138.森の中(3)
「で、か……」
思わず漏らしたその言葉は、心の底からの感想だった。
私の予想通り、鳥が飛び立った地点にルシアンがいた。そして彼はまさに、グリズリーとの戦闘を繰り広げていた。
グリズリーはまさに「巨大」という言葉が似合うくらいデカくて、ルシアンの身長の倍くらいはある。向かい合ってるからこそ、その大きさの差がよく分かる。
到底、圧倒的な体格差のあるルシアンに勝ち目は無いように思えた。
「ルシアーン!!!」
私がそう呼びかけても、ルシアンは剣を構えたままその場を動こうとしない。
もはや、互いに膠着状態にあるように思われた。両者ともにじっと睨み合い、一歩も押さず引かずの状態。
だが――
「邪魔をするな」
先に勝負をしかけたのは、まさかのルシアンの方だった。突如、走り出した彼の動きに、グリズリーの方は驚いたように一歩後ずさる。
しかしもちろん無抵抗というわけではなく、きっと睨みつけるような眼光はルシアンをずっと捉え、回避か、あるいは攻撃の機会を伺っているようだった。
限界まで相手に接近したルシアンは、剣を大きく振りかぶり、グリズリーの首元目掛けて刃を振るう。
「殺す――!!」
そんな殺気立ったルシアンの攻撃を、グリズリーはいとも簡単に躱してみせる。なんならその大きな鈎爪を振りかぶり、カウンター攻撃まで仕掛ける。
ルシアンはそれをひょいと空中で身を反らしながら、地面にずさっと着地した。尻尾を使って空中での軌道を微妙に変えているのもお見事だ。
戦闘が始まり、私はそんな彼らをただ見守ることしかできなかった。
もちろん、グリズリーの攻撃が私に当たることはない。空中という絶大なアドバンテージがあるから、私なら一方的に攻撃をすることができる。
だけど……ルシアンがいるから、無闇矢鱈と攻撃するわけにもいかない。目まぐるしく動き回る両者、私が攻撃を差し込む余地なんて全く無かった。
「ど、どうしよう……」
あわあわとしながら、私は安全圏から動けずにいた。
幸いなことに、ルシアンはめちゃくちゃ強い。私のサポートなんか必要ないくらいには。
体格差のあるグリズリーと対等に――いや、むしろ押し込んできているくらいには、戦い慣れしているようだった。
少しずつ劣勢となったグリズリーの体には、段々と傷が刻まれていく。
もちろん致命傷になるようなものではないが、ルシアン相手に一度も攻撃を当てることができていない。
「がんばれー!」
……うん、もう私は応援するしか無かった。
その声が届いたのかは分からないけど、ルシアンはさらに優位に立ちはじめた。最初は余裕のあったグリズリーの表情にも陰りが見え、今やもう回避に専念するしかないようだ。
剣が風を切る音と、両者の乱れるような足音が響き渡る。
ルシアンは更に容赦なく攻め立てる。じりじりと後ろに下がらざるを得ないグリズリー。
もはや、彼の勝利は決定的かと思えた。
――カキーン。
軽やかな音とともに、ルシアンの剣が吹き飛ばされた。
それはグリズリーが放ったヤケクソとも思える一発。ただただ意味もなく腕を振るっただけ。……だが予備動作なしに放たれたそれは、ルシアンの不意をつくのには十分だった。
「あがッ――!!」
質量を伴ったそれは、ルシアンの肉体をも跳ね飛ばした。易々と宙を舞うルシアンに、グリズリーは間髪を入れず飛び込む。
「クソが……」
武器もない、体勢も悪い。
形勢逆転とはまさにこのこと。
目を覆いたくなる気持ちを殺して、私は叫んだ。
「逃げてッ!!」
「出来るかこの馬鹿!!」
必死に起き上がろうとするルシアンに、容赦なくグリズリーは腕を振り上げる。その先についた大きな爪は、騎士の持つ剣と同じくらい鋭く尖っていた。
まずいまずいまずい、ルシアンが死んじゃう……!!
どんどんと血の気が引いて頭がパニックになっていくのが、自分でも分かった。必死で思考をフル回転させ、私にできることを探す。
私にはルシアンをすくい上げるほどの力も無いし、攻撃できる手段も……――いや待って!
「私が、助ける――っ!」
閃光が、周囲を
……もうそこからはすぐだった。
口元に溜めた魔力の塊を、私はグリズリーに容赦なく向けた。
日々の訓練が光ったのだろうか、それともただ私が必死だったからだろうか、私のブレスは外れることなくグリズリーの体を、いとも簡単に
ぐちゃり、と嫌な音とともに、地面に倒れこむ巨体。
グリズリーは、ルシアンに辿り着く前に、その大きな胸元に風穴を開けられていた。
◇
「大丈夫か、お前ら!?」
班長の声が聞こえ、それに続くようにガサガサと騎士たちが低木をかきわけやってくる。既に自分の剣を拾い上げたルシアンは、何事も無かったかのように自分についた土を払っていた。
「これは……」
騎士の誰かがぼそりと呟いた。その視線の先には、巨大なグリズリーの死体。
「ルシアン、何をしていたッ!!!」
「なんでしょう、班長?」
その様子を見て全てを察した班長は、叫びながらルシアンの胸ぐらをぐっと掴んだ。
「なぜ勝手に行動した!?」
「……匂いが、したからですよ。ほら、俺って鼻が良いでしょう?」
「お前……!!」
両手のひらを掲げながら、ヘラヘラと笑って答えるルシアン。
そんな彼を見た班長のこめかみには、立派な青筋が立っていた。
「ルシアン……お前の処分は、後ほど伝える」
だが思うところがいろいろありすぎたのだろう。怒る元気もないといった様子で、班長はすぐにルシアンを解放した。
ルシアンは、処分という言葉を聞いてすらなお、肩を竦めるばかりだった。そんな彼の姿に、騎士たち全員が冷たい視線を送っていた。
……私はそんな彼の姿に、ふつふつと沸き上がるような怒りを感じていた。
「ルシアン……な、なんで、そんなことするの?」
「あ? なんだ、悪いかよ」
「悪いに決まってるよッ!! 勝手に行動して、みんなに迷惑かけて、それのどこが悪くないって!?」
「俺は死にかけてねえ。お前がやったのはただのお節介だ、余計なことすんじゃねえ」
嘘だ。
ルシアンは倒れて、武器も失って、必死な顔をして逃げようとしていたんだ。
「私がいなかったら、私が外してたら――ルシアンは、死んでたんだよ!! なんで、なんで……そんなこと……」
「はっ、そうやって感情的になってお説教気分か? 上司でもねえくせに散々いびり散らして、さぞ気持ちいかよクソガキ。テメエの助けなんて、俺には金輪際必要ねぇんだよ」
「――――っ、ルシアンなんか大嫌い!!!!」
「ルシアン、やめろ。ルーナも落ち着け」
言い合いになる私たちを、班長が制止した。私だって、こんな無益な言い合いなんてしたくない。
だけど、……私はもう限界だった。目から溢れ出す涙は、極度の緊張から解き放たれたことによるものか、それともルシアンに対する絶望によるものか。ぐちゃぐちゃになったようなこの気持ちは、決して悪口を言われたからだけではなかった。
「泣くな、ルーナ。お前は悪くねえよ」
「この巨体を倒すとは、流石だなぁ」
「あんな奴の言う事なんて真に受けるな」
他の騎士たちが、私を慰めてくれたのが救いだった。
私にはもう、なにをどうすればいいか分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます