もみじと景時
@jennifer0318
第1話 月夜の戯言 《長月の美月・・・の巻》
今日のような美しい冴え冴えとした月を見ておりますと、思い出される出来事がございます。
今宵は、その摩訶不思議な一夜のお話をいたしましょう。
わたくしは、さる楽家に生をうけました景時(かげとき)と申します。
楽家とは、簡単に言えば雅楽を代々にわたって継承していく家のことで、わたくしは神事や宮中の行事、節会の際に奏することもございます。
わたくしは、“もみじ”という龍笛を大切にしており、初めて手にしたときからえもいわれぬ心地よさと手に馴染む感触に魅かれ、また音色は清らかで情緒深く、淋しくもありふくよかでもあり、わたくしの心にすっぽりと重なるという不思議な縁を感じたのでございます。
譲り受けた時から笛先に向かってほんのり色付く漆の色が、紅葉したもみじに似ていたことからそう名付けました。
その“もみじ”を手にした日には、不思議なことが起こるのでございます。
どうやら、“もみじ”はそのようなものを引き寄せてしまうようで・・・。
今日のように冴え冴えとした美しい、望月の晩の出来事でございました。
初秋の夜は風もすがすがしく乾いて空気が清く澄んでおり、月に手が届きそうな気さえしてまいります。
もみじも自分の季節が来たとばかりに華やいだ旋律を流暢に奏でておりました。
奏者と楽器の心がぴたりと重なることは、そう滅多におこることではございません。
月光に神秘の力が宿ったかのように降り注ぎ、このまま月に昇っていってしまうかと思うほどでした。
「あの・・・申し・・・。」
はっと我に返るものの、もみじは中々わたくしを放してはくれませんでした。
意識だけをその声の方に向けてみましたが振り返るほどの勇気はございません。
(人の声だったか・・・?)
家の者ですら、もみじの音色が聞こえてくると邪魔はしないというのに・・・。
「申し・・・申し・・・。」
先ほどよりは少しはっきりと聞こえ、やはり間違いないと確信したと同時に勇気を出して振り向きました。
円座の上に座ったまま、首だけ振り返って見て思わずおののいたのでございます。
「・・・へぇっ・・・?」
人間と言うものは、ほんとうに驚くと素っ頓狂な声が出るもので、その自分らしからぬ声にも驚きましたが、そこに居たのは美しい姫でございました。
人の気配など感じなかったし、(いや気づかなかったかもしれないが・・・)
第一、その方を存じ上げないので余計に驚いたのでございます。
お互いが驚きつつも、どう次の言葉を発していいかわからないので途方に暮れましたが、しばらくの沈黙の後、わたくしは尋ねることにいたします。
「あの・・・どちらから・・・?」
「はい・・・月から参りました。」
「はぁ・・・月・・・。」
見上げると先ほどと同じ月が、真上に来ております。
月から来たと言う姫を無礼ながらにちらりと見ましたところ、美しくひんやりとした肌の白さのせいだけでなく、全体が銀色の粒子をまとったように輝いておいででした。
「かぐや様じゃ。」
はたまた背後から声がするので、みっともなくも、またおののいてしまい、そこには緋色の袴をはいた娘が座っておりました。
「・・・へぇ・・・?」
またもや、自分の声でない声を発してしまい後悔のしっぱなしでございます。
「で・・・そなたは?」
「もみじ・・・。」
「もみじって、この笛・・・」
近くに転がっている龍笛を拾い上げると、もみじはうなずきました。
混乱するわたくしを尻目に、もみじはかぐやという姫にお辞儀をしております。
「困りました・・・。」
「ええ、そのようですわ。」
一番困っているのは、実のところこのわたくしであるのですが・・・。
「景時様、他に何か奏していただけませんか?」
「はぁ・・・では神楽笛などいかがですか?」
「あな・・・うれし。」(まあ、うれしい!)
かぐやの姫は少し顔をほころばせておいででした。
訳もわからぬうちにわたくしは神楽笛を吹き、もみじは舞いをはじめ、かぐやの姫はやがて涙をこぼしてすすり泣いているようでございました。
染み入るような笛の音によって、その場が浄化されたような異空間に変化したのでございましょう。
姫のすすり泣きに、呼応するようにもう一人すすり泣く声がしてまいりました。
(また、増えている・・・。)
そう思って、今度こそ驚かないと心に決めておりました。
「やはり・・・笛の音は染み入りますなあ・・・。」
「はい・・・・。」
一人だけ状況もわからぬまま、笛を吹かされ正直おもしろくもないものでございます。
「失礼ですが、皆様はどちらのお方でございましょう?」
もみじは、やれやれ・・・という表情でわたくしに説明を始めました。
「この方は、かぐや様、月の精であられます。景時様もご存知でしょう?有名なあのお方ですもの。そして、こちらが竹取の翁(おきな)様。道先案内のお方でございます。
今宵の美しい月に誘われて、我らが笛を奏でたのに誘われてかぐや様はついこちらの世界に来られたのですが、道案内の翁様がお供しなければ月に帰れないのです。そこで翁様をこちらの世界までお呼びするために、景時様に神楽を奏してもらったという訳なのでございます。お分かりになられました?」
「えっ?あの、かぐや様と竹取の翁様・・・!!」
もみじは、大騒ぎをするなと言う目でわたくしを戒めたのでございました。
やっと状況が飲み込めた今、理解するということより、わたくしはやっと感動することができたのでございます。
自分の笛の音に誘われ、月からお越しになったという姫はかぐや姫であったという光栄な出来事でございました。
心からの神楽でもてなし、もみじが舞う中、かぐや様と翁様はゆっくりと微笑みを浮かべたまま月が傾く頃、やがて静かに月へと帰っていかれました。
はっきりとその辺りの事は覚えていませんが、夢の中でもみじがわたくしにこう言ったのでございます。
(景時、今宵の笛は神業だったぞ)
そう微笑んでから、もみじの中へ戻って行ったのでございました。
それ以来、もみじは人の姿で現れておりません。
多分、あの夜は特別の一夜だったのでしょう。
もみじが姫を呼んだのか・・・姫が我らを配置されたのか・・・わかりません。
満月の夜に笛を手にすると落ち着かないのは、わたくしだけではないでしょう。
月夜の晩にはいつもこの不思議な出来事を思い出します。
今宵の月も悩ましいものでございます。
景時 記
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