#13 器の大きさを知れ


 あれから一日、真那には未だなんの変化も無い。


 まさか、あの悪魔の所業が効かなかった?

 いや、もしかしたら態度に出していないだけかも知れない。

 心の中では相当傷付いているのかも知れない。


 本人が周りに感づかれまいと隠しているのなら、それは誰にも分かるはずが無い。



 そう、それは本人にしか。



 つまり、これを確認する為には、本人の真那に私自身がそれとなく誘導尋問するしかないのだ。


「……くっ」


 私は授業が終わり、休み時間になったのを確認すると、他の人たちがそれとなく休憩を始めたタイミングで席を立った。


 ふと自分の手汗がすごいことに気付いた。

 もはや手を洗った直後のようだ。濡れていない所を探す方が難しいくらい。


 これは私がアイドルとして、一万人の前でコンサートをやった時よりも手汗の量がひどい。なんなら今の緊張だってその時の比にならない。


 アイドルの時は状況にノッていた分、緊張も感じなかったのかも知れない。

 今はその要素が一つもない。どちらかというと恐怖に似た何かを感じている。


 心臓が激しく鼓動して、「血液足んねーよ!」と悲鳴を上げている。


 この一時間、授業の内容なんて頭に一つも入っていない。先生に一度も当てられなかったのが幸いだったくらいだ。


 もしも当てられていたら、「くぁ!? え、あ、はい! なんでしょう……」って感じになっていたに違いない。


 ……うん、我ながらにひどいな。


 トップアイドルの私がそんな醜態をさらす訳にはいかない。


 私はそろりそろり、と目標の真那へとゆっくり近付いて行く。

 もちろん正面からじゃない。

 横歩きで、真那とは全くの別方向を見ながらだ。


 「え、全然あなたのこと気にして無いですよ」といった感じのオーラを、自分が醸し出している雰囲気になって近付いて行く。


 実際にはそんなオーラは出ていない。


 ……やばい、頭がくらくらしてきた。

 なにを言えば良いんだっけ?

 サイン下さいって言えば良いんだっけ?


 昨日徹夜してまで暗記したフレーズを土壇場で、すっかり忘れてしまう私。

 手汗どころか冷や汗すら出る始末。


 窓側の席で、友達らしき人と楽しそうに会話している真那。


 私は錯乱状態のせいか、言うことが見つからないくせに、真那へと近付く歩みを止めなかった。


「あ、真那、なにか用っぽいよ」


「え?」


 友達がいち早く真那に近付く私に気付き、真那に教えてくれる。


 その言葉を聞いて、真那本人が私の方へ振り向き、二人の視線が交わった。


 うわっ、近くで見ると美人具合が上がった。ていうか毛穴が見えない。一体どうなっているんだ……。


 私がカニみたいなポーズで固まっていると、真那はそんな私の行動を不思議に思ったのか、こてんっと首を傾げた。


 その姿のなんて愛らしいことか。

 そして、その際に発生した小さな風が私の鼻腔に可憐な匂いを運んで来た。


「ぐはっ!!」


「ううぇ!? どうしたの!?」


 私が急に口を押さえて激しくむせ返る様子を、真那の友達が驚いて駆け寄ってくる。


 優しく背中を撫でてくれる行動が、心に沁みつつ、私は涙目で真那に誘導尋問作戦を開始した。


「ま、真那さん」


「はい?」


 ただ真那は姿勢を正して向き直っただけなのに、なぜにこれほど絵になるのか。


「えっと……」


「はい」


 私は冷や汗こそかいているが、表情だけはひどく穏やかに努めた。

 真那も私の次の言葉を待っている。


 やばい、やばい! なにを言えば良いんだっけ!? ほら、待ってるよ! 急がないと! 怪しまれちゃうって!


「あ、あれ、何かが上履きの中に入ってたことがあったでしょう!?」


「え……あ、そうね」


 やっべ。

 ど直球で言っちゃった。

 これじゃ私が犯人です、と言っているようなものじゃん。


 ……もういい、この際、どんな気持ちだったかだけは聞き出してやる。



「あの時、真那さんはどんなことを思いましたか……?」



 私は俯いて、真那の言葉を待った。

 事と次第によっては、張り倒される覚悟すらしている。



「そうね……」



 真那さんは腕を組み、片方の手を顎に当てて考えるポーズを取って、言った。


 その完成された姿勢見ただけで、なぜか私の体温が上がった気がした。


 そして真那の友達は、空気を読み、私の後ろで会話の間に入らないように聞いている。


 私の生唾を飲む音が妙に耳に響く。

 辺りの人たちの声が一切耳に入らなくなる。



「別に何とも思わなかったわ」


「へっ?」



 私はその言葉に、一気に脱力すると共に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。



 真那が何とも思わなかった……?



 逆に真那は、私にふっと微笑んだ。



「私だってこう見えても、忘れることなんて幾らでもあるのよ」


「そ、そうなんですか……」


「ええ、だから上履きに消しカスが入っていた時、自分で入れてしまったかと思ったのよ」


 そんなことある訳無い。

 自分で入れもしないものが、いつの間にか入っていたら、誰だって嫌な気持ちになるだろう。


 私はそう思うが、真那は楽しそうに口に手を当て「ふふっ」と笑う。

 何がそんなに楽しいのか、私には皆目かいもく分からない。


「朝登校して、自分の上履きに消しカスが入っているなんて滅多に無いじゃない? だから一目見た時、とても可笑しくなっちゃって、朝から楽しい時間を過ごせたわ」


 そう言いのける真那の顔に、偽りの表情は見られない。

 この女神は、本気でそう思っているのだ。



「そう……だったんですか……」


「ええ……話は終わりかしら?」


「あ、はい」



 私が力無く答えると、女神は「少し行く所があるから」と会釈をして教室を出て行った。その後ろに友達もとことこ、と着いて行った。



 私の非道な行いに対し、憤りも、それでいて悲哀の気持ちも抱かない。


 私の言い方では、私が犯人なのだと女神は確実に気付いたはずなのに、それすら追求しなかった。



「心の、器の大きさがまるで違う……」



 私は唖然としたまま、ポスンッと女神の席へと無気力に腰を落とすと、机にうつ伏せに倒れ、「すうぅぅぅーッ」と鼻から思い切り息を吸い込んだ。




「はにゃあ……」




 それはどんな高級な芳香剤よりも、脳に直接響くような、そんなすごく良い匂いがした。


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