妖精が見えない日に考えること(創作エッセイ)

清水らくは

ドラえもん! のび太と天空の花嫁――未来人の介入と歴史改変について――

 私は子供の頃、テレビゲームの所持を禁止されていた。そのため、友人の家以外ではテレビゲームをプレイする機会がなかった。皆が熱中したドラクエも、3までは友人の家で見ていたものの、4以降はほとんど中身を知らないまま大人になったのである。

 そして、大人になってドラクエ5を初めてプレイした。ゲームを進めるにつれて、不思議な既視感を覚えた。それが何なのかわかるまで時間がかかったが、ある時はっきりと正体が分かった。「『ドラえもん』だ」

 「ドラ」が共通する……というだけの話ではない。考察すると様々な共通点があることが分かった。そして、二つの物語の相似点から、長年『ドラえもん』に対して抱いていた疑問を解決するヒントも見えてきたのである。

 本稿では二つの物語の疑問点と類似点を明らかにして、その裏に隠されている共通のテーマの可能性について考察していく。ネタバレを含むので注意されたし。あと、あくまでも「そうだったらおもしろいな」というネタ要素を多分に含むことを先に宣言しておきたい。



一 のび太ママの謎

 子供のころから、『ドラえもん』は漫画でもアニメでも楽しんできた。しかし、どうしても何点かわからない点があり、もやもやとしていた。そのうちで最大の謎が、のび太のママである。のび太はママに似ている。親子だから当然だが、実はここに大きな問題点がある。作中にはのび太の先祖や子孫が登場するが、皆のび太に似た男子である。性格などはともかくとして、野比家の男子は非常に強い見た目の遺伝子に縛られているようである。しかしのび太の両親に限っては、パパではなくママが野比家のルックスを有しているのだ。(とはいえ子供の頃のパパはのび太に似ている)

 実は、のび太の仲間にも同様の謎がある。ジャイアンやスネ夫も母親似なのだ。しかし過去においても未来においても、剛田家骨川家ともに、似ている男子が登場する。なぜ、現在だけ「母親似だらけ」という状況になっているのだろうか。

 そして、似たことをドラクエⅤの主人公にも感じたのである。主人公はグランバニア王の父パパスと天空人の母マーサの血を引く、なかなかのエリートである。しかし本人は勇者ではない。また、ドラクエの主人公は設定上喋らないという点があるものの、それを抜きにしても快活な性格には描かれていない。ビアンカの様子などからしても、どちらかというとおとなしく、引っ張っていってもらう、ただし任せてみるとすごく頑張る、というタイプに見える。そしてモンスターを仲間にできる点、さわやかなルックスなど、母親似ではないかと思われる点が多い。

 ここまでならそういう設定か、で終わったのだが、子供たちが誕生して状況は変わる。男の子と女の子が生まれるのだが、勇者は男の子である。しかし、性格やモンスターの仲良くなれる能力は女の子の方に引き継がれているようなのだ。

 のび太の息子ノビスケも、見た目はのび太似だが、元気でスポーツができ、中身はのび太似とも言えない。すごい共通点とまでは言えないが、どうもこの「似ている似ていない」の話は、どちらも引っかかるのである。



 たんに引っかかるというだけではなく、『ドラえもん』においては両親の結婚に関して気になる話がいくつかある。一つは「プロポーズ作戦」(てんとう虫コミックス版第1巻)である。タイムマシンで過去を訪れたのび太とドラえもんが、すれ違いでうまくいかなさそうな結婚前の両親を何とかするという話である。二人が上手くいかなければ生まれないはずののび太が何とかするということで、タイムパラドックスを使った面白い話になっている。

 だが、冷静になるとあることに気が付く。ドラえもんは未来からやってきて、結果のび太の結婚相手がジャイ子から静香ちゃんに変わった。だがそれだけでなく、のび太の両親の結婚にもかかわっていたのである。ドラえもんがいなければ両親は結婚できず、のび太は生まれなかったかもしれない。

 そうなるとドラえもん自体が過去にやってくる理由もないのだが……そもそも、である。ドラえもんの目的が、最初からのび太の両親を結婚させることが本命だとしたら? と私は考えた。最初は単なる思い付きだったが、ある話を読んで少し考えが変わる。それは、「白ゆりのような女の子」(第3巻)である。パパが子供の頃出会った「白ゆりのような女の子」を探しに行ったドラえもんとのび太だったが、いろいろあってのび太の髪が長くなり、実はその女の子とはのび太だったのである。

 戦時中、苦しみの中で出会った少女。その思い出が美化されるのも不思議ではない。そして大人になり、もしその少女に似た女性が目の前に現れたら? 潜在意識の中ののび太が、玉子へと気持ちを向かわせたのではないか。これだけなら「自分の息子に似た母親に恋をする」というこれまたタイムパラドックスの話なのだが、さらなる可能性が考えられるのだ。意図的にドラえもんがそのように仕組んでいたとしたら? 前述の話と合わせて、過去におけるドラえもんの手際はとてもいい。秘密道具を的確に使い、過去の問題を解決し、望ましい未来を創り出している。「白ゆりのような女の子」においては、チョコレートまで「偶然」持っていた。偶然?

 実は、過去の話にはさらに不可解なものがある。「おばあちゃんのおもいで」(第4巻)である。のび太のおばあちゃんは、未来からやってきた小学五年生ののび太を本人だとしてきちんと受け入れてくれる。非常に感動的なシーンだ。だが、あまりにもすんなり受け入れすぎでは、という気もする。そこから子供のころ私は、ある可能性を考えていた。「おばあちゃんは、他の未来人に会ったことがあるのではないか」と。なんにしろ、野比家の嫁には何か語られていない謎がある、と感じていたのである。

 当然、ドラクエⅤにおいても「花嫁」は重要な役割である。マーサも主人公の嫁も天空の血を引いており、そこから魔王に対抗しうる勇者が誕生するのだ。物語上、パパスも主人公も、「偶然」天空の血を引く女性たちと出会っている。主人公においては結婚を考える相手が二人とも天空の血を引いている。そんな「偶然」があるだろうか? この点は多くのプレイヤーが疑問に感じた点だと思う。


二 キラーパンサーの謎

 何となく二つの作品に似たものを感じていた私は、ある時新たな可能性に思い至る。「『ドラクエⅤ』にも、ドラえもんがいるのではないか?」と。

 私たちは主人公視点でプレイするため、そのことに気が付けていないだけで、主人公を花嫁たちへと導く「時空を超えた介入」があるとしたら。そしてそれにより、勇者が生まれるように導かれているとしたら。

 しかし「ドラクエⅤ」に、そんな力を持ったキャラクターがいただろうか? 主人公はずっとパパスと二人で旅をしていたし、そのパパスとも別れて奴隷生活をすることになる。まさかヘンリーが? 確かに彼のせいもあり奴隷生活をすることになったが、花嫁の話は関係なさそうだ。じゃあいったい誰があのネコ型ロボットの役目を……猫型? ネコ科? パンサー……

 いた! 町の中で偶然いじめられたネコ科のモンスター、キラーパンサー(ベビーパンサー)が! 「偶然」それを助けるため主人公とビアンカはレヌール城のお化け退治に赴き、幼少時の大切な思い出を作っている。そこでは「偶然」落ちてきたゴールドオーブを拾うというおまけつきである。

 ビアンカと別れた後、妖精の国においてキラーパンサーは重要な戦力となる。また、再会時には主人公のことを忘れていたものの、ビアンカのリボンによって昔のことを思い出す。これは、プレイヤーがビアンカのことを懐かしむきっかけを作っているとも考えられる。

 花嫁の選択において、キラーパンサーとの思い出が「ビアンカを選ばせる」作用が少しはあるのではないか。そもそもキラーパンサーがいなければ、ビアンカとの冒険はなかった。そう考えると、ビアンカと結婚する場合、それはキラーパンサーが導いているとは言えないか。

 キラーパンサーはしゃべることもできず、野生化して主人公のことを忘れてしまうなど、策がある存在には見えない。しかしドラえもんも未来から派遣されていながら、事情を知らない人々にはへんてこなロボットに見えている。それでも結果的には、のび太の過去を守り、未来を改変するという役割はきっちりとこなしている。

 キラーパンサーもドラえもんも、「実力を隠している」だけではないか? 主人公たちをある方向へと導くための役割を、気づかれないように果たしているのではないか?



 「ドラクエⅤ」では、さらに介入者の可能性のある存在がいる。ベラである。彼女は妖精の国を救うため協力者を探しており、「偶然」主人公と出会った。このことは、未来の大人になった主人公をも助けることになる。天空城を動かすためにはゴールドオーブが必要だが、それは過去の主人公が持っているときに壊されてしまったのである。そこで妖精の力を借りて、主人公は過去の主人公からゴールドオーブを手に入れる。……過去の? 時間を越えて?

 そう、ドラクエⅤにも、タイムトラベルは存在するのだ! 妖精がその力を有しているのだが、その妖精と主人公は子供の時に出会っている。もしこれが偶然ではなかったら? ベラか、もしくはベラに頼んだ誰かが、未来から主人公の過去を操作しようとしていたのではないか?

 主人公視点になっていることによりいろいろと隠されているが、実は「ドラクエⅤ」の物語には隠された介入者が複数存在し、語られていない大きな物語があるのではないか?

 謎は深まるばかりである。



三 ジャイ子の謎

 『ドラえもん』に関しては、ママやおばあちゃんのほかにも昔から気になる存在がいた。ジャイ子である。のび太の本来の結婚相手であり、最初のうちはジャイアンと同様乱暴でいじわるな女の子に描かれている。読者にしてもかわいい静香ちゃんと結婚することになるのは、「歴史の好転」に感じるだろう。

 しかし、ジャイ子にとってはどうだろうか? どこかでのび太に惹かれ、彼と結婚することになり、幸せを感じた時間もあっただろう。借金ができ、生活は苦しくなったとのことである。のび太の心の中には、常に静香ちゃんの影があったのかもしれない。しかしそれでも、ジャイ子にとっての幸せを考えたとき、「未来からの介入」は少し寂しい気がするのである。

 また、彼女は作中でだんだんと性格も穏やかになっていく。さらには、漫画家を目指しているという面もわかってくる。……漫画家を目指す? そういえば、画家を目指していた人物がいたような。そう、のび太のパパだ。ひょっとしたら、のび太のパパとジャイ子は気が合ったのではないか。そして、芸術家を目指す人間にとってママ-のび太は好意を抱きやすいタイプかもしれない。

 実はジャイ子との結婚にも、子供のころからの疑問があった。過去においも未来においても、野比家の人物の周りには剛田家や骨川家の仲間が見られる。当然その家族間の交流から、婚姻関係が生まれたとしても不思議ではない。もちろんそういうこともあったかもしれないが、現代においてそのような痕跡は見られない。現代においてのび太とジャイ子が結婚するということは、野比家と剛田家が親せきになるということである。これは歴史的事件だったのではないか?

 未来が変わることにより、のび太は静香ちゃんと結婚することになる。そのことにより未来でものび太の子孫は、ジャイアンの子孫やスネ夫の子孫と現代と似た関係性を持つことになる。しかしジャイ子と結婚した未来においては、そうはいかない。のび太の子供とジャイアンの子供はいとこ同士である。ずっと続いてきた「家同士の関係」が、この代において変化した可能性があるのだ。

 もしそのことによりもし何らかの不都合が生じた、としたら。のび太の借金ではなく、「血の交わり」が未来において何らかの不都合を生じさせ、それが静香ちゃんのとの結婚という歴史の改変につながるのだとしたら……。



 ここに来てようやく、普通ならば先に思いつくべき二つの物語の類似点に私は気が付くのである。「ドラクエⅤ」も『ドラえもん』も、花嫁候補が二人いるのである。「ドラクエ5」においては花嫁の選択が、のちの物語に与える影響は少ない。そのために見逃してしまいがちだが、ビアンカとフローラ、どちらかを選んだ物語からすれば、もう片方を選んだ物語は「改変された未来」と言えるのである。

 しかし、ビアンカとフローラは、どちらを選んでも「ドラえもん的介入」の必要性を感じない。どちらでも勇者は生まれ、魔王を倒すことができる。

 しかしではなぜ、花嫁を選べるのだろうか。「ゲーム創作者の気まぐれ」が答えだと元も子もないのだが、しかしもっと深い理由がある気がする(しそちらの方が面白い)。



四 ブオーンの謎


 もし、「ドラクエⅤ」で、ドラえもん的介入があり、それが花嫁の変更につながっていたとしたら。本来の花嫁はビアンカとフローラ、どちらだろうか? 幼馴染という点からすれば、ビアンカに思えるかもしれない。しかし、そうとも言い切れない点があるのである。

 「ドラクエⅤ」では、魔王以外にもう一人、強力な敵が存在する。ブオーンである。「偶然」現代によみがえり、「偶然」主人公は因縁のあるルドマンと知り合い、場合によっては義理の親子となっている。しかも「偶然」ルドマンの娘は天空の血を引いている。先祖がブオーンを封印したものの、ルドマン自身に特別な血が流れているのかは不明である。というのも、フローラは養子なのである。

 ここまで偶然が重なるものだろうか? 物語だから、と言えばそれまでだが、物語だからこそ、そこには必然が想定されているのではないか?

 魔界にいるミルドラースや、その地下で眠っているエスタークに対して、ブオーンは地上で復活する。もし復活直後倒すことができなかったら、暴れまわって地上に大きな被害をもたらすのではないか。主人公がルドマンと出会わなかった場合、もしくは彼を助けようとしなかった場合、人間界の未来はめちゃくちゃになってしまったかもしれない。

 あるいはすでに、めちゃくちゃになっていたとしたら? ブオーンにより大きな被害を受けた未来から、ブオーンを暴れさせないよう過去を改変しようと考えたなら? ブオーンがまず狙うのはルドマンであり、そこにブオーンに対抗するための戦力がなくてはならない。しかしその時代には勇者がおらず、モンスターを仲間にできる者もいない。いないなら、「作ればいい」となったのではないか。

 パパスとマーサの結婚まで介入したのか、それは偶然で利用したのかはわからない。とにかく天空の血をひくものを引き合わせ、ルドマンとかかわる形で勇者を誕生させる。それが、主人公とフローラの結婚の物語だったのではないか。ルドマンとフローラを出会わせ、親子になるようにする。そしてフローラと主人公を出会わせ、結婚させる。そこから勇者が生まれ、ブオーンを退治する。

 「ドラクエⅤ」では、ミルドラースの影が薄い。戦闘でも、ブオーン戦の方が苦労したという人も多いのではないか。本命はブオーンだったとしたら、フローラの物語はとても色が濃いものとなる。

 では、なぜビアンカが必要だったのだろうか。ただ単に、偶然もう一人の天空の血を引く花嫁候補がいたのだろうか。しかしキラーパンサーでの考察のように、どちらかというと「ビアンカを選ばせる」要素が物語には多く登場する。

 フローラと結婚することにより、ブオーン退治は成功した。しかし何らかの不都合が生じ、別の可能性も試さなくてはならなくなったとしたら。そう、のび太がジャイ子ではなく静香ちゃんと結婚するように、ドラえもん的介入が必要になったのだとしたら。



 フローラとビアンカ、どちらを選んでも物語は同じように進行していく。しかし主人公の能力を受け継いでいるっぽい娘はともかくとして、息子まで「全く同じ」になるものだろうか? 『ドラえもん』でも、第1話「未来の国からはるばると」(第1巻)において、有名な「歴史が変わってもセワシは生まれる」話が語られるが、あくまで「孫の孫」の話である。東京から大阪にどの乗り物で行っても着く、という例を出しているが、その場合乗り物によって途中の道のりは異なる。のび太の子供は三河安城駅だったり掛川インターチェンジだったりと、「違う」可能性が大きいのである。

 ゲームはエスタークを倒すまで、どちらと結婚してもほぼ同じように進んでいく。しかし、そのあとはわからない。私たちが見ることのない「ゲーム後」の世界においては、勇者は全く別の人生を歩むことになるかもしれない。フローラとの息子がゲーム後の世界においてうまくゆかず、未来人が「別の可能性」を探り、ビアンカと結婚するよう介入し始めた……それが「ドラクエⅤ」の世界なのではないか?

 突拍子もない話に思われるかもしれないが、実はゲームの作り手自身がこの介入の例をはっきりと見せているのである。そう、DS版から登場したデボラである。ゲームの世界に「新しい花嫁候補は作れる」ということを、作り手自身が示した。デボラはまだ、誰もが選びたくなるようなキャラクターにはなっていない。しかし気が強く自信家、いわば勇者向きの性格でありながらルドマンの娘という「ブオーンにもその後にも」都合のいい存在なのである。

 このように花嫁候補はどんどん変更され、どの未来が一番うまくいくか試行錯誤されているのではないだろうか? そして『ドラえもん』も同様に、ジャイ子=フローラとの結婚では物語で語られていない部分で何らかの問題が生じ、ビアンカ=静香ちゃんとの結婚が試行されているのではないか?



五 のび太の謎


 実は「ドラクエⅤ」をプレイする以前から、のび太に「勇者の血」的なものを感じていた。ドジでのろま、勉強ができない少年として描かれるのび太だが、実は様々な才能を備えているのである。

 まずは、のび太といえば射撃だろう。戦闘において重要な能力であるのは言うまでもない。次に、あやとりである。ただうまいだけでなく、オリジナルの技を開発したりもする。私たちはあやとりを遊びととらえいるが、コミュニケーションのツールでもある。文字のない文化においては、紐は情報伝達のための道具となることがある。のび太は古から続く、紐文化の能力を受け継いでいるのかもしれない。

 また、のび太には「いつでも寝れる」というスゴ技がある。冒険において、睡眠の重要性は言うまでもないだろう。どんな時も疲れを癒す能力があるというのは、大変なアドバンテージである。また、このような特殊な睡眠能力は選ばれしものの特権かもしれない。例えば『冒険王ビィト』の主人公ビィトは、3日間起き続け、そのあと丸一日眠るという特異体質である。この特殊な睡眠の在り方により、常人にはない力を発揮できるのだと考えられる。のび太もそのような、英雄にとって有利となる「特殊な睡眠」の能力を得ているのではないか。

 また、彼には人並外れたサバイバル能力もあるようだ。「無人島へ家出」(第14巻)において、のび太は10年間、たった一人で、無人島で生き伸びてみせる。「ドラクエⅤ」の主人公も奴隷時代を過ごしたが、ヘンリーも共にいたことを考えると孤独のつらさに関してはのび太の方が経験済みと言えるかもしれない。

 さらに、のび太はどんな存在にも優しさを注げる少年である。恐竜や宇宙人とも心を交わし、彼らの問題を解決しようとする。なにより、未来から来た不思議なロボットをすぐに受け入れている。この点も、モンスターを仲間にできる「ドラクエⅤ」の主人公と似ている。

 このようにのび太には、冒険者や勇者になるための才能がいくつも備わっている。ただし苦手なことも多いため、彼自身はまだ勇者とは言えないかもしれない。映画などでは特に、ドラえもんや友人たちと共に、困難に立ち向かっていく。

 パパには、のび太のような特殊能力は見受けられない。(ただし、極度の雨男である。天候にさえ働きかけるのが能力だとすれば、最も力が強い可能性もある)つまり「勇者の血が薄い」状態だったのではないか。未来人にとってそれは都合が悪く、次世代では野比家の特殊能力を濃くする必要があった。そのため野比家の血を受け継いだ花嫁を迎えるように介入した。それがママ、玉子だったのではないか。このように解釈すれば、のび太とママが似ていることの説明もつく。

 のび太の子供か、さらにその子孫なのかはわからないが、とても大きな敵と戦う時が来るのではないだろうか。その時、迎え撃つための勇者がいなければならない。そのために野比家の血はコントロールされねばならず、未来からドラえもんが送り込まれたのではないか。



 のび太の息子ノビスケは、のび太と違いスポーツができる。彼が望まれた勇者かどうかはわからない。しかし、ドラえもんにより導かれ生まれた野比家の人間であることは確かである。この世代はおそらく、かなり特別な存在であるはずだ。常に野比家の周囲にいた、仲間たちの家と婚姻関係を結び、血を混ぜたのである。

 映画版の物語で特に目立つが、ジャイアン、スネ夫、静香ちゃん、そしてのび太は非常にバランスのいいチームである。おそらく各世代の四人が、それぞれ役割を分担して協力してきたのではないか。それだけにジャイ子もしくは静香ちゃんと結婚し、二つの家の血が混ざるというのは緊急事態を思わせるのだ。役割を超越した、多くのものを背負った人間が求められるのだから。

 ドラえもんの世界には海底国家があったり、地球侵攻をもくろむ宇宙ロボットがいたりと、すでに結構物騒な状況である。後にさらに巨大な敵が現れたとしても不思議ではない。地球を、もしくは宇宙を救う存在として、野比家の血が覚醒することが求められているかもしれないのである。



六 デボラの謎


 ここまで見てきたように、『ドラえもん』と「ドラクエⅤ」には、未来からの介入によって勇者の血がコントロールされる、という共通点があるように見受けられる。そして二つの物語が似通っていることにより、更なる一つの可能性が考えられることになるのである。それは、「ドラえもん」におけるデボラである。

 リメイク版によって、天空の花嫁候補は二人から三人になった。なぜなのかはっきりとしたことはわからないが、私の予想からすれば「さらなる未来の改変のため」である。ブオーンやミルドラースを倒すことに関してはフローラやビアンカとの結婚でも問題はなかったが、その先の未来における困難に立ち向かうには、様々な世界線による観測がなされているのかもしれない。そしてビアンカとの子供でも成せなかったことに関して、新たにデボラというある種劇薬的な血を入れることにより解決を試す、それがリメイクされた世界の目的だったのではないだろうか。

 このことは、『ドラえもん』世界においても決して「ジャイ子か静香ちゃんか」で終わらない可能性を示唆してはいないか。目的のためならば未来人は容赦なく介入するとしたら、静香ちゃんとの結婚では果たせない問題が生じた場合、次の一手を打ってくるのではないかと考えられるのである。「ドラクエⅤ」においては、フローラの姉としてデボラが登場した。そこから考えるとのび太の第三の花嫁候補はジャイア……謎である。



 タイムトラベルの可能な世界では、時空を超えた介入が可能となる。そのため、未来の世代の都合のいいように過去が改変される恐れがある。さらに、改変できることが分かると、ベターな結果では満足できずベストな結果のため、更なる改変に踏み切ることもあるだろう。決してそれが成功するとは言えないが、「やり直せばいい」となれば、試行へのハードルは低くなるはずだ。

 『ドラえもん』「ドラクエⅤ」ともに、不幸な結末は描かれない。しかしジャイ子や選ばれなかった花嫁のことを考えると、完全なハッピーエンドとも言えない気分になるのである。現代人はあたかも、未来人が幸せになるための道具であるかのようだ。

 そして、現代人もまた、過去世代にとっては未来人である。私たちにはタイムラベルはできないが、『ドラえもん』の世界にはタイムマシンがある。『映画 ドラえもん のび太と鉄人兵団』では、敵のロボットの侵略から地球を守るため、ロボットの過去を改変した。現代人から見ればそれは地球を守るための手段だったが、多くのロボットの存在が消えてしまった。「過去の歴史を変える」というのは、たとえ被害者がいたとしても、ある状態においては「必然の選択肢」に思えるかもしれないのである。

 『ドラえもん のび太と竜の騎士』においては、ドラえもんたちは過去の改変を食い止めるようとするが、結局彼らの介入により恐竜が守られ、地底人が生き残るという事態につながる。作中「神のお使い」と呼ばれるように、神のごとき「未来からの介入」をやってのけたのである。基本的にはタイムマシンの開発された未来では過去改変はしてはいけないこととされているが、作中ではいくつもの改変が起こっている。ただしパパとママの結婚など、ドラえもんの介入こそが歴史の本道につながる、という展開も多い。改変の善悪や改変されたのか否かということは、実際のところよくわからないままなのである。

 過去とは何か、未来とは何か。果たして世界の行方は決まっているのか否か。二つの作品からは、様々なことを考えさせられるである。



 ……あれ、何の話でしたっけ? もっと重厚で理路整然としたものを書いていたはずが、何者かの介入で改変されてしまったようです。「ドラクエⅤ」も『ドラえもん』も、面白いですよね。それでは、また。



参照資料

『ドラえもん』(1969-96)藤子・F・不二雄 小学館(本稿ではてんとう虫コミックス版を参照)

『ドラえもん のび太と鉄人兵団』(1985-86)藤子不二雄 小学館

 映画「ドラえもん のび太と鉄人兵団(1986)芝山努監督 東宝

 映画「ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜」(2011)寺本幸代監督 東宝

『ドラえもん のび太と竜の騎士』(1986-87)藤子不二雄 小学館

 映画「ドラえもん のび太と竜の騎士」(1987)芝山努監督 東宝

「ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁」(1992)エニックス

 PS2版(2004)・ニンテンドーDS版(2008年)スクウェア・エニックス

『冒険王ビィト』(2002-)三条陸原作・稲田浩司作画 集英社


初出 note(2020)https://note.com/rakuha/n/ncf45c7827d2a

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