この街で生きるキミに
じゅき
序章 一年前
第1話 この街に居た頃のキミ
ラコソカッドの街は王都から最も近い位置にあり、過去には王都を守る砦としての機能を担っていた。街道上にあるこの街は商業、国防などにおいて重要な位置である。
反面、周囲を山や森に囲まれているこの街は、王都のような煌びやかさからは一歩退いた存在で、その重要さや王都までの距離と反比例して貴族などの興味を惹くものではなかった。
この世界には魔力と理力がある。魔力が水なら理力は油で、互いに交わることはない。人々はこの魔力が結晶や鉱石、或いは液体などに変化した魔力の燃料とそれによって動く道具で生活を豊かにした。
反面、理力は効率的な入手方法が確立されていないことから人々の生活ではほとんど活かされないままである。
また、魔力と理力を操る方法として【術式】と呼ばれるものがあった。これはプログラムに近いもので、予め用意した術式によって魔力や理力を扱うことができた。術式は便利な反面専門的な知識がなければ扱えず、生活に使う一部の術式が一般人に広まっているだけで、その他は極少数の研究者などが扱っている以外にほとんど見られない。
魔力は人々を救い、繁栄させたが同時に困らせる存在でもあった。その典型的な例が魔獣だ。人間など多くの生物は少量の魔力しか有していない。しかし、魔獣は魔力そのものを生命の力として生きていた。魔獣には人を襲う凶暴な個体も多いため、魔力そのものが人間を困らせていることを体現した存在である。
反面、魔力ではなく理力を有した存在もいる。異世界から来た人間だ。過去の文献によれば、彼らは生命のエネルギーとは別に理力を宿しているのが特徴だった。
あるとき、ラコソカッドの街に異世界人がやって来る。その異世界人はルードという少女だった。
なぜ異世界人だとわかったかと言えば、この世界で生まれた人間にはない理力を宿していたためである。
物珍しさもあったが、街に来るときに魔獣の討伐に協力してくれたこともあって彼女は街の住民に歓迎された。
ルードは流れるようなセミロングの銀髪で、愛用の剣も髪と同じ銀の刀身。軽い身のこなしと華麗な剣技、そしてそれを可能にする引き締まった肉体が特徴の美少女だ。
その容姿に惹かれて口説こうとする男も数多くいたが、名前も覚えてもらえないどころか相手にされない。
あんまりにも覚えてもらえないので、フラれた一部の男達が「鳥頭」だのと陰口を叩くようになった。
少し経ってから、単純にバカにする目的で言われた「鳥頭」をルードが偶然聞くと、それ以降、何か忘れる度に「私の前世は鶏だった」とか「三歩歩くと忘れるから歩いた後に言ってくれ」などと冗談を言うようになる。
そんなルードだったが彼女の便宜を図ってくれた街の管理者マレト、よく話相手になっていた娼館のオーナーや娼婦達、彼女の新しい装備を製作していた技師のピンスなどとは仲が良く、特にピンスは街の中でも外でもほとんど一緒にいるほどで、当時から恋仲と囁かれていた。
ピンスは少し白い肌に紺色の瞳、ショートボブの黒髪の美少年で少しだけ背が高く、引き締まった細い体が特徴。髪色が銀で服装は白を基調としたルードとは対照的に、彼は黒い外套や手袋、道具の入った鞄など、全体的に肌以外は黒いイメージである。
ルードがピンスを気に入っていたように、ピンスもルードに好感を持っていた。
彼女が凛々しいのは見た目と戦闘中だけで、街にいるときや会話のときは大抵抜けているところがあるものの、ピンスにとってはそこも魅力として映る。
二人はよく街の周囲を散策したりして、はぐれ魔獣を倒すこともあった。
その日も二人は近くの森まで行ってルードの装備を改修する素材などを集めていた。
木々の合間を太陽光が差し込む獣道で、ルードは倒れた魔獣を見つめながら剣をしまう。
「これで何体目だ? 今日は魔獣が多すぎるぞ」
ぼやくというよりはただ疑問を口にしただけのルード。ピンスは倒れた魔獣の角を切り落として袋に詰めると、銀髪の美少女に目を向ける。
「そう言いながら全部倒せるルードは凄いよ。真正面から戦って傷一つ負わないんだもん」
陽の光に反射する銀髪が風を受けて少し靡く。彼女は少し得意げになったようだ。
「ふふん、ピンスがいればそれは張り切るさ。まあ、最後の仕事があるようだけどな」
そう言うと、再び剣を抜くルード。ピンスも腰のホルスターから武器を取り出して構える。
彼が取り出したのは金属製の筒にグリップとトリガーを付けただけの簡素な拳銃だ。
ピンスの銃は火薬ではなく魔力の光線を打ち出すもので、その威力は魔獣にさえ傷を負わせることができる。相手が魔力の障壁を張っていなければだが。
「ルード、何か奥の茂みにいる」
「ああ、だが、私が気がついた以上奇襲はできない。心配するなピンス」
二人がじっと待ち構えると何度か茂みが揺れた後にコルク状の角を持つ魔獣が現れた。
マーコールのような見た目の魔獣は、禍々しく血走った目で二人を睨む。
「大きいな。だが、この場所でその角はナンセンスだ」
ルードの言うとおり、この獣道では大きな角は武器というよりも障害である。角の動きを木々に阻まれた魔獣は思うように動けずにいた。
しかし、魔獣が依然として脅威であるのは変わりない。
この機を逃すまいと魔獣の頭部に狙いをつけるピンスだが、そのときコルク状の角に青紫色の光が灯る。
「あっ、魔力が」
魔獣というだけあって魔力ぐらい扱える。魔獣が頭を振り回すと魔力で覆われた角は木々を粉砕するほどの力を見せた。
驚くピンスとは違い不敵に笑うルード。
「ピンス、私があいつに一発かましたら、その銃で頭を狙うんだぞ」
「わかったよ」
ルードの自信に影響されたのかピンスの集中力も高まる。
彼女は動かず、魔獣が動くのをじっと待ち続けていた。
やがて、魔獣が周囲の木を倒し終えて獣道へと歩み出す。魔獣の一歩目の足が地面に着く直前、ルードは剣の刀身を逸らして太陽光に反射させると力強い踏み込みで一気に敵の懐へと飛び込んだ。
襲いかかる銀色の刀身に魔獣が反応するものの、振り回す角が剣を弾く前にルードの拳が顔にめり込む。
「剣の光に気を取られたな」
混乱した魔獣の首元に続けて肘を叩き込むと、枯れ枝を踏み荒らすような音がして魔獣は動かなくなった。
「さあ、ピンスっ! 今のうちに魔獣にトドメを刺すんだ!」
「さっきの肘打ちで死んでるよ」
ピンスに言われて魔獣を見るとぐったりして動かない。ルードは「やり過ぎた」という笑顔を見せた。
「いやあ、ピンスに実戦の経験を積んでもらおうかと思ったんだが、まさか二発で絶命するとは」
ルードが倒した魔獣を見る。大きな体躯の魔獣は彼女でなければ例え武装していても強敵だろう。完全に首の骨を砕かれた魔獣はあらぬ方に顔を向けて地に伏していた。ピンスはその光景を目にして改めてルードの強さを実感する。
「二発って……一発目で虫の息だったと思うよ。顔が凹んでるし、首も殴られたときの向きだし……」
少し怖くなったピンスは青覚めた表情で魔獣の亡骸を観察する。
「そうか? ピンスを守ろうとして張り切りすぎてしまったな」
その髪色同様に明るい性格のルードは、規格外の強さも持っている。今日も元々は山や高地につながる平原からはぐれ魔獣を狩っていたが、急に魔獣の数が増えていったので森の中まで来てしまった。
「ルードがいなかったら今頃魔獣の昼食になってたかも」
倒れている魔獣たちを見回すと、あながち冗談にならない。
周囲に魔獣の気配がしないことを確認した二人は、袋がいっぱいになるまで素材を集め、食用にできる魔獣はルードとピンスで担いで持っていくことにした。
「素材はもう大丈夫なのか?」
「うん、目当てのハナイカダパサンの角が手に入ったから大丈夫。本当はこんなに魔獣の相手をするつもりなんてなかったんだけどね」
食用の魔獣を一頭担いだピンス。向かい合うルードは担げるだけ担いで立ち上がる。
「そういえば、今回のコルク角の魔獣は初めて見たな」
「そうだね。この辺にいる魔獣じゃないと思う。自警団がいるのにこんなに魔獣がいるなんて珍しいことだし、どっかに巣でもあるのかな」
想像すると背筋に悪寒が走る。街に戻るまで生きている魔獣に会いたくない。
二人は重い獲物を運ぶために歩き出す。
しばらく歩いていると、相棒が話しかけてきた。
「なあピンス。聞きたいことがあるんだが」
普段聞かない少し困ったような口調のルード。悩み事の相談だろうか。ピンスは真面目に耳を傾ける。
「どうしたの?」
「私はいったい何のためにこの世界に来たんだ?」
あまりの驚きにピンスは転んでしまうところだった。
「何のためって……何か魔獣との大規模な争いに勝つためって言ってなかったっけ?」
「うーん、この世界に来たときにそんなことが頭を過ったんだが、今やってることは自警団と同じだろう? これが使命なのかわからなくてな」
「そんな根本的な事から悩んでたの?」
ピンスは悩む。正直に言えば、使命なんて彼にはどうでもよくて、このままルードと暮らしたい。だが、彼女が自分の使命で悩むというのなら何かしらのことは考えなければならないのだ。
「どうしたものか」
ルードの言葉にピンスの精神はシンクロする。行き場のない感情を抱えつつ、小石をブーツで軽く蹴ると、転がった先に珍しい魔獣がいた。
「イヌワラビネコだ」
「なんだそれは?」
「ほら、そこにいる」
猫のラグドールみたいな外見で毛皮が白と灰色の生き物。見た目こそ猫だが、尻尾はイヌワラビのような形状をしている魔獣だ。
「とっても珍しい魔獣だよ」
「危険なのか?」
剣を抜こうとするルードをピンスが止める。
「待って、生態がよくわかってない魔獣なんだ」
イヌワラビネコは個体数が少ないために研究が進まず、未だにその生態は詳しく分かっていない。
ピンスは刺激しないようにゆっくり魔獣へと近づく。
「まだ幼い個体みたいだ」
ピンスが二歩ほど近づくと、魔獣は茂みの中に消える。追いかけようとするピンスをルードが引き止める。
「待てピンス。茂みの奥から微かに血の臭いがする」
「何だって?」
「生態がわかっていないんだろう? もしかしたら凶暴な魔獣かもしれない」
「そうか。追うのは危険かもね」
残念だけど仕方ない。そう切り替えようとするピンスを見て、ルードはフッと笑う。
「私が様子を見てこよう。イヌワラビモチが人を襲った話はあるか?」
「モチじゃなくてネコね。襲ったりした話は聞いたことがないね。目撃談がないだけかもしれないけど」
この他にもルードはいくつかの質問をすると、剣を抜いて茂みに入っていった。
その後、しばらくルードは戻らなかった。
心配になったピンスが光線銃を取り出して茂みに入ろうとしたとき、奥の暗がりからルードが戻ってきた。
ルードは剣を納めた状態でイヌワラビネコの子どもを抱えている。
「血の臭いの正体はこのネコの母親だ。他の魔獣に襲われた形跡があったんだ」
ルードは魔獣の母親の亡骸を埋めて来たために時間がかかってしまったようだった。
彼女の無事にほっとしたピンスはルードの服についた土埃を払う。
「そのイヌワラビネコは随分ルードに懐いてるね」
「ああ、埋葬が終わってからずっとべったりだ。魔獣に襲われたのか少し怯えてもいるようだがな」
「連れていくの?」
「何度か置いていこうと試みたんだが、ずっとついてきて離れないんだ。街に連れていって大丈夫か?」
心配そうなルード。彼女はもうこのイヌワラビネコをどうにかしようとは思わないらしい。だが、魔獣を連れて行くのは街の住民が反対するだろう。
「とりあえずマレトさんに聞いてみようか」
マレトが許可すれば住民たちも反対しないかもしれない。
街の管理者として反対されるかもしれないが、そのときは別の方法を考えるしかない。
二人と一匹は街へと向かう。
仕留めた魔獣を担いで歩き出すルードが素材の入った袋を置き忘れたことに気がつくのは、森の獣道を抜けて街道に出る直前のことだった。
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