天、ナース服を着る
「うお~い、坊や~! 準備はできたっすか~?」
「ええ、まあ……こんな感じで大丈夫ですか?」
「うっひょ~! いいっすね、いいっすね~! そんじゃ、資料用に写真をっと……!!」
パシャパシャと響くシャッター音に何とも言えない気恥ずかしさを感じながらも、これは仕事の一環なのだと自分を納得させる零。
自分の周囲で不気味な笑い声を上げながらヌルヌルとした動きで写真を撮影し続ける梨子の様子に一瞬だけ気持ち悪さを抱いてしまったものの、自分自身を落ち着かせてその感情が外に出ないように振る舞う彼はこうなった経緯を振り返り始める。
【CRE8】が献血呼びかけのキャンペーンに参加することになり、そのメンバーとして蛇道枢が選抜され、そういった告知を行うよう言われるところまでは理解できた。
問題は、そのキャンペーン用に制作するポスターを描くために梨子が資料を欲しいと言い出したことだ。
駄々をこね、喚き、薫子の折檻を経てもどうにかポスター用の資料を求める彼女の根気に負けた結果、零はこうして医者のコスプレをした状態で写真撮影をされている。
とはいっても、普段の服装に白衣を着ただけなのだからコスプレ感は薄いし、恥ずかしさもそこまでではない。
この場に召喚されたもう1人の方が羞恥の度合いとしては上だなと考えていたところで、その人物が姿を現した。
「お、お待たせ、しました……!」
「おっ、待ってたっすよ~! んじゃ、坊やの撮影はここまでにして、お次は天ちゃんのナース服姿をばっちりカメラに収めさせてもらうっす!」
「グギギギギギギ……! グゴゴゴゴゴゴゴ……!!」
薄いピンク色の、シンプルなナース服。
過度に肌を晒すわけでもなく、取り立てて目立つ装飾があるわけでもない普通のコスプレ衣装を着ている天だが、やはり恥ずかしさを感じているようだ。
小さな体にぴったりと合うこの服をどこで見つけてきたのだと表情で語る彼女に向け、零がからかうように声をかける。
「似合ってますよ、秤屋さん。聴診器、貸しましょうか?」
「貸してもらえるのなら注射器がいいわ。あんたのケツに思いっきりぶっ刺せるドデカイサイズのが欲しいわね」
笑顔ながらも怒りを募らせている声でそう語りつつ、写真撮影に応える天。
連続してシャッターを切る梨子の動きに若干引き気味の表情を浮かべながら、彼女は愚痴っぽく零へと話しかける。
「献血キャンペーンに参加するのはいいけど、どうして私とあんたなわけ? あんたが出るなら有栖ちゃんでいいでしょうに」
「何でもかんでも俺と有栖さんが一緒に出るわけじゃないってことっすよ。ファンたちからもそれが当たり前だと思われたら、後々困ることになるかもしれないじゃないっすか」
「くるめいを返礼品にすればCP厨が喜び勇んで献血しに行くでしょうに……愛称ラブリーでハートと縁が深いから私って、人選間違ってんじゃないの?」
「秤屋さんが認められつつあるってことじゃないっすか。酒も止めてクリーンなイメージになりつつあるんすから、こういう大事な仕事をもらえたことを喜びましょうよ」
「私のイメージは三下で定着しつつあるけどな! くぅぅ……でも確かにいい仕事を回してもらえてるから、文句は言えねえ……」
仕事をもらえて嬉しいという気持ちと、そのせいでコスプレした姿を写真に撮られる羞恥がぶつかっている複雑な心境の天が拳を握り締めながら呻く。
今回のコラボの人選は確かに王道から外れているような気がしなくもないが、こうして愛鈴こと天が大事な仕事を任せられたということは素直に喜ぶべき点だろう。
まあ、昨今は胸が大きい女性がこうしたキャンペーンに参加することを嫌う人々もいるようだし、そういった層に配慮した結果、天に白羽の矢が立った感もあるのだが、それはそれとして放置しておくことにした。
「いや~、天ちゃんもいい感じにかわいいっすね~! おふざけ有りだったらさっき言ってたみたいなドデカイ注射器持たせたいところなんですけど、今回は無理っぽいからな~!」
「加峰さん、そういうことも考えてるんですね。意外だな」
「流石にこういう仕事だと……ねえ? 注目度が高くて真面目な感じが強い分、ちょっとでも下手すると大火災に繋がるじゃないっすか。今回ばかりはいつも以上に固く真面目に描いてかないとマズいっすよ」
本当に意外なことに真面目な意見を述べた梨子は、写真撮影を一旦止めるとデータを確認し始めた。
彼女がふむふむと唸りながら撮影した映像を確認している最中、くすくすと笑った天が先程の仕返しとばかりに零に声をかける。
「ははあ、なるほどね。どうしてあんたがこのキャンペーンに選抜されたのかわかったわ。仮に何かが起きて燃える羽目になったとしても、あんたなら大丈夫だっていう考えがあったんでしょうね」
「……どうしよう。それが正解な気がしてならない」
「あっはっは! まさかの貧乏くじじゃない! ウケる~!! ……ってそれは私も同じかぁ」
若干天自身にもブーメランが刺さっているような気がしなくもないが、それを言っても虚しいだけだと理解している零は敢えてそのツッコミをしなかったのだが、天は自虐的にセルフツッコミを入れてしまった。
こうなれば何事も起きずにこのキャンペーンが終了してくれることだけを祈るしかないと思いながら彼がため息を吐く中、ちょっとだけ意外そうな顔をした梨子がこんなことを言う。
「おろ? 天ちゃん聞いてないんすか?」
「へ? 聞いてないって、何を……?」
「このキャンペーン、ナレーションの仕事も一緒にやるんすよ。天ちゃん、来週くらいにはその収録をすることになるっすね」
「えっ!? マジっ!? ナレーション!? 私が!?」
降って湧いた話に驚き、大声で確認を行う天。
そんな彼女の反応にもしかしたらこれはまだ言ってはいけない話だったかもしれないと若干マズめな顔をした梨子であったが、もうここまで話したら後は同じかと続けて情報を出してくれた。
「薫子さんから聞いた話だから、マジだと思いますよ。天ちゃんが声の仕事をやりたいって希望してるのは知ってたから、薫子さんが猛プッシュしたみたいっす。上手くマネージメントできずにストレス溜めさせちゃったお詫びって意味もあるんでしょうね」
「そう、ですか……薫子さんが……」
少し前のやらかしを振り返り、そこから続く今日までの道のりを思い返した天がトーンダウンした声で呟く。
事務所の代表である薫子が自分のために尽力してくれたことを知った彼女が感謝の気持ちを抱く中、零もまた天のことを祝福していった。
「よかったじゃないですか、秤屋さん。声優とまではいかないですけど、立派な声のお仕事っすよ!」
「うん……! なんか、ちょっと前まで腐り続けてた毎日が嘘みたいだわ。同期からも事務所からも応援してもらえてるだなんて、本当に夢みたい」
「秤屋さんが頑張り続けたお陰ですよ。俺たちが何かをしたわけじゃあないんですから、胸を張ってください」
「……サンキュー、零」
気恥ずかしそうにはにかみながら、零へと感謝を告げる天。
様々な事件や配信を通じて関係性を構築した同期がチャンスを掴んだことを素直に祝福する零の前で、気合を入れ直した彼女が言う。
「よっしゃ! なら、加峰先輩に最高のポスターを描いてもらうためにも一肌脱ぎますかね! もっとこう、胸を張る感じで……!!」
恥ずかしかった写真撮影にも意欲を燃やす天が積極的な態度を見せる。
実にいいことじゃないかと、頑張る彼女のことを心の中で応援していた零であったが――
「あっはっは! でも、天ちゃんが胸を張ってもセクシーさは一切出ないっすね~! なんて言うか、背伸びしてる子供みたいっす」
「ぶほぉっ!?」
――完全なる不意打ちである梨子の空気を読めない発言を聞き、つい噴き出してしまった瞬間、部屋の中の空気が凍った。
マズいと零が思った次の瞬間には今の今まで上機嫌だった天が完全に怒りを剥き出しにした表情でこちらを睨んでいて、その恐ろしさに身を竦ませる彼に向けて唸るような声で恫喝し始める。
「れぇいぃ……? あんた今、私を笑ったわね……? 何がそんなに面白いのか、教えてくれるかしら……!?」
「いや、あの、今のは面白いっていうか、つい驚いて噴き出しちゃっただけで、決して秤屋さんを馬鹿にするつもりは、んぎゃあっ!?」
必死になって弁明する零であったが、天はそんな彼の言葉にも耳を傾けず足払いを繰り出すと、零の体勢を崩してからマウントポジションを取った。
彼の腹筋の上にお尻を乗せ、強く握り締めた拳に息を吹きかけながら、彼女は恫喝と本気の怒りを滲ませながら口を開く。
「零、歯ぁ食いしばんなさい! 今からあんたを、ボッコボコのギッタギタにしてやるから!」
「ちょっ!? まっ!! 俺、別に悪いことしてないじゃないっすか!?」
「問答無用! Vtuberってこういう時いいわね、顔に青あざができても気付かれないから!!」
「あわわわわ~っ! 止めて~! 喧嘩しないで~! どうにか落ち着いてくださいっす~!!」
繰り出される連続パンチを何とかガードし続ける零には、梨子に誰のせいでこんなことになってるんだとツッコむ余裕はない。
ただ一つ、彼は心の底からもう二度と彼女の仕事に協力するもんかという決意だけを固めながら、零は天の攻撃を耐え続けるのであった。
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