第5話 こっちに来い
「橘さん、すいません、ちょっといい?」
「五島さん?!」
俺はWEB部に入り、橘を呼んだ。
飲み会に行く前に話を付けてしまおうと思ったのだが、LINEが既読にならない。
橘は会社で私用スマホを全く見ていないようだ。
WEB部は女性が多く、基本的に人柄が円い羽鳥に行かせていたので、俺がくるだけで全員から見られてしまう。
その様子を見て一番奥に座っていた向田さんが近づいてきた。
「おー、五島。めずらしいじゃねーか、ここまで来るの。橘ちゃんに用事?」
「少し面倒な仕事を頼みたいんですけど、橘さんを借りてもいいですか?」
「いいけど、橘さん、コイツとふたりで平気?」
自分のどーにもならない恋のために皆を巻き込んでるクソ男に『コイツ』扱いされるのは納得がいかないが橘確保のために甘んじて受け入れる。
向田さんに断って橘を連れて会議室に入った。
橘は誰も聞いてないことを確認して、机に肘をついて小さな声を出した。
「……どうしたんですか、会社で」
「ばあちゃんが勝手に生ビールサーバー契約してた」
「あーー……あのですね、おばあちゃん、ビールの擬人化本描きたいって言われてたので、かなりビールがお好きなんだと思います」
「もう好きにしてくれ」
俺はオデコを揉んで苦笑した。
十代で俺の母を産み、自由がなかったばあちゃんは、今青春を謳歌している。
昔は作家になりたかったらしく、同人誌という世界を知ってから完全に二十歳以上若返って見える。
毎日目を輝かせて橘に渡された同人誌を読んでいるのを見ると、妙な気分だ。
実はばあちゃん、数年前に大きな病気をして、このまま寝たきりかも……というタイミングがあった。
その時は「見たい映画があるんや」と根性でリハビリしていた。
オタク活動はばあちゃんの活力だし、俺は今でいう【聖地巡礼】に子どもの頃から付き合わされ、日本全国を旅行した経験から旅行好きだ。
だからオタクの活動はなるべく応援したい。
橘のおかげで更に元気で長生きしてくれそうだ。
だからこそ店に行ってほしいのだが……。
「橘。お前、酒飲めないんだよな。それなのになんで飲み会行ってるんだ」
「あー……、それはご飯がタダで食べられるからですね。お酒は一杯だけで勘弁してもらってます」
「飯なら家にストックがあるから、それを食え」
「そうしたいですけど……やっぱりWEB部の子はみんな行くので、私だけ断れません」
橘は会社では、なるべく目立たないようにしているようで、会社では俺と目も合わさない。
家ではあんなに目をキラキラさせて任俠映画語っているのに、よくここまで自分を隠せるものだ。
まあ出しても得がないから、理解はできる。
俺はここまでくる間に考えていたことを口にした。
「お前さあ、俺の戦略的彼女になれ」
「はい?! なんですかそれは」
橘は会社用の顔を脱ぎ捨てて一瞬で家の顔になった。
正直笑ってしまうが、なんとか押さえる。
「安心しろ。俺はメンヘラ女とやっと別れたばかりで、今は全く彼女なんてほしくない。飲み会断るためにそうするって話だ」
俺には一年前まで彼女がいた。
強引な所が良いと一方的に好かれ付き合い始めた。
でも約束したのにその場に来ず、遠くから見ている……など俺を試す行為が増えて行った。
そして「もっと好意を見せてほしい」「気持ちが見えない」「不安なのに」「毎日朝晩電話して」とストーカーのようになり、最後には婚姻届片手に家の前に座りこまれ、大変な状態だった。
なんとか別れた直後、何事もなかったかのように他の男と結婚していった。
なんだったのか分からん。女は当分要らない、疲れた。
でも橘は、ばあちゃんのオタク仲間だし利用価値がある。
「聞いたらWEB部の飲み会、事情があるやつは断れるんだろ。お前は俺の彼女。他の男と酒飲むのは駄目。はいこれ事情」
「!! な、なんだかドキドキしてしまいましたが、はい、戦略的に……、はい。そうなんですよね。それにお酒は本当に苦手で、でも断れなくて困ってました。でも……うん……はい、大丈夫です。じゃあ今日から私、五島さんの……戦略的彼女? になります。なんですかこの名前、厨二すぎませんか?」
自分から言い出したのに、あまりに簡単に受け入れられて少し驚く。
「そんな簡単に受け入れて大丈夫か? 対外的には普通の彼女として扱われるぞ。目立つぞ」
橘はとりあえず俺が適当に持ってきた書類にクルクルと絵を描きながら
「実は……最近勧められるお酒の量が多くてトイレで吐いてました。吐いても次の日も昼くらいまで頭がクラクラするんです。本来本当に飲んじゃいけない体質なんだと思います」
「お前なあ、ヤバすぎるだろ、断れよ!!」
「向田さんにビール注がれて誘われて断れる子はいないです。でも、五島さんなら対等じゃないですか。だから実は助かります。私もタダ飯は嬉しかったですけど、あの場所にいるより、おばあちゃんと話したいし、五島さんのご飯食べてるほうが幸せです」
「……そうか。じゃあ、そうしよう」
俺の飯食ってるほうが幸せと言う言葉が嬉しくなってしまう。
「じゃあ戻ろう。とりあえず一ページ発注する。仕事だって言ってきたのに何もないと怪しまれる」
「はい。あ、噂のバスが稼働するんですね。了解しました。納期とかはメールで頂けますか」
「羽鳥に……いや、俺が送っておく。最近なんでもかんでも羽鳥に投げすぎてる」
「そうですよ。そんなんだから羽鳥さん、会社で『キジ』って言われてるんですよ。鬼が島の五島さんに、飛んでくるキジさん」
「……マジか。俺そこまで偉そうか。向田さんをディスれないな」
とにかく仕事を早く終わらせて帰りたくて周りを全く気にしていなかったが、こうして冷静に言われると最近調子に乗りすぎていた気がする。
オデコを揉んでいた俺の前に橘が来て
「……でも五島さんって、鬼は鬼でも、わりと優しい鬼ですよね」
「なんだそれは! もう行くぞ。ほら、戻るそ!!」
「はい」
橘は笑いながら書類を持って会議室をでてWEB部に戻った。
「では、おつかれさまでした」
と資料を持った橘がいつも通り仕事の用の顔になり、席に座ろうとするので、そのまま腕を引っ張って立たせた。
「五島さん?!」
戸惑う橘の腕を引っ張ったまま、向田さんの席に向かって口を開く。
「向田さん。橘は俺の彼女なので、今日の飲み会は遠慮させてもらっていいですか」
俺がそういうとWEB部がどよめいた。
みんなの前で言わないと橘を確保できない。
それに会社の橘が「彼氏ができたので、飲み会に行けません」と自分で言えると思えない。
とりあえず今日は言わずに……次も……なんて隠れて吐くに決まってる。
向田さんは目を白黒させて俺と橘を交互に見て
「え、いつの間に」
「いつの間にか。だからもうやめてください。ていうか、毎週末女性陣営を飲み会に強要するのは良くないですよ、このご時世」
「!! だってお前よお、それくらい良いだろう? 奢りだぞ? みんな喜んでるだろ」
「定食屋で夕食を奢るなら嬉しいかも知れませんが、とりえあず俺の彼女はもう連れて行かないでください」
「……おう。……大丈夫か」
「なにがですか」
「横でお前の彼女の橘さんがゆでだこみたいになってるけど」
「!!」
横を見ると、肩を摑んで立たせていた橘の顔が真っ赤になっていた。
「……すまん」
「いいえ、大丈夫です」
「なんだよ~~~~ラブラブじゃねーか。わかったわかった、誘わないよ。もう来なくて良い。そうだよなあ。こうやって社内で隠して付き合ってて、俺の飲み会に来てるやつもいるかもなあ。人の彼女と飲んでても旨くねーなー」
「そうですね。そのうち、うちの佐々野にも彼氏ができるでしょうね」
「!! 五島お前!!」
WEB部がざわめいたが知ったこっちゃない。
無茶な飲み会はやめたほうが良いのは間違いない。
彼女にしたいなら、はやく一対一で誘え。年齢なんて言い訳捨てちまえ。
……とは思うが、WEB部はてんやわんやの大騒ぎになってしまった。
俺は橘を席に戻して小さな声で話しかける。
「すまん。やりすぎたかも知れん」
「……いいえ。これで、今日から行かなくて良くなったのは、間違いないので、はい」
「そうか」
顔を真っ赤にしている橘を見ていると俺の顔も熱くなってきたので、WEB部から逃げ出した。
だがこれで人員確保。あとは家に帰ってばあちゃんを縛り上げるだけだ。
橘の飯……橘はなにが好きなんだろう。
終業後にLINEすると『イカです』と返ってきた。
イカ……? フライでも作るか。俺は魚屋に寄って帰ることを決めた。
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