149.手がかり(2)

 ――セレスは思い返していた。


 土埃を巻き上げながら、石畳を颯爽と駆け抜けていく馬の上。


 彼女の頭の中を巡るのは、まだ彼女が名前すら持っていなかった頃の記憶だ。



 黒竜セレスティアは、生まれつき魔力量が少なかった。

 幼い頃はその自覚はなかったが、成竜になるにつれその異変に少しずつ気が付いた。

 はじめは物覚えが悪いだけかと思っていた。だがどれだけ時間を重ねても、仲間が簡単そうに扱う攻撃魔法を黒竜は一向に身に付けられなかった。

 

 竜種にとって、魔力は何よりも重要だ。

 ドラゴンは群れで暮らす。だからこそ、魔力量や魔法の威力は群れの中の序列に直結するのだ。

 そんな環境の中で、黒竜はダントツで落ちこぼれだった。仲間からは見下され、ろくに狩りにも参加させてもらえない。群れに貢献できるようなこともなく、常に仲間からは穀潰しとして扱われていた。


 ……だから、いずれこうなることは薄々勘づいていた。


 ある日、突然の衝撃に目を覚ました黒竜。寝床が土埃を巻き上げながら爆ぜ、彼女の体は吹き飛ばされる。

 黒竜は周りを見回す。はじめは強力な魔物の襲撃かと思ったが、違った。

 そこにいたのは、「仲間」であるはずの同じ群れのドラゴンたち数体。なぜ急にこんなことになったかは分からなかったが、ひとつ言えることは彼らがこの状況を楽しんでいたということだ。


『グオオォォォッ!!』


 このままでは殺される。そう察した黒竜は、とにかく必死に抵抗した。

 ただがむしゃらに、相手を尻尾で振るったり、噛みついたりするだけ。向こうは魔法を容赦なく放ってきたが、近距離戦だったからこそ黒竜の反撃は効果があった。


 だがその状況も長くは続かない。

 元より、多体一では勝ち目はない。徐々に増えていく全身の傷。ジリ貧なのは黒竜自身もよく分かっていた。

 なまじ抵抗して、向こうに傷を与えてしまったのも悪かった。それは黒竜を虐げるための大義名分となり、ただの落ちこぼれだったはずが、いつの間にか同族に仇なす反逆者として見られるようになっていたのだ。

 

 だから彼女は、必死で逃げた。

 逃げるあてなんてなかったけれど、背後から無数に飛んでくる魔法に、ただただ前に進むしかなかったのだ。


 そうしていつの間にかたどり着いたのは、あろうことか別の竜の寝床だった。白銀の体表を輝かせる巨体は、不機嫌そうに黒竜を睨んだ。

 その瞬間、本能的に身の危険を感じたのは言うまでもない。この銀竜は明らかに格上。自分を攻撃してきた“仲間”――いや、その長ですら敵わないほどの、圧倒的な魔力を持っていることは容易に理解できる。


『どうした、自暴自棄にでもなったか? ここは私の住処だぞ』


 普段なら絶対にこんなところには立ち入らない。どう考えても自殺行為だからだ。

 だが今日という日に限って、黒竜はさらなる失態を犯してしまった。無我夢中で逃げ場所を探していたからこそ、その気配に気が付きすらしなかったのだ。

 早く逃げないと。そう頭では分かっているのに、体が動かなかった。ドロドロと体からは血が流れ出し、あらゆる場所がズキズキと痛む。


『はぁ……私はつくづくお人好しだねえ』


 だから黒竜は驚いた。この銀竜は、謎の魔法を放ち傷をすべて治療してくれたのだ。まるで理解ができなかった。自分に何が起こったのかも、なぜこの竜がそんなことをしてくれたのかも。


『……さあ、これ以上用がないなら、さっさと自分とこに帰んな。ここは私の縄張りだよ』


 呆然とする黒竜は、その声ではっと我に返った。

 強者ゆえの慈悲なのか、あるいは何か別の思惑があるのか。黒竜にはさっぱりだったが、少なくとも向こうからは攻撃するような意志は感じられない。


 ――逃げるなら今しかない。

 とにかくこれはチャンスだ。今なら元仲間たちからも、この銀竜からも逃れられる。やけに軽くなった体を動かしながら、黒竜は尻尾を巻いて逃げ出した。






 だが……彼女と再会するのに、それほど時間は要さなかった。


『えーと……私を治療師だと勘違いしているのか?』

『……………………』


 呆れたような表情を浮かべる銀竜に、黒竜は何も言わなかった。

 こうするしかなかったのだ。どこか遠くへと逃げようとしたが、銀竜の縄張りを離れた瞬間に襲いかかってくる元仲間の竜たち。

 彼らはとても怒っていた。おそらく……黒竜が反撃したことをずっと根に持っているのだろう。執拗に黒竜を追いかけ、手厚い歓迎を浴びせてくる。

 魔法がろくに使えない彼女は、そんな彼らになすすべがなかった。一方的にいたぶられ、血みどろになりながら逃げおおせる。そんな日々が続いていた。


『黒竜、お前……仲間にやられたのか』


 銀竜は、いつもぶつくさと言いながらも、勝手に寝床へ飛び込んだ黒竜を治療していた。

 彼女の行為は、一歩間違えれば命をも失いかねない愚行に違いない。だが外へ出てもどうせ殺されるのだからと、この銀色の竜に縋ることを選んだ。


『この世界じゃ、雑魚は淘汰される運命なんだよ。たとえそれが竜であってもな』


 魔力を纏った銀竜の話す言葉は、その音の持つ意味は分からなくとも、頭に内容が直接飛び込んでくる。


 雑魚は淘汰される運命――当たり前だ。あらゆる生き物は、自分よりも弱い他の生き物の犠牲で成り立っている。ドラゴンだってそれは変わらない。

 魔力が少ない黒竜は、ドラゴンという種族の中では圧倒的な弱者だ。この厳しい世界において、そんな弱者に待ち受けるのは「死」のみだ。


 だからこそ、銀竜の「お前には見込みがある」なんて言葉は、到底信じられなかった。


『私に付き従い、その全てを捧げるのなら、この世で生き残るためのイロハを教えてやろう』


 銀竜はニヤニヤと笑っていた。まるで……面白いおもちゃを見つけたかのように。

 だが黒竜にとって、この提案に乗らないという選択肢はなかった。元から退路なんて無かったのだ。

 じりじりと軋むような全身の痛み、血と魔力が漏れくらくらとする意識。そんな中で黒竜は、力強くその瞳を見据えていた。

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