第8話 夜警 後編

 ピンスはいつも通り外套を羽織るとランタンを持って集会所の外へ向かう。

 この世界の夜は明るい。その理由は巨大な月が青白く輝いて大地を照らしているからで、今日は満月だから尚更明るく感じる。

 それでも物陰や森などは暗いのでランタンが不要になることはない。

 巡回は街の外壁沿いに移動して堀の近くにある林のそばを通り、最後にベアンたちの班と合流するというものだった。

「じゃあ、行こうか」

 ピンスの班は他の班が移動を始めたことを確認してから巡回を始めた。予定通り街の外壁と堀に沿って歩くが特に何もない。風もほとんどなく、草の生えない砂地の歩道を進むとすぐ横の草むらからは虫の音が聞こえてどことなく牧歌的な穏やかさを感じさせる。

 歩道と草むらを見回しても特に気配を感じたり、怪しいものが視界に入ったりはしなかった。夜間とはいえ、街の真横で魔獣に合わないことにはホッとする。

 問題はこの後、林の近くだ。魔獣に会うなら姿を隠せる雑木林の付近が一番可能性の高い場所となる。

 警戒しながら歩いていると、ピンスは林の奥に違和感を感じる。微かな物音が一回だけした後、不気味な静けさがあたりに残った。

 ピンスは嫌な予感が的中したことを悟る。草むらで聞こえていた虫の音が聞こえない。それだけでなく、彼は他にもいくつか感じるものがあった。

「視線を感じる」

 ピンスたちからは何も見えないほど暗い雑木林の奥に、確実に何かがいる。それが向けてくる視線に含まれるのは警戒ではなく敵意、いや、もしかしたら餌ぐらいに思っているのだろうか。

 そして、この静けさを作り出す澱んだ空気にもピンスは心当たりがあった。魔獣が気配を消すために周囲に微かな魔力を放出しているのだ。

「魔獣ですか」

 斧持ちの青年がピンスに訊ねる。その声には不安が混じっており、彼の経験の浅さを物語っていた。

「ピンスさん、俺が林の中を見てきましょうか?」

 斧持ちが手にした手斧のカバーを外して準備する。しかし、彼の言葉に答えたのはピンスではない。

「おい新人。下がれ」

 ピンスの背後からした声の主ははベテランである短弓使いの男性だ。斧持ちは短弓使いの方を振り向くが、どうやら短弓使いの意図が上手く伝わらなかったらしい。

「えっ? ああ、この位置は邪魔っすよね」

 ベテランからの忠告を彼は、『弓を構えている短弓使いの射線上に立っているからどけ』という意味だと思ったらしい。

 しかし、状況はそんな段階ではない。

「早く退くんだっ!」

 ピンスが叫ぶと、隣にいた斧持ち目掛けて雑木林から魔獣が突進してきた。

「うおっ!?」

 ピンスは斧持ちが地面に倒れるほどの勢いをつけて体当たりして、間一髪魔獣の突進を躱すことができた。

「なんてこったロウソペッカリーだ」 

 ロウソペッカリーはラコソカッドの街があるロウソ地方に生息する魔獣で、猪のような見た目をしている。夜間になると田畑を荒らして根菜などを食べる習性があるので、おそらく活動時間とピンスたちの巡回が重なってしまったのだろう。通常の猪より一回り大きい体躯を誇るうえ、その突進は人間を死傷させるのに十分な力強さがあるので油断できない。

 ピンスが新人を起き上がらせている間に、短弓使いの矢が魔獣に刺さる。

「ロウソペッカリーは勢いがつくと急には曲がれない。引きつけて大きく躱すんだ」

 新人が持っている斧が月光に反射して目立つのだろうか。魔獣は斧持ちの男性を狙っている。これは新人にとっては危険極まりないが、班としてはチャンスでもあった。

 先程から魔獣に刺さる短弓の矢には薬が塗ってあり、時間が経てば魔獣の身体を麻痺させる。もう一人の女性もボウガンを使うので、毛皮の硬い魔獣でも傷を負わせることができた。

 牙を持つロウソペッカリーに対して斧ではリスクが大きいので、新人には囮に徹してもらう。

 新人がピンスの近くに逃げてきたとき、魔獣は薬と傷のせいか、興奮しつつも息を切らしていた。この機を逃すまいとピンスは懐から目潰しの粉が入った包みを投げつけた。

 視界を奪われた魔獣がその場で暴れる間にピンスは光線銃を構え、魔獣に狙いを定める。

 光線銃の引き金を引くと、ガラスを割ったような音とともに金属の筒から緑色の光線が放たれた。光線は魔獣の胴体を貫通すると林の木を破壊して消える。

 音と光に驚いたのか、林の奥から鳥たちが羽ばたいていく。

 致命傷を負った魔獣は鳥の鳴き声が止む前に力尽きた。

 矢傷や光線の焼け跡から血を流して倒れ伏す魔獣の姿を見て、ピンスは自分が呼吸を止めていたことに気がつく。

 大きく息を吐いて呼吸を整えると、ピンスは魔獣を確認する。

「魔獣は死んだみたいだ」

 ピンスがそう言うと、他の三人も肩の力を抜いた。

「し、死ぬかと思った」

「危なかったな新人」

 斧持ちと短弓使いが話し合う横で、女性が魔獣の足を縛りだす。

「この魔獣、街に持って帰ろうよ」

 女性の提案は魅力的だった。ロウソペッカリーは凶暴な魔獣だがその肉は美味だ。

「いいね。鍋にしたい」

「そうよね」

 ピンスもその提案に賛同する。

 短弓使いが女性を手伝って、運ぶ準備を始めたとき、ピンスは林から気配を感じた。

「新手の魔獣だ!」

 ピンスが叫ぶと、獲物を運ぶ準備をしていた二人はすぐさまその場を離れて体制を整える。しかし、斧持ちの新人は完全に気が緩んでいたらしく、慌てふためいていた。

 斯く言うピンスも油断していたことを認める。ロウソペッカリーは縄張り意識の強い魔獣で、周囲には他の魔獣がいないものと思っていたからだ。

 それなのに新手の魔獣が現れたということは、もしかしたらさっきの光線銃の音と光で呼び込んでしまったのかもしれない。

 ピンスは光線銃の筒を開けて、内側の燃え滓を捨てる。強力な光線銃だが、使う度に魔力燃料の注入や燃え滓の除去をしなければならないのが難点だ。

「お、大きい……」

 手元を忙しく動かすピンスの視界に入ったのは、先程のよりもさらに大きいロウソペッカリーだ。ひょっとするとこれは自警団の討伐目標ではないだろうか。

 魔獣は同族の血の臭いで興奮しており、すでに臨戦体制だ。

「このっ」

 先程同様ベテランの短弓使いが矢を射るが巨大な魔獣はその大きさに比例して毛皮も厚く、魔力の障壁まで形成しているために矢が深く刺さらない。

 魔獣はその体躯に応じた力を秘めている。同じロウソペッカリーでも先程の個体は気配を消すのに魔力を消費していたが、この大型個体は薄い障壁を形成できるほどの魔力を保有している。魔力の障壁自体の層は薄くても、硬い毛皮と合わされば強固だ。

 そしてその巨躯は保有している魔力だけでなく単純なパワーも脅威になる。

「こんなことなら弦を引いておくんだった」

 女性が必死にボウガンの準備をする。声を上げた女性に反応したのか魔獣は狙いを定めて襲いかかる。

「危ないっ!」

 ピンスが火薬の入った包みを投げつけると魔獣のそばで包みが弾けて乾いた音が鳴る。

 魔獣は火薬で混乱してふらふらと蛇行し始めた。

 魔力燃料の注入が終わったピンスは再び銃から光線を放つ。だが、魔力の光線は障壁に阻まれてしまい、毛皮を貫いて皮膚を焼くものの即死させるほどの致命傷にはならない。

「ダメか」

 傷を負って興奮する魔獣。しかし、障壁は破壊した。これでこちらの攻撃は通用するはずだ。

「新人っ! 今のうちだ!」

 短弓使いが斧持ちを呼ぶと、新人は手負の魔獣にトドメを刺そうと斧を構えて走りだす。

 それに気がついた魔獣は頭を振りながら唸り声をあげて迎え撃とうとする。

「援護するよ」

 ピンスが再び目潰しを投げると視界を遮られた魔獣はその場で暴れ出して走り回らずにいる。これはロウソペッカリーの習性で、視界を遮られるとその場に止まるのだ。

「そら」

「よしきた」

 短弓とボウガンからも矢が放たれ、魔獣の頭部に命中。視界を遮られたロウソペッカリーは矢が射られた方角に顔を向ける。これは斧持ちにとって好都合だった。

「うおおおおおっ!」

 斧持ちの雄叫びと共に魔獣の頭部に斧が直撃する。頭部に痛撃を加えられた魔獣は少し暴れるものの、身体を揺らしながら歩きだすと二、三歩目で倒れた。

「やっ、やったぁ!」

 斧持ちの新人が喜びの声を上げる。その声を聞いた班員たちは今度こそ戦いの終わりを感じ取った。

 新人が歓喜する裏では、気がぬけてしまった女性がその場にへたり込んでしまっている。

「みんな無事かい?」

 どっと疲労が押し寄せるが、ピンスは班員たちに訊ねる。皆まばらに返事をすると再び獲物に目を向けた。今回のは例外中の例外で、ロウソペッカリーの中でも特に大きい個体だった。

 ピンスは誰一人死者を出さずに魔獣を討伐できたことに安堵する。ピンスは脱力して座り込み、今回のことを反省した。

 自分の中に油断があったこと、新人にもっと魔獣に関する注意を促すべきだったことなど、多くの問題が浮き彫りになったのだ。

 座り込んでしまったピンスが立ち上がれるようになったのは、短弓使いが獲物を足を縄で結び終えた頃だった。

 

 運搬の準備が完了したものの、自分たちだけでロウソペッカリー二頭を運ぶのは流石に辛いのでピンスたちはベアンの班と合流する。

 他の班員たちが獲物を街まで運んでいる間にピンスは巡回の報告をした。ロウソペッカリーの習性から外れた行動や大型の個体について、今回の反省点などが主な内容で、ベアンはいつも通り静かに報告を受ける。

「そうか。この狭いエリアに二頭も潜んでいたか」

 今回の巡回でピンスの班員から死者が出なかったことは不幸中の幸いだが、今回のロウソペッカリーが討伐隊の目標だったのなら彼らの不手際でもあるため問題なことには変わりない。

「明日はマレトさんのところに行って今日の報告をしてくるよ」

「そうか。俺は自警団側で今回の件について調査しよう」

 そう言っている間に街の門が見えてきた。ピンスの仕事はようやく終わる。

「今日の二頭は食用にできるかな」

「ああ、集会所には保存できる場所があるから処理をすれば明日でも食べられる」

「じゃあ明日は集会所でお鍋だね」

 大変な思いをしたが、自分の班員から犠牲者も出ず、苦労が食事という形で報われるのならこれ以上文句は言わない。ピンスは翌日の昼食に思いを馳せた。

 街の門を過ぎた頃、気が抜けたのかピンスの身体は錘が付いたかのように疲労を訴える。だが、仕事はまだ残っているのだ。今日やるべき最後の仕事を終わらせるべくピンスは娼館【葡萄の湯船】へと赴いた。

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