第10話 恋は盲目

 夜羽マコトは夏目を認識すると、その瞳を大きく見開いた。


「やはりおぬしか!」

 静雫の力が抜けた隙に縄から抜け出し、とても嬉しそうに目を輝かせて夏目に詰め寄る。

「やっぱり……」

 しゃがんでいた静雫は夏目の手を取り起き上がるが、マコトは気の留めない様子でじっと夏目をみつめる。

「その、なんじゃ、坊やと遊んでおったが……この後おぬしとわしで一杯どうじゃろか。勿論、わしの奢りじゃ」


 少し照れくさそうに胸に手を当てながら、マコトは声を細めて云う。戦闘のときとはまるで別人のように、マコトは夏目の前では乙女になるのだ。 


 相変わらずこの人は夏目にぞっこんだな、と戦闘意欲を完全に失ったマコトに静雫は冷めた眼差しを向けた。


「これはアンタがやったのか」

 マコトの誘いを無視して夏目は地面に転がる死んだ男を見下ろす。

「わしじゃない」

「そうか」

「っ……おい!」 

 静雫があっさりと信じる夏目に向かって云う。

「この男が死んだ直後、こいつが僕に襲い掛かったんだぞ!しかもさっき殺した理由を聞いた時、こいつは否定しなかった」

「わしは嘘はつかぬ。否定しなかったのは、その必要性を感じなかったからじゃ」

「なっ……じゃあなんでここに居るんだよ!」

「おぬしにいう義務はないと云っておる」

「なんだとっ‼」


 二人の云い合いに、夏目はコホンと咳払いを挟む。

「状況から察すると、アンタを疑わない訳にはいかない。しかし本当にやっていないというなら……ここにいた別の理由があるのか」

「うぬ。おぬしがそう云うのなら、仕方ないのう」マコトはいとも簡単に頷いた。

 あまりの変貌っぷりに、女の恐ろしさを静雫は身をもって実感する。


「ある男を追っていたのじゃ。なに、ルゥドと取引中の相手じゃが、つまらぬ噂を流す嘘つきじゃとルゥドうちの参謀がふむものでのう」

 マコトは腕の上に乗せたカラスの背中を撫でながら続けた。「此奴こやつにその男を見張らせといたのじゃ。そして男が他所よその奴と接触していると聞いて駆けつけたのじゃが―――少々遅かったようでのう」

「その追っていた男が……」静雫が横たわる男性を見る。


 確かに脇道に入ったのは二人の男性だった。マコトが変装をしたものと思っていたが、今の説明の方が辻褄が合う気がする。


 マコトは頷いた。

「だがわしにはこの男の素性も、殺された理由もさっぱりじゃ。まあ……わしもその男のことを不審に思う点はある。先ほどルゥドとこの男が商談していた際、少量だが此奴の衣服から爆薬の香りがしたのじゃ」

「そんなのどうやって……」

「ルゥドには鼻がよく効く者がおる」不可解な顔をする静雫に口角を上げたマコトは得意げに云った。

「なんの商談だったんだよ」静雫がまた問い返す。

「それは企業秘密じゃ。口が裂けてもゆえんのう」

「教えてくれ」夏目が云う。

「繊維じゃ」マコトは笑顔で即答した。

 この口軽烏女……と静雫は心の中で毒づく。

「繊維?ルゥドはそういったものも扱うのか」

「防弾チョッキ等に使用される最先端の繊維じゃ。何かと汎用性が高くてのう。それにルゥドは表裏問わず最大級の商社である故、わしらが扱わない物の方が少ない」


 マコトの言葉に夏目は納得した。彼女の云うように、ルゥドのネットワークを活かせば国内外のありとあらゆる商材を有することが可能だ。

 ルゥドの構成員が身に着ける腕輪リングの宝石も、組織が違法の密輸業者を通して仕入れたもの。

 幹部クラスともなればその宝石が腕輪に占める割合は大きく、それだけで土地一つ購入できてしまうほどに高価なものとされている。


「つまりこの男は、繊維を扱う会社の社員か」


 だが爆薬を扱っているのだとすれば何か裏があるはず――

 夏目は無言で考えこむ。その姿に見惚れるマコトに、その様子を白い目でみつめる静雫がその場にいて、静寂なひと時が流れる。


 静雫にとっては耐えがたい数秒が経ち、夏目の携帯が鳴った。

「ああ。今静雫と―――」

 微かに漏れる音から、電話相手がマスターだと静雫は悟る。先ほどのやり取りを思い出し複雑な感情がこみ上がるが、夏目の表情がいつになく強張っていることに気付き、何か重大なことが起こったことを察する。


 夏目が通話を終えたあと、静雫は云った。

「何かあったのか」

「……加賀谷だ」

「ああ、今は光警こうけいに拘留されているんだよな、確か」

 自分を闇競売ブラック・オークションにかけた者たちの姿を思い出し、声が低くなる。

彼奴あいつがどうかしたのか」


 夏目は目を伏せ、少し間をおいてから云った。

「自害したらしい」

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