渡辺八畳『姉妹たちに』がもたらすもの

注 2021年の記事です


 漫画や小説において、「二次創作」はとても大きなジャンルとなっている。漫画や小説そのものだけでなく、ゲームや映画も二次創作の対象となり、自由な物語がいくつも紡がれている。それらは売られるだけでなく、無料で見られるものとして多くが公開されている。例えば現在大ヒットしているゲーム「pretty derbyウマ娘」の二次創作イラストや漫画は日々数知れぬほど描かれ、ツイッターやpixivで目にすることができる。これらのおかげでゲームはしたことがないがキャラについてはよく知っている、という人もいるのではないだろうか。

 二次創作においては、「一次作品」が入り口となって、新たなファンを獲得することもできる。「見てもらいやすさ」を考えて、あえて二次創作作品をアップしているという作者も多いだろう。創作の世界においては、戦略的にも「二次創作」は大きな意味を持つのである。

 しかし、現代詩では「二次創作」はあまり見かけない。「ある作品に影響を受けた」というものは聞くことがあっても、明確に「一次に対する二次」というものはなかなかない。そのため、コンテストなどにおいても「一次創作に限る」などという但し書きはない。それ以外のものなど想定されていないのである。

 詩と二次創作の相性は悪い。二次創作は作品の世界観やキャラを借りて、独自の物語を作るものである。だが、そもそも詩は物語を作るものではない。「二次創作で新しい物語を作ろう」と欲求した時に、詩を選ぶ理由が見当たらないのである。よって、二次創作の詩が書かれる時の理由は、「その作品に関してどうしても詩で表現したいことがある」というものになるのではないだろうか。



 やはり現代詩で二次創作は難しいのか。そんな中出会ったのが『姉妹たちに』である。イベントで目にした瞬間に、「これは」と思った。というのも、表紙のデザインでそれが何の二次創作であるかが分かったのである。キャラクターなどの絵が描かれているわけではなく、くねくねとした赤い線が描かれているだけである。しかしその色合いは「ケムリクサ」を確信させるのに十分なのものだった。

 タイトルと合わせて、それが「ケムリクサ」を題材にした詩集であることは明白だった。作者の渡辺八畳氏は新しい試みをいくつもしており、彼ならば二次創作詩集を作るのも納得だと思った。ただ、「どこまで二次創作なのだろう」とも思った。前述の通り、詩は二次創作に向かないと思ったのである。

 この詩集は横長である。これはテレビ画面を想起させるし、なにより「ケムリクサ」が横長の物語であることを思い出させる。主人公のワカバは、横長の水槽に流し込まれて現れた。そしてその水槽は、姉妹たちが暮らす横長の電車車両に積まれている。一行はその車両を操り、島から島へ、横へ横へと移動していく。橋で戦うシーンなどは、まさに「横長」だった。筆者は物語のイメージからも、本は横長の方がいいと思ったのではないか。

 また、詩作品の前には、2ページを使って数字だけを表示する空間が設けられている。これは、テレビアニメの話数を思わせる演出だ。あとがきにて作者はアニメ4話から創作を始めたと明かしているが、詩集単品で見たときには「アニメの1話から」楽しんでいくような感覚になることができる。これも、かなり計算された演出だと感じた。

 作者は本作を「いわゆる二次創作としての側面も持っています」(後書き)と述べている。やはり、詩では「完全な二次創作にはならない」ということだと思う。しかし私はこの詩集の「つくり」だけで、アニメを思い出してワクワクすることができた。そしてそれは、アニメの世界観、物語があって初めて成立する感情である。



無機と有機はかつて恋人だった

どろりと溶け合い通じ合っていた

いつからか二つは別れた その二つもいくつかに別れた

そして限りない数の不幸と 限りない数の幸福が生まれた

(『姉妹たちに』「2」より)



 物語において、主人公たちが植物に縁があるのに対して、敵対する者たちは主に無機物である。無機物だが、有機物的な動きをするところが物語の肝でもあろう。この二つを「かつて恋人だった」と表現するのは、とても詩的であり、「二次創作の詩」であることがよく表れている点だと感じた。また、作者はこの作品を書いている時点では後の展開を知らない。それに対して、読者の私はどうなるかを知っている。知っている方からするとまた、この箇所の表現は味わい深いのである。

 詩の表現としてもよく、元の作品を知っているとより楽しめる。二次創作の詩としては、最も良い形になっているのではないだろうか。



 『姉妹たちに』を読み進めていくと、アニメのこと、アニメで感じたことを思い出す。それは物語というよりは、「世界について」の割合が大きい。詩は物語を創り出すのには向かないが、対象の世界を表現するのには向いている、と気づかされる。『ケムリクサ』の世界を作者なりに表現することにより、再構築された世界を感じ取ることができる。「ああ、あの世界は確かにこういうものだった」と何度も感情が揺さぶられる。

 つまり詩そのものにそういう機能があるのだろう、とも気づかされる。世界の一面に着目し、それを言葉によって立ち上がらせる。読者は世界について新たな視点を得るのである。

 本書には、縦線を用いた表現が数か所存在する。「横」については前述したが、物語も後半になると「縦」が重要になっていた。また、エンディングでも「縦線」の表現はあった。アニメを見ていたときは単に時間経過を表す線だと思っていたが、ひょっとしたらあれは後半に明らかにされる「世界の縦方向の秘密とも関わっていたのか?」と気づかされた。 

 この本は読んでいてとても楽しい。「ケムリクサ」が好きで詩が好きだと、『姉妹たちに』はかなり楽しめる一冊である。そして、詩には興味ないが「ケムリクサ」が好きな人が読むとどう感じるのだろう、と思う。私は楽しめると思うのだが、なかなか届きにくい状況だろう。やはりまだ詩の二次創作は珍しいもので、一次作品のファンを引き寄せるまでにはなっていない。また、「詩によって世界の再構築を感じたい」というのはあまり一般的な欲求ではないだろう。

 この壁を突き抜けるには、詩の二次創作がもっと一般的になっていく、ということが必要だろう。好きな作品の二次創作を探すのは、それが「あると知っている」からである。最初はツイッターでたまたま回ってきて知る、といったことが多い。少なくとも詩人の間で「二次創作が回る」ぐらいにならないと、二次創作の詩が「探されるもの」にはならないだろう。

 最近でも『詩と思想』で映画詩の特集がされており、詩による二次創作が全くなされていないわけではない。ただ、あらすじを追うだけのものだったり、ほぼ感想だったりと、一次作品から「羽ばたき切れていない」と感じる作品も多かった。そんな中でデザインからレイアウトまでこだわって作られた『姉妹たちに』は、詩による二次創作の指針となるべき一冊だったと感じるのである。

 私もいつか、二次創作の詩集を作ってみようか、と思っている。『姉妹たちに』はそのような、着火点になり得る一冊であると私は考えている。興味のある方は、ぜひ手に取ってみてほしい。




参照 

渡辺八畳『姉妹たちに』(2019)  (注)本作にはページが振られていないため、引用は作品名などで示している。

土曜美術出版社 『詩と思想 2021年5月号』(2021)

ヤオヨロズ制作・たつき原作監督「ケムリクサ」(2019)



初出 『みなみのかぜ 第11号』(2021)

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