第18話 男性恐怖症

 ユラユラ、ユラユラ、揺れているあれは ……何?



 ★★★


 私は自分の悲鳴で目が覚めた。


 元旦、しかも自分の誕生日に、なんて……なんて夢見の悪いことか。ガタガタと震える身体を両手で擦り、「あれは夢、あれは夢」と暗示のようにつぶやく。


 今まで、自分に暴力を受けそうになるといきなり世界が暗転し、次に見えるようになると、身体中に痣があったり、手足が動きにくかったりで、「ずいぶん酷くやられたな」って理解してた。

 多分、私は夢の中の少女の視覚を主に共有しているんだと思う。他の感覚は遮断されてるものや、たまに感じることもある程度だったから。

 暴力を受けている間の彼女は、目をギュッと閉じている。だから最悪の状態は見ることがなかった。でもさっきのは……。


 天井の梁に太縄を括り付け、それにぶら下がるように揺れていた大きな物体。姉様の着物を着て、頭には姉様が大事にしていた髪飾りが光を反射してキラキラしていた。ダランと弛緩した手足は、明らかに意識がない……というか死人のそれだった。

 顔は見えなかったけど、あれは姉様だ。


 十五才の誕生日、最悪な夢からのスタートになった。

 あまりにショッキングな映像に、学校が始まっても気分が落ち込み鬱々としていた。

 花ちゃんや回りのクラスメイトは心配してくれたけれど、「夢見が悪くて……」としか言い様がなかった。


 しかも、それからの夢は最悪で、正直思い出したくもない。あの場所で育った娘の宿命、それは逃れることができないことなんだと頭では理解できる。

 その場面を実際に目にして感じることはなかったけれど、揺れる天井(私が揺さぶられている?)、ひたすら壁のシミを数えている長い時間、明らかに事後であろう自分の身体。私は頑なに相手を見ることはしなかったし、目を閉じている状態が多かったみたいで、トータル的に見て推測するしかなかったけれど、姉様が亡くなったことにより、私も姉様と同じように花を売る仕事をするようになったのだろう。


 あれにもし感覚があったら……、私は気が狂ってしまったかもしれない。


「琴音ちゃん、聞いてる?! 」


 いきなり肩を揺さぶられて、私は必要以上に驚いて跳び退っていた。


「……びっくりしたぁ。どうしたの? 具合悪い? 」


 キョトンとした顔の花岡君が、私の肩を触れただろう右手と私を交互に見て言った。


 いや、驚いたのは私だし!

 というか、一人で帰っていた筈なのに、何で花岡君が隣にいたのかわからない。

 どうやら、帰宅途中の私を見つけた花岡君が、一緒に帰ろうと話しかけてきて、勝手に並んで歩いて私に話しかけていたらしいんだけど、私が無反応(気がついていなかったからね)だから肩に手を置いて揺さぶった……と。


 触られた肩に、鳥肌がたつくらいの拒否反応を示している。


 嫌悪感、そして沸き上がる恐怖。


 花岡君が私に何かしようという訳じゃないことは理解している。でも彼が男であるというだけで、走って逃げ出したいくらいの恐怖心を感じていた。いくら武術を習っても、込み上げる恐怖から何もできる気がしない。(花岡君はただ話しかけているだけで、別に襲われている訳じゃないから、反撃する必要はないんだけど)


「顔色悪いよ。貧血かな? 」


 花岡君の手が私の方へ伸びてきて、その手がスローモーションのように見えた。

 顔に触れられる!! という瞬間、あまりの恐怖にフッと意識が遠くなる。


 倒れると思った時、いきなり後ろから腕をつかまれた。大きな温かい手に、私の意識はしっかりと戻った。


「……っぶな」


 振り返らなくてもわかった。この手は尚武君だ。


「ごめん、ありがと」


 私は自立すると、尚武君の手をそっと離した。何故かこの手は怖くなかった。


「大丈夫? ちょっと座った方がよくない? 」


 心配そうに一歩近寄ってきた花岡君に、私は耐えられずに一歩下がる。


「大丈夫。あのね、ちょっと最近潔癖症っていうか……その……人に触られるのが本当駄目で。女の子なら何とか我慢できるんだけど、男の子はちょっと無理で。誰がとかじゃないんだけどね」


 潔癖症というか、男性恐怖症だと思う。前々から男嫌いではあったけど、夢のせいか、触れられる距離に男性がいるだけで身体が硬直して動けなくなる。女子校で本当に良かったと思う。登下校の時に男性と距離を取ればいいだけだったから。


「え? そうなの? でも僕達は大丈夫だよね? 友達……だもんね」

「ごめん。……距離があれば大丈夫だとは思う。花ちゃんが間にいるとかあれば」


 花岡君がショックを受けたような表情をしている。尚武君は無言だ。でも、僕は大丈夫だよねと言わんばかりに一歩近づいてきた花岡君と違い、尚武君は私から距離を取るように離れてくれた。


 よくわからないけど、あなただけは大丈夫なのよ。


 好意のベクトルが尚武君にあるからか、男の子と意識しつつ尚武君には嫌悪感のケの字も感じていなかった。


「でもさ、それじゃ大変じゃないか。満員電車も乗れないし……何より恋愛できないじゃん」


 恋愛……。


 私は尚武君に視線を向けた。

 今まで感じてきた尚武君への好意。一般の男の子には感じたことのない気持ちだった。多分私は尚武君のことが好きなんだと思う。


 でも。


 夢に気持ちが引きずられている私は、好きな人とでもあの行為ができる自信がない。尚武君に触れられること、尚武君の手には嫌悪感はない。ないけれど、抱き締められた時、行為に及ぶ瞬間に恐怖を感じてしまったら、尚武君を拒絶してしまったら……。

 いやいや、尚武君も私に気持ちがなければあり得ないことなんだけど。


「恋愛は……しばらく考えられないから」


 ズキリと胸に痛みを感じる。

 ああ、やっぱり私は尚武君が好きなんだなって実感する。好きな人に好きと言いたい。好きな人に好きと言われたい。

 手を繋ぐのはできる気がする。尚武君限定で。

 キス……は自信ない。やってみないと何とも言えない。それ以上も。


「慣れとか必要なんじゃない?僕ならいつでも協力するよ。ほら、ショック療法って言葉もあるし、一回男子と付き合ってみて、出来ること出来ないこと検証してみたらどうかな。僕ならいつでもウェルカムだから」


 私は苦笑いで遠慮する。


「……原因はわかってるのか? 」

「えっと……直接的な原因はないかと」

「お母さんに彼氏ができたとか!で、 可愛い琴音ちゃんにも手を出したなんてことじゃないよね?!だから潔癖症になったとか? 冬休みに何かあったんだよね。大丈夫だよ、僕は琴音ちゃんに何があっても君を赦すから」


 だから、近寄らないで!って言ってる。花岡君のどうしようもない妄想に、恐怖心よりも怒りを覚えてしまう。


「おまえな。おまえが赦す意味がわからん。何より、そんじょそこらの男なんか、瞬殺で捩じ伏せられんだろ、こいつの腕があれば」

「でも、お母さんの彼氏とか、鍵とか持ってたら家入り放題じゃん。泊まり来たりとかさ。風呂場とかで襲われたら何もできないだろ。寝てたりしたら気がつかないうちに……なんてことだってさ」

「おまえ、妄想半端なさすぎ……だよな? 」


 何を不安に思ったんだか、尚武君が恐る恐る聞いてくるから、私はブンブンと首を縦に振る。


「うちの母親はダメ男ホイホイだけど、うちに彼氏連れ込んだことないし、自宅の鍵は絶対に渡さないから。ちなみに、ここ最近は彼氏も作ってないみたいだし」


 ダメ男に言い寄られてはいるみたいだけど、今まで培われたスルースキルでやり過ごしているらしい。


「ダメ男ホイホイって何? 」

「家がなかったり、仕事なかったり、ストーカーちっくになったり……拉致監禁しようとした人もいたかな」

「ハアッ? 大丈夫なんかよ、おまえの母ちゃん」

「うん、何とか無事。ほら、ストーカー規制法とかあるから」

「法律に頼らなきゃなんかよ」

「じゃあやっぱり危ないじゃん。お母さんもいいけど、若くて可愛い琴音ちゃんにも手を出す奴だっているでしょ」


 私はおもむろにスマホを取り出すと、待ち受けにしている母親とのツーショットを花岡君に見せた。


「ヤバッ! 琴音ちゃんの従姉かなんか? 無茶苦茶可愛いね」


 うちの母親は年齢不詳、私と並ぶと姉妹にしか見られない、奇跡の三十路だ。アラフォーには見えない。しかも、色気と可愛さを同居させていたりして、母親を知る男性なら私には手をだそうなんて想わない筈。私の中に母親の遺伝子はどこに入っているんだろう……というくらい可愛らしい人。背の低さは母親似なのかもしれないけど。


「うちの母親」

「エッ? 」

「お母さんだよ。あまり似てないけど」

「何これ、奇跡? すっごい若い時の子供だったりする? 」

「二十四だったかな、少し早いくらい? 普通じゃないかな」

「二十四の時の……って、じゃあ今は三十九?! ……見えない」

「そだね。自分の母親ながら、不老なのかってそら恐ろしいよ。記憶にある限りあんま変わってないし。これと比べたら、私なんかに手を出そうって人はいないよ」


 別に自分を卑下している訳じゃないけれど、そばにいるのが美魔女のような母親と、女の子らしく可愛いくせにナイスボディの花ちゃんだったりするから、ツルンペタンの自分は安心安全だと思い込んでいた。


「僕は琴音ちゃんママより断然琴音ちゃんだけどな」


 いやいやいや、いくら年齢不詳でも、十代男子がアラフォー狙いを公言されたらさすがに引くよ。お世辞として受け取らせていただきます。

 さっきから距離を詰めてこようとする花岡君を片手で制する。


「そういうの大丈夫だから。前々から男の子は苦手だったんだけど、思春期だからかな。急に近い距離とか凄く苦手に感じるようになっちゃって、でもある程度距離があれば大丈夫なの。あと、尚武君は何でか平気……みたいで」


 正直な事実を伝えた筈なのに、無性に恥ずかしくて顔面に熱が集まる。


「エッ? ハァ? あぁ、つまりは尚武が対象外だからだよね。ゴリラみたいにむさ苦しいし」

「違うよ! 尚武君はかっこいいもん。背も高いし、逞しいし、頭だっていい。私、尚武君と勉強するようになって、自分の勉強の仕方に無駄があったって分かったよ。見た目はキリリとしてるのに、性格は温和で頼りがいあるし、私が好きだなんて思うのも烏滸がましいくらい素敵な……」


 花岡君の暴言に思わずムキになって言い返してしまったが、言いながら気がついてしまった。


 これ……告白になっていませんか?

 まだ誰かと付き合うとか、なんの心構えもできてないのに。

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