第12話 ペンギン伯爵


「リリス……!」

 思わず声をあげてしまったが、着ぐるみの巨大なくちばしのおかげで夏目の驚きの声は少女にも、その隣で微笑んでいるばあやにも聞こえなかった。

 リリスはふわりと柔らかい髪を珍しくリボンで二つ結びにしている。久しぶりの外出のため、ばあやにおめかししてもらったのだろう。

 嬉しそうな表情でクマを見つめる妹を、夏目はしばらく見守る。

 しかし着ぐるみ越しの視線を感じたのか、リリスは夏目の方に顔を向け、あっ、と声を発してタタタと走ってきた。

「わあ、もしかしてペンギン伯爵さまですか?」

「……そうだ」

 任務中に妹にバレる訳にもいかない。そう思い、咄嗟とっさに頷く。しかし勿論、ペンギン伯爵とは何のことかさっぱり分からない。

「嬉しいです!私、お兄様とばあやの次にペンギン伯爵さまのことが大好きなんです!」

 そうか俺が一番か。夏目は少し照れくささと妹への愛しさが増す。

「兄の具体的にどこが好――」

「夏目ー、どこにいるんだ?」いつの間にかはぐれた静雫の声が近くから聞こえた。

「あら、お兄様と同じ名前の人が呼ばれていますわ」

 リリスは目の前で固まったペンギンにふふっと笑った。

 ―――まずい。静雫に見つかる前になんとかしなくては。

「リ……君の名前は、なんだ」

「リリスです」

「そうか。リリス、すまないが俺はこれから大事な仕事がある」

「そうですか……やはり倒しにいくんですね、ペトロを……」

「……そうだ。ペトロを倒しにいく」

 残念そうなリリスが何を云っているのかはさっぱりだが、とりあえず上手く立ち去れそうだと内心ほっとする。

「お話できてうれしかったです、ペンギン伯爵さま。お元気でいてくださいね」

「ああ、またな」


 柔らかい布地に覆われた手をリリスとばあやに向けて振っていると、背後からまた静雫の声がした。

「おい、勝手にはぐれるなよな。って、お前何やってるんだ?」

「……準備運動だ」

 平然を装い、振っていた腕を伸ばす。

 気まずい沈黙のあと、夏目より頭一つ分ほど小さい着ぐるみが気を取り直して云った。

「怪しい奴をみつけた。あそこの右端に座っている長髪でダウンコートの奴だ」

 静雫はイベント用に設置されたステージ前の特別席に座る男の姿を示す。「さっきステージ裏で他の男とコソコソと話していた。僕はもう一人の方を追うから、夏目はそいつを頼む」

「分かった」

 二人が別方向に進もうとすると、あ、と夏目は思い出して静雫を呼び止めた。「互いを名前で呼ぶのはリスクがある。あだ名を決めるのはどうだ」

「え、いいけど……そうだな、えーっと……」

「俺はペンギン伯爵にする」

「ぺ……そ、そうか。なら僕はモモンガだから……」

「モモンガ博士なんてのはどうだ。ペトロの部下という設定だ」

「ペトロ?何のことだ?別にそれでいいけど……お前やけに張り切ってないか、どうしたんだ」

 夏目は急に恥ずかしさを自覚し、無言を貫く。

「まいいや、じゃそいつの監視よろしくな」 

 そう云い残し、静雫は夏目とは真逆の方向へ向かった。

 

 そういえば、静雫もリリスとほとんど年が変わらないはずだが―――この違いは生まれ育った環境の違いからだろうか。ペンギン伯爵はモモンガ博士の後ろ姿を見届けながら不思議に思った。


 静雫が怪しいといった男に、夏目は見覚えがあった。

 数年前、京也との任務中に出会った謎めいた男。紫色の長髪と切れ長の目が特徴的で、すぐに彼だと分かった。

 着ぐるみのまま近くに寄るとその男は夏目を見て少し目を細めた。

「ほう。君は確か喫茶の短刀使い君だね」

「違う。俺はペンギン伯爵だ」

 この人の前ではどんな変装も意味を為さない。分かってはいたが、それでもこうもあっさりと見破ってしまうとは―――

「……ペンギン伯爵君。残念だが、君が今見張るべき対象は私ではないよ」

 男は薄笑いを浮かべているが、目は冷徹で鋭い眼光を放っていた。

 今ここで着ぐるみを脱ぎ捨て、短刀を抜くべきか迷った。しかしインカムから京也の声がまた耳元に伝わる。

『夏目、静雫。そろそろ敵が動くはずだから、ステージ付近に怪しい奴がいないか探して欲しい。例えば、手に小型のゲーム端末を持っている大人はいないか』

「ゲーム端末……?」

 確かに子供用玩具の宝島のようなこの場所では、子供が家からわざわざゲーム端末を持ち出す必要もなさそうだ。親でない大人であればなおさら、この場でひとりでゲーム端末など持っていては目立つはずだが……

「全員持っている」

 大袈裟に云ったのではない。本当に見る限り、会場にいる人は全員両手に収まる程の端末を手にしていた。入場の際に配られたのだろう、子供から大人までが同色同型のものを一つ持っていた。

 少しの沈黙のあと、京也のふっと笑う声が耳に伝わる。

『そうか。やられたよ』

 あの京也が、珍しいな。と夏目は思う。

『ということは逆だ。端末を奴を探してほしい。そいつが犯人だ』

 論理はよく分からぬまま、夏目はインカムを切った。

 目の前にいる男については既に静雫が京也に報告したはずだが、特別指示がないということはきっとターゲットではないのだろう。そう納得し、不敵な笑みを浮かべる相手に背を向けた。


「京也君にもよろしく伝えてくれ給え」

 夏目は背後からそう云うのが聞こえたが、返事はしなかった。

 ―――あの男がいるということは、彼奴あいつらもいるのか。

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