77.エストラーダ地方

「ルーナ、起きて」

「ふぇ……ごはん……?」

「違うから。着いたのよ、エストラーダに」


 アイラの声で意識がゆっくりと浮上する。まだ寝起きで頭がふわふわとしているけど、突き刺さるしょっぱい潮風の香りに鼻をひくひくと動かす。


 私がこの赤竜の話を聞いてから2週間。砦に残る騎士たち、エミルやルカといった友達、そして厩舎の馬たちに別れを告げた私は、砦を出立し、南に向けてひたすら旅路を進んでいた。

 長い長い陸路に耐えかね、私とセレスは馬車の上でずっと毎日のように惰眠を貪っていたのだけれど……ようやくその生活も終わりのようだ。


 私はむくりと立ち上がり、恐る恐る後方へ向かう。窓のように開けた幌馬車の後方から、その周囲の景色を見渡した。


「うっ、海だ……!」


 澄み渡る快晴の空。それの鏡写しのように、どこまでも広がる大海原。

 太陽がゆらゆらと波に反射して、きらびやかに光り輝いている。とてもきれいだ。


「私も初めて見るわ」

「きれいだね」


 アイラが私の頭を撫でる。隊長さんが言う「いろんな景色を見せたい」の意味がよく分かったよ。


「セレスは海見たことある?」

「ある。でも、ルーナと見るの、初めて」

「………………?」


 えっと……セレスはなんでわざわざ私のことを強調したのかな。私とセレスが出会ってから、まだそんなに時間経ってないんだから、当たり前だよね?

 ……もしかして、婉曲的な感情表現?


 なんだか感傷的な表情のセレスを背に、私は脳内で言葉を反芻するのだった。

 そうしているうちにも、馬車はゆっくりと進んでいく。



「アルベルト、久しぶりだ」

「ウェルナー隊長……ようこそおいでくださいました」

「堅苦しい言葉はやめろ。同じ隊長なのだから、俺とお前は同僚だろう」

「なかなか難しいことを言いますね、ウェルナー隊長。あなたと同格だなんて、未だ受け入れたくありませんよ」


 ははは、と笑いながら冗談っぽく言う一人の茶髪の男性騎士。


「改めまして、第8隊の皆さん、はじめまして。私が第10隊の隊長、アルベルト・ガルシアです。遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます」


 なんとなく察してはいたが、この男性騎士――アルベルトさんは、この辺りの部隊で一番偉い「隊長」だった。

 こっちの隊長さんと比べれば全然迫力がなくて、すごく大人しくて優しそうな印象だ。だが後ろに部下とおぼしき騎士が控えているので、やっぱり偉い人であることには間違いないのだろう。

 丁寧な挨拶をして見せたアルベルトさんに対し、隊長さんは私のことを紹介する。


「アルベルト、紹介しよう。彼女がドラゴンのルーナだ」


 面と向かうとちょっと恥ずかしくなったけど、アイラの「挨拶は?」という言葉に押されて、小さな声で私は挨拶した。


「えっと、ルーナです。よろしくおねがいします……」

「こちらこそ、ルーナ殿。……ほう、『森の銀竜姫』の名に違わない美しい体表ですねえ」

「森の……なに?」


 アルベルトさんは私を興味津々に見つめていた。

 それよりも、なんか勝手に二つ名みたいなの付けられてない?

 なんか……すごく恥ずかしいんだけど!


 私はくるんと尻尾を丸めて、アイラの腕に潜り込んだ。でも、この恥ずかしい話題を早急に変える必要もあるので、その腕の中から頭だけを出して、無理やり別の話を切り出すことにする。


「調査って、なにをするの?」

「ああ、そのことですが……」


 アルベルト隊長は険しい顔をする。


「”エストラーダの赤竜”は、あの火山に住んでいます。ですが……ここ数週間は姿すら見せておらず、具体的にどの辺りを住処にしているのかも不明な状態です」


 その指さした先には、大きな火山があった。ここから少し離れた海岸線上にできたおっきな隆起、頂上からは真っ白な噴煙がもくもくと絶えず吹き出している。活火山だね!

 裾野では青々とした植物が生い茂り、頂上に向かうにつれてその数が徐々に減っていっているのが見える。ゆえに、頂上付近では黒々とした火山岩が姿を見せていて、その環境の過酷さを物語っている。

 こんなところに赤竜が住んでいるのか……私だったら御免だね。


「赤竜は、街道を走る商隊を襲撃したり、集落へ飛来して建物を破壊したり。あるいは、交通路を落石や倒木などで使えなくしたりと、広範囲に被害をもたらしています。

 ……ですが、人的被害はそこまで出ておらず、多数の軽症者が出ている程度。死者もありません」

「討伐するには少々理由が足りないな」

「ええ、そうなんです。困ってはいますが、それほど大きな被害が出ているわけでもありませんから。  

 それに、王都で神竜セレスティアが現れてからというもの、この国のドラゴンに対する敬意は深まっています。迂闊に傷つけることもできません」


 私は隣であくびをしているセレスを見た。

 ふむ……つまり。ドラゴンが悪さをしていて困っているけど、そこまで大きな被害が出ているわけじゃないし、神聖なドラゴンを攻撃するわけにもいかなくて困っている、ということだね!

 セレスが本来の姿を見せたことが、こんなところにまで影響しているとは。さすがセレスだ。当の本人は全然気にしてなさそうだけど。


「でも、どうすればいいのかなぁ」

「赤竜に我々の意図を伝えることができればベストです。ですが、赤竜の生態――食事、性格、行動パターンなど、少しでも情報を得られるだけでも十分でしょう。その情報を基に、多少なりとも出現地点の予測や対策ができますから」


 アルベルトさんの難しい説明を聞いて私は少し尻込みしたけれど、隊長さんが私のために噛み砕いて説明してくれた。


「ルーナには、赤竜との交渉を手伝ってほしい」

「分かった!」


 私は元気よく返事した。

 ふふん、私だってみんなの役に立てるってとこ、見せてあげるんだから!


「しかし! 今日は皆さんお疲れでしょうから、ゆっくりと休んでください。宿舎へとご案内しましょう」


 パンと手を叩くアルベルトさん。

 第10隊の騎士たちに案内されながら、私達は街をゆっくりと進むのだった。

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