だから、さよなら。

七瀬渚

楓と私


 親友にブロックされた。



 職場のシフト調整の関係で思いがけず連休ができたから、そうだ久しぶりに会えないかなって真っ先にその子のことを思い出した。お風呂上がりに早速トーク用のアプリで連絡してみた。そこで気が付いた。


 スマホの画面を見つめたままたぶん数分間は何も出来ずにいたと思う。



「え……え……? なんで……」


 やがて焦燥感は身体の奥底から駆け上るようにして湧いてきた。

 指先が小刻みに震え始めたとき「そんなはずはない」と脳内から否定の声が聞こえた。


 そうよ。そんなはずはない。かえでがそんなことする訳ないじゃない。

 きっと誤操作か何かよ。それか乗っ取りとか!


 汗ばんだ手でスマホを持ち直し迷わず電話帳を開いた。

 駆け足の鼓動に落ち着けと言い聞かせながらコールした。だけど希望はすぐに打ち砕かれた。



「…………嘘」


 聞こえたのは、淡々とした音声アナウンス。


 三回くらい聞いてやっと、着信拒否されたときのものだと理解できた。



 手の震えは止まらなかった。

 いくつかのSNSも見てみたけどどれも同じ結果だった。


「なんで……楓……なんで急に……?」


 茫然と、項垂れていた。



「何さっきからブツブツ言ってんの? どうかした?」


 旦那の声が背後から聞こえて私はゆっくり振り返った。モロに怪訝な顔をされた。


「楓と連絡が取れないの。ブロック……されたみたい。着信拒否も……」


「あの一番仲良い人か。お前何したの?」


「何って、こっちが知りたいわよぉ〜〜!!」


 視界がゆらゆらする。マジで無理。今にも泣きそうだ。


 旦那はこういうとき慰めたりなどしてくれない。至って冷静、そして口にするのはいつだって正論だ。


さきはお節介なところがあるからなぁ。なんか余計なこと言っちゃったんじゃない?」


 そうかも知れないけどさぁ、もうちょっと気を遣ってくれたっていいじゃない! 弱ってる人間にハッキリ言い過ぎ!


 それに、それに……


「そうだとしても楓は絶対そんなことしないもん! 言いたいことあるなら言ってくれるはず。きっと何かあったんだよ! 私、外で電話してくる!」


「えっ、夜中の十時にか。女一人で危ねぇだろ。明日じゃ駄目なのか」


「すぐ戻るから!」


「待て待て。ったく……わかったよ、しょうがねぇな。俺も一緒に行く。車出すから待ってろ。あと寝巻きで外出んなよ!? 風邪ひくから」



 急いで適当な服に着替えた私は、そうして旦那の運転する車に乗り込んだ。


「すぐ周りが見えなくなるよな、咲は」


「だって絶対ただ事じゃないもん……」


 旦那の呆れたような声を聞きながらずっと窓の外を眺めていた。田舎の風景。気を紛らわせられるものなんて何もないけど。



 駅が近くなってきたあたりでやっと電話ボックスの場所に着いた。


 辺りにはひとけもなく、中はちょうどいている。私はすぐに駆け出した。


 スマホを取り出す。楓の電話番号を見る。

 公衆電話を使うのなんてたぶん小学生のとき以来だ。操作に少し手間取った。

 だけどなんとかかけることができた。


 あとは繋がってくれれば……



『……はい』


 返事が聞こえて。ため息がこぼれる。


「楓? 私よ、咲。ねえ、急に連絡とれなくなったんだけど……何かあったの?」


『…………』



「な、何かあったんだよね?」


『それ』



 フッ、と鼻で笑うような声色だった。

 聞こえた声は確かに楓のものなのに。

 なのに、今のは……?

 こんなの知らない。

 意味もわからないのに胸がズキズキと痛む。



「楓……? 本当に、どうしたの?」


『どうもしないよ』


「じゃあなんで? 何かあるなら言ってよ。遠慮しないでさ」


『……逆になんでそんなに自信あるの?』


「え……」



 足元がぐにゃりと沈むような感覚。

 私にはさっきから楓の言っていることがわからない。


『本当に何もないから』


「楓、待って! 理由を教えて! 私に出来ることがあったらするから! だから……!」



『ないよ、何も。あなたに出来ることなんて』


「楓!!」


『元気でね』



 呼びかけも虚しく電話は切られた。本当に、何のためらいもないように呆気なく。


 何分、氷のような冷たい箱の中にいたかわからない。


 ドアを開けて春の夜空のもとへ出たときに思い出した。そういえば髪もろくに乾かしていなかったことを。

 皮肉なくらい綺麗な星が目に染みた。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 旦那も言ってた通り、楓は私の一番の親友。高校の頃からもう十年にもなる付き合いだ。



 同じクラスだったのは一年の頃。

 私は彼女の存在に気付くなり時が止まったように見惚れた。


 女子の中でも背が高く余分な肉とは無縁のスラリとしたモデル体系。その上顔立ちが抜群に整っていた。可愛いとは違う。彫刻のような高い鼻と切れ長な目がクールな印象。いわゆるイケメン女子だ。スッキリとしたショートの髪が綺麗な頭の形を際立たせていた。雰囲気そのものも高校生とは思えないくらい大人びていた。


 ついさっきまでイキった調子で話してた派手な男子たちも、彼女が側を通るだけでスン、と大人しくなるのがなんだか面白かった。


 私は自身の中に生まれた興味を隠さなかった。というか、この頃の私には隠すという概念自体がなかったのかも知れない。


 孤高の香りを漂わせている彼女に話しかけていいものなのかみんな迷ってたんだと思うんだけど、もうそれさえ私にはじれったく見えて。だってそういうのはやってみなきゃわからないじゃない?

 一日目は様子を見てたけど二日目にはもう声をかけていた。


「一緒にお弁当食べていい?」


 そう訊いてみたときの楓の表情が忘れられない。

 寝起きみたいなキョトンとした顔してて、えっ、こんな美人がこんな隙だらけの表情するの? って。それがまた可愛く見えてなんだか得した気分になったんだよ。



 たぶん私が声をかけたことがキッカケになって、楓の周りにはどんどん人が集まってくるようになった。怖い人じゃないのがわかってみんな安心したんだと思う。

 実際、楓はどんな人にも分け隔てなく優しかった。


 でも不思議なことがあった。

 彼女は結局どの部活にも入らなかったのだ。

 あれは強制じゃないから別に入らなくたっていい。でもいろんな人から声かけられてたし、何か一つくらい興味持つんじゃないかなって思ってたんだけど、入学から半年経ってもそんな様子が見られなかったから……


「ねえ、楓ってさ、部活入らないの?」


 当時バドミントン部に入っていた私は帰り道で訊いてみた。もちろん私も誘ったことがある。


 図書室で本を借りてきた後だった楓は少しうつむき加減になってから再び顔を上げ、私に言った。


「うん、今はいいかなって。それにそのうちバイトも始めると思うから」


「えっ! そうなの?」


「……気を使わせたくなくて言わなかったんだけど」


 も〜、水くさいな〜とか、私はそんな感じのことを言いながら楓にもっと近付いて歩いた。


「何か欲しいものがあるの? やりたいこととか」


「いや、そういう訳じゃないよ。今のうちに社会でいろいろ経験しておきたいっていうか」


「ふふ、そっかぁ。もっと聞きたいな、楓のこと」


 そう、ただもっと知りたくて。

 思えば出会った瞬間からそう望んでいた。


「じゃあもう一つだけ内緒の話」


「うん、なになに?」


「……実は人見知りで」


「嘘、ウケる!」


「大勢の中にいると疲れちゃうんだ。咲といるときが一番安心する」


「そうなんだ……えへへ」


 この特別感。嬉しくない訳がない。


 見た目はクールなのに中身は繊細な楓。そのギャップはむしろ「私が守ってあげなきゃ」という使命感さえ感じさせた。



 だけど楓はやっぱりイケメン!

 そう思うことも沢山あった。


 二年になる頃にはもうクラスは別々になっていたけど、休みの日に一緒に大きな街まで遊びに行くような仲になっていた。


「君たち今時間ある?」


 ファッションビルの近くで知らない男の人に声をかけられた。こういう状況に慣れてない私は思わず「はい」と答えそうになってしまった。


 そのとき楓が私の手を引いて歩き出した。男の人は喋りながら着いてくる。

 話を聞いているうちにスカウトだとわかった。


「待ち合わせがあるんで、私たち」


 楓は彼の言葉を素っ気なく受け流し、ついには諦めさせた。

 ため息が零れた。さすが。きっとこういうの一度や二度じゃないんだって察した。


「すごいなぁ、楓。芸能人やモデルになりませんか? ってことでしょ、今の! やってみようと思ったことないの?」


「あのね。安全な事務所とは限らない、ヘタすると危ない誘いの場合もあるんだよ。それに咲だって声かけられてたじゃない。気を付けた方がいいよ」


「え〜、あの人、楓のことしか見てなかったよ? 私なんて誘われる訳ないよ、可愛くないし……」


 まだまだ幼かった私はちょっとふてくされた。だって月とスッポンなのはわかってたけど、あんなあからさまに態度に出されるとさすがに凹む。


 そんなときぎゅっと手を握られた。

 驚いて顔を上げると楓が真っ直ぐな目で私を見ていた。


「咲は可愛いよ」


「楓……」


「すごく可愛い」


 綺麗な顔がすぐ近くにあって、甘い囁きが耳元をくすぐって。

 かあっと熱が込み上げて心臓がドキドキした。

 

 嬉しい。そんな素直な気持ちは遅れて溢れ出した。


「ありがと〜! 楓〜!! 私もう一生彼氏いなくてもいい! 楓がいてくれればいい!!」


「はは、何言ってんの。咲ならすぐ彼氏できるよ」


「楓を超えるイケメンなんて見つけられる気がしないんだけど! っていうか楓って欠点なくない? なんでそんな完璧なの?」


「あるよ、欠点くらい」


「え〜、なになに?」


 今度は私が楓の顔を覗き込んだ。

 イケメン女子はちょっと困ったようにはにかんで言った。



「プライドが高すぎるところ、かな」



 全然嫌味な感じしないのに。この頃の私には楓の言葉が不思議だった。



 友達と呼ぶにはちょっと近すぎたようにも思える距離感。

 でもこの頃の私たちはきっと心から笑い合っていたと思うし、一緒にいるだけで幸せで楽しかった。



 私たちの友達付き合いはまだ続いた。


 私は短大に進んだ後に就職。楓は高校卒業後にすぐ就職した。それぞれ実家も出て歩んだ道も違ったけれど、電話したときは話が盛り上がってつい夜更かしてしまうことが多かった。


 楓に彼氏ができたときは驚いたなぁ。二十二のときだっけ。


 いや、モテそうなのは言うまでもないんだけど、あれだけ美人だと躊躇ちゅうちょしちゃう人が多いと思うし、何より楓が男にあまり興味なさそうだったから。


 私の方はというと付き合っても長続きしないパターンが多くて、今の旦那に出会えたのは二度目の就職先。ちょうど二年前の今くらいの頃だった。


 私たちの結婚が決まったときも楓は自分のことのように喜んでくれたっけ。


 まだ覚えてるよ。

 半年前に挙げた結婚式で、楓が誰よりも泣いてくれたこと。本当に嬉しかった。この子と友達で良かったって心から思ったの。





 なのに、どうして……?



 キラキラ輝く思い出の破片の中で私は悲しみに暮れた。



――ないよ、何も。あなたに出来ることなんて――



 蘇る冷たい声。

 楓の声で、ハッキリと拒絶されたのだ。


 高校時代の友達にそれとなく訊いてみた。でもその子はブロックなんてされてなかった。


 もう訳がわからない。


 訳がわからないまま、私は自分を騙して、時間をかけてやっと変わらない毎日を過ごすことに慣れていった。

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