、橘を借りることにした。

 橘はうれしそうに営業車に乗り込んできた。


「就業時間中に車で外出したことないので、なんかこう、ものすごくワクワクしますね」

「橘も四年目なら、そろそろ一人で仕事を担当する時期だろ」

「そうですね……でも……責任者になるのは怖いです」

「俺が担当になってやるよ。それなら出来るだろ」

「はい!」


 橘はパアアとほほ笑んだ。

 うちの会社は四年目くらいから担当者になり、外での打ち合わせが始まる。

 企画の担当者がつくのだが、不安なら俺がついてやろうと思った。

 それに橘の仕事量を俺がコントロールすれば店での時間も確保できて一石二鳥だ。

 俺は運転しながら口を開く。


「俺は運転が好きだから、企画で良かったと思う」

「私もマップは好きなんですよ。秘蔵のGoogleマップ見てください!!」


 そう言って橘は信号待ちの最中に俺にスマホ画面を見せてきた。

 そこには無数に『行きたい場所』が保存してある。

 橘は自慢げに画面を見せながら言う。


「これは任俠映画のロケ地なんです。豆知識なんですけど、一番多いのは台東区、その次は豊島区、その次は新宿区なんですよ。台東区には伝説にビルがあって、そこで四つの任俠映画が撮影されてるので、トップなんですよ」


 あまりにマニアックな知識に噴き出してしまう。


「お前、それ映画みながら全部メモったのか」

「そうです。昔の映画は景色が全然違うので大変でした。国立図書館に行って古地図まで見たんですよ! 街の歴史まで無駄に詳しくなりました。でもこのジャンルはわりとお仲間がいるんですよ。映画のロケ地好きの方々なんですけど。即売会で本を出されてて助かりました」

「お前、本当にそういう時はビビらず話しかけられるんだな」

「自分の好きなことを好きな人は、怖くないです。何を考えているのか分からない人は怖いです。だからさっきもパスタ屋さんでパスタを誉めようと思ったんですけど……ひょっとしてシェフの人が今日一番オススメなのは今日のランチパスタで、私が食べたパイナップルじゃないかも……とか思うと、黙っちゃうんですよね。自分の味覚に自信がないから、失礼なのではと思っちゃいます」

「考えすぎだろ。そんな風にいちいち考えたら疲れ果てる」


 バス会社に着いたので車を停めると、橘は「ふふ」と小さく目元を細めてシートベルトを外し、ほほ笑んだ。


「そうなんです。だからずっと学校も会社も好きじゃなかったんですけど、最近は会社に行くのがイヤじゃないです。こうしてオタクの話をしても大丈夫な方が見つかったので」


 ただの話し相手なのに、好きじゃなかった場所が、そうでは無くなったと聞いてうれしくなる。

 でもオデコを揉んで誤魔化す。


「……橘が山ほど持ち込んだせいで、ばあちゃん毎日漫画読んでるぞ」

「来月! 一緒に本を出すことになったんです。もうめちゃくちゃ楽しみなんです!」

「なんかばあちゃん、最近ずっと色んな紙が入ってる本を見てるけど、それか」

「そうなんです、ちょっと変わった形の楽しい本にしようと思って、盛り上がってるんです~!」


 橘は手をパチンと叩いて楽しそうにほほ笑んだ。

 最近ばあちゃんは「今の人はいいねえ。こんな簡単に本を作れるのかい。いや私もまだ死んでないから遅くないね」と楽しそうにしている。

 元々あの年齢にしてはパソコンに強く、ワードを使いこなして原稿も作っているようだ。

 羽鳥より使い慣れてるんじゃないか? と思ってしまう。

 橘は車を下りてくるんと回って俺の方をみた。


「小さなイベントなんですけど、もう超楽しみにしてるんです。で! 丁度このバス会社の裏、1992年の公開された『任俠兄弟・血の絆』の舞台で、お兄さんの信二さんが自殺した場所なんです。あとで写真撮ってきていいですか?」

「自殺……? 写真……? ていうか就業時間中だろ!! ……でもまあ、仕事終わったら良いだろ」

「やった!」

 

 そう言ってほほ笑んだ橘を見て俺は噴き出してしまった。

 どこまで社内とキャラが違うんだよ。

 でも、悪くない。

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