第12話 道場の夏合宿3
「……様、お慕いしております」
店の階段を下りた薄暗い奥まった場所で、女のくぐもった声が聞こえてきた。女の言った名前、姉様の客ではないだろうか。そして、この声は私が部屋付きをしている姉様ではなく、帯留めを貰ったと自慢していた姉様ではないだろうか? (姉様との区別の為に帯留めの方と呼ぼう)
私は階段を下りる足を止め、手すりの下をこっそり覗いた。
「そうかい。それは嬉しいね」
「……様、これからは私の、私だけの部屋に通ってください」
客がクツクツ笑う声がする。
「それは出来かねる。私を束縛できるのはただ一人だからね」
姉様のこと?
「そんな……。だって、私にはこんなに立派な帯留めを下さったじゃありませんか」
「ああ、皆にやってるよ。簪に帯留め、着物に帯や草履なんかもやったかな。紅なんかは、一度きりの娘には毎回ね」
そんなにばらまいたのか。
姉様は簪を大層大切にしていたから、それ以外は別の誰かにやったんだろう。みながみな、勘違いして客に懸想したとすると、なんとも罪な話だ。
「私の一番は別にある。私を好きでいるのは自由だ。好きにするといい」
「……(姉様)なの?! あの女がいるから! 」
帯留めの方は、強く客の胸を叩くと、キツイ視線を残して走って行ってしまった。
客がふと顔を上げ、私とバッチリ視線が合ってしまう。ニンマリと笑った顔に、背筋がゾワリと戦慄いた。
★★★
「私、和人のこと好きなの! 」
合宿二日目、夕飯も食べ終わり、みんなで花火をやった。その後片付けを中・高校生組でしていた時、梓ちゃんがいきなり花岡君に告白した。
ふざけていた男子とかが冷やかしの声をあげたが、梓ちゃんにギロッと睨まれてすごすごとゴミ拾いを再開した。
「私達、中学が違くなっちゃったから別れたけど、お互いに嫌いになった訳じゃないじゃん」
「そうだね」
花岡君はにこやかに相槌をうつ。
これって付き合う流れなのかな?
花ちゃんは聞こえている筈なのに黙々と落ちている花火の燃えカスを拾っているし、尚武君や高校生男子は冷やかそうとする他の中学生男子を無理やり撤収させていた。
砂浜には、中学生女子の四人と花岡君だけになった。
本当は私も撤収したかったんだけど、花ちゃんがゴミを拾い続けるから戻るに戻れずにいた。
美希ちゃんは険しい目で成り行きを見守っている。
「ならさ! ヨリを戻してもいいんじゃないかな」
花岡君のTシャツの裾をギュッと握って、梓ちゃんは上目遣いで(身長は五センチくらいしか違わないみたいだけど)花岡君を見つめる。
「……うーん、ごめんね? まず、ヨリを戻すって意味がわからないんだけど」
「は? 」
「だって僕らただのクラスメイトだっただろ? よく話したりはしたけど」
「えっ? 」
梓ちゃんは目を点にさせ、その横にいた美希ちゃんは完璧に敵認定したかのように花岡君を睨み付けていた。
気持ちはわかる。
他人事ながら花岡君は最低だと思うし、こんな奴のことを好きでいる花ちゃんに、揺さぶってでも正気に戻って! と叫びたい気分だ。多分美希ちゃんも今そんな気持ちなんだろう。
「だって……」
「僕、今まで彼女っていたことないよ。みんな女の子は可愛くて好きだけど、付き合ってって言ったのはたった一人だし」
たった一人……。花岡君に視線を向けられて、私は慌ててうつむいて視線を反らせた。
「まぁ、今はまだ良い返事は貰えてないけどね」
「そんな、だって、好きだよって……」
「うん、好きだよ。梓も美希も花ちゃんも琴音ちゃんもみんな好きだ。みんな可愛い女の子だからね」
「私はあんたのことなんか好きじゃない」
美希ちゃんが梓ちゃんの手をギュッと握って「梓、行こう! 」と引っ張って行ってしまった。
「私は好きですわ」
花ちゃんがフンワリと言うと、花岡君はニッコリと微笑んだ。
「僕も花ちゃん好き。友達としてね。琴音ちゃんも好きだよ」
私は何と答えたらいいかわからなかった。だって、友達とすら思えないし、今回のことで花ちゃんにもお薦めできない人物だと判明してしまった。
「ゴミ、もう入らないね。私、一度捨ててくるね」
重いゴミ袋を両手で持ち、階段を上がる。
何で花ちゃんが花岡君が好きなのか、花岡君が何で私に告白したのか……さっぱり理解できなかった。
「悪い、任せっきりにした」
階段の途中で、階段を下りてきた尚武君が私の手からゴミ袋を取り上げた。
「ううん。ほとんど終わったよ。後は残りの花火のとか蝋燭とか回収するだけだから」
私が花ちゃん達を振り返ると、二人で回収したものを袋に入れてこっちに向かってくるところだった。
「じゃ、ゴミ捨てだな」
「私も行く」
ゴミ袋は全部尚武君が持ってくれたが、私はその尚武君の後を手ぶらでついていった。
「梓ちゃん、大丈夫かな」
「渡来がなんか慰めてたな」
尚武君は梓ちゃんが告白した時点で他の男子を連れて引っ込んでくれたから、告白の結果は知らないんだろうけれど、雰囲気で梓ちゃんがフラれたんだと感じ取っているらしい。
「あのさ、梓ちゃんは花岡君と小学生の時に付き合ってたって思ってたみたいなの。でも花岡君は違うって。どうなの? これ」
「認識……の違い? 」
ゴミ袋をゴミ捨て場に捨て、尚武君は手をパンパンと叩きながら言った。
「いやさ、あっちは梓ちゃんに好きだなんだほざいたらしいのよ?そりゃ勘違いするでしょ。女の子はみんな好きだよとか、女子をバカにしてるの? 」
「え、いや……」
「尚武君の友達に申し訳ないけど、私には理解できない。尚武君は理解できる人? 」
「……よくわかんね。あと、別にそんなに親しい訳でもない。幼馴染みではあるけど。小学校、二クラスしかなかったから、だいたいがみんな幼馴染みだしな」
「そうなの? 」
「まぁ、タイプ違うし」
納得です。
でも、何でじゃあ四人グループみたいな感じで勉強会とかしてるんだろ。
「うちの小学校は五クラスあったな」
「多くね? 」
「うちの側は団地とか多いからね。同小の女子はだいたいわかるけど、話したことない子も多いかも。特に男子なんかは全然わからないかな」
「虐めッ子が多かったんだっけ?」
「そう! なんでかな? 気が弱い訳でもないのに、目をつけられやすいの。小さい時から小さかったから。よく食べたんだけどなぁ」
尚武君と並んで歩くと、尚武君の肩に届くか届かないかくらいだ。足の長さもかなり違うのに歩くペースが合うのは、尚武君が気にしてくれているからだろう。
「あんたは一見華奢に見えるからな。筋肉でもつけてみるか? 」
自分の筋肉ムキムキな姿を想像して、あまりに顔と身体が一致しなさ過ぎて笑えた。
「止めとく。まだ身長が伸びるって期待してるから。筋肉質だと身長伸びなさそうだし」
「俺はまだまだ伸びてるけどな」
筋肉達磨。
尚武君を初め見た時の呼び名を思い出す。うん、筋肉と身長には因果関係はなさそうだ。
「琴音ちゃん」
尚武君と校舎まで歩いてきたとき、下駄箱の影から花岡君が出てきた。
「び……っくりしたぁ」
「ごめん、脅かすつもりはなかったんだ。ちょっと話がしたいんだけどいいかな? 」
「え……」
困ったように尚武君を見上げると、尚武君も少し困ったように視線を動かした。
面倒なら「じゃあ俺は先に行ってる」と、私を放置して行ってしまってもしょうがないのに、私が困っているのがわかるから立ち去ることもできずにいるらしい。
「二人で話がしたいんだけど」
「二人はちょっと……」
花岡君が珍しく笑顔を消して尚武君を睨むように見上げる。尚武君は困り顔だけれど、私の横に立つことで立ち去る気がないことをアピールしているようだ。
「あのさ、さっきの梓のことなんだけど」
「うん」
花岡君は二人になることは諦めたように話し出した。
「女の子はみんな可愛らしいと思うし、愛すべき存在だと思うんだ。でも、それと恋愛は別なんだよね。僕」
意味がわからない。
「ごめん、ちょっとよくわかんない」
「女の子はみんな好きだけど、琴音ちゃんのこと好きな好きとは違うってこと。付き合いたいのは君だけ。だから、梓のこととかは気にしないで欲しいなーって」
「あのさ、気にしないっていうか、私には関係ないよ。私は……花岡君とは付き合わない。好きになることはないから」
もう諦めて、そんな気持ちでハッキリと言った。
「物事には絶対はないよね」
「花岡君とは絶対にない。何回か会った末の結論だから」
「うーん、まだ数ヶ月だよ。例えば仮に付き合ってみてとか、お試し期間みたいな猶予をくれてもいいんじゃないかな? 」
あくまでもニコニコと自分の意見を通そうとする花岡君に、これ以上どう断ればいいかわからなかった。
「ごめんなさい」
「……まぁいいや。気長に頑張るから」
花岡君は、先に戻るねと男子部屋の方へ走って行ってしまった。
退いてはくれないんだ……。もういっそのこと、誰かと付き合ってしまえば諦めてくれるんだろうか?
でも誰と?
私は隣に立つ尚武君に自然に目がいった。
いやいや、そんなことの為に付き合ってなんて言えないよ!
それに、そんなのはあまりに尚武君に不誠実過ぎる。この強面で厳つくて口数が少ない男子が、実は優しくて思いやりがある穏やかな人だって私は知ってる。
頼めばフリくらいはしてくれるかもしれないけど、そんなのは嫌だ。誠実に向かい合いたい。
って、あれ?
私は尚武君のこと……。
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