第78話 話し合い③

「あ、そういえば私が告白されたから、私の返事待ちなのか!」


 奏が手をパンと叩いてそう言う。頭の上に電球が現れそうなくらい白々しい反応だが、それが面白くて皆が笑う。


 奏は腕を組んで何かを悩み始めた。


「うーん……何となく暗黙の了解って感じでバンド内恋愛が良くないっていうのは分かるんだけど、具体的にどんな悪影響があるからダメなんだろうね。部活のキャプテンとマネージャーなんてあるあるだし、プロのミュージシャンでも夫婦でやってたりするよね」


 奏がそもそも論の話を始める。言葉にはしていなかったけど、これは告白を受けてくれる前提で皆と調整を図っているのではないかと都合の良い解釈をしてしまう。


「サザンとかそうだよな」


「ハンバートハンバートやダ・カーポもですね」


「それは夫婦デュオだからちょっと違うでしょ」


 皆、意外と詳しい。普通の会社員だって社内恋愛や社内結婚もあるのだから、仕事仲間という観点で見ても特段問題はないはず。プロセスさえ間違えなければ、という前提はあるが。


「ビートルズもオノヨーコをスタジオに連れてきて云々、みたいな話があったよな。やっぱ真面目に練習してる傍でイチャイチャされると目障りかもな」


 ひとしきり雑学を披露しあった後、永久が奏の質問に答える。


「私と奏吾くんはそんなキャラじゃないからなぁ。そういうのは弁えてるよ!」


 既にオーケーを前提とした話になっている気がする。奏がどう答えてくれるのか気が気でならない。


「まぁ、それはそうだよな」


 永久の発言に続いて彩音と千弦も頷く。人目もはばからずにイチャイチャするような人だとは思われていないようだ。


「後、私が懸念しているのは、三角関係が出来ちゃった場合だね。奏吾くん以外で私の事、恋愛的な意味で好きな人っている?」


 奏が突然アンケートを取り始めた。全員「何を言っているんだ」と言いたげな目線で奏を見る。誰も手を挙げないので奏は頷いて次の質問に移る。


「ま、そうだよね。じゃあ、次だね。あんまこういう話は好きじゃないんだけど……彩音は奏吾くんの事、好き?」


 奏が彩音の方を向いて尋ねる。


「はぁ? なんでそうなるのよ。そんな訳ないでしょ」


 眉間へのしわの寄り方からして本心なのが良くわかる。別に彩音の事が好きなわけではないけれど、なぜか勝手に振られた気分になるのはなぜだろう。


 これは江戸時代に隠れキリシタンを探していた絵踏みのようだ。僕の心が何度も踏みつけられる。必要な犠牲なのだろうけれど、何とも言えない時間だ。


 そして、奏以外から矢印が僕に向かっていない事を確認するまで、この絵踏みが全員分続くのだとすぐに気づいた。奏は頷いて千弦の方を向く。


「千弦はどう?」


「好きではありませんよ。あ、もちろん人間的には好きですけどね。恋愛感情はありません」


 千弦も僕を見て微笑みながらゆっくりと踏み絵を踏みつける。分かってはいるけれど辛い時間だ。


 奏は椅子に座り直して永久の方を向いた。


「じゃあ、最後は永久。奏吾くんの事、好き?」


「好きじゃねえよ」


「本当に?」


「本当だよ」


 なぜか奏は永久に対してだけやたらとしつこく尋ねる。永久は永久で何故か不機嫌そうに明後日の方向を見ている。何が要因なのか分からないが、踏み絵を踏むのを渋っている。三角関係という事にして、奏の気持ちを諦めさせたいのだろうか。


「永久、私の目を見て答えて。ずっと目線をずらしてるよね。本当?」


 奏の指摘を受けて、永久は顔を下に向け、目を合わせないまましばらく沈黙を貫く。


「好き……っ……じゃないよ」


 漸く喉から絞り出された永久のその言葉を聞いて、奏が泣き出してしまった。奏の涙に釣られたのか、永久の方からも鼻をすする音が聞こえる。やがて、奏にも負けない位の声で永久が泣き始めた。


 彩音は奏、千弦は永久について、手を握り、背中をさすっている。


 何が起こっているのか全く分からなかった。彩音も千弦も何の問題もなく簡単に踏めた踏み絵。永久はなぜかそれを踏む事を拒んでいる。いや、永久は嫌々ながら何度も踏んではいるが、奏はその態度から何らかの疑いを捨てきっていない。


 絵踏みの趣旨は、僕への好意の有無。それを簡単に踏めないという事は、つまり、永久は僕の事が好き。その結論に至ってしまう。そんな訳がない。お互いに、友達として、仲間として接してきたはずなのに。


「永久、多分これが最後のチャンス。後悔しないで」


 泣きすぎてえずいてしまい、うまく話せなくなった奏に代わって、これまた泣きそうな顔をした彩音が永久に尋ねる。


「好きじゃねえって……言ってんだろ……」


 僕は奏が永久に差し出した踏み絵はただの冷たい金属板だと思っていた。だけど、永久にとっては高温に熱された肉を焼くための金属板だった。踏めば足の裏を火傷する。でも踏まないといけない。


 ここまでのやり取りを思い出すと、今すぐこの会話を打ち切りたくなってしまう。永久は何度も、苦しみながら、足の裏が爛れることも厭わず、熱々の踏み絵を踏み続けている。


 結論ありきの拷問のようだ。奏も彩音も一向に諦める様子はない。千弦も永久を勇気づけてはいるが、踏み絵を踏むことを止めはしない。


 いい加減に僕もこのやり取りの意味が分かった。永久は僕の事が好きだ。いつからかは分からないが、女子同士では感じ取るものがあったのだろう。僕がここで奏に想いを伝えないと後悔すると思ったように、皆も永久が後悔すると思っている。だから絵踏みを続けさせる。


 永久の言葉を受けて、彩音が困った顔で僕の方を見てくる。多分、僕の言葉を受けて永久が言わないと決着はつかないのだろう。彩音からバトンを受け取る。


 でも、永久に想いを伝えられたところでどんな言葉をかければ良いのだろう。「ごめん」と言ったところで、永久は「僕に振られた」という事実を抱えてバンド活動を続けることになる。必ずわだかまりが残る。


 二人が同じ人を好きになる。その状況が出来てしまった時点で誰かが去らなければ禍根は残る。


 もしくは、誰も去らずに、僕と奏と永久の三人が今後も覆面を被り続ける。つまり、全員が想いを殺す。そうすれば、誰も幸せにはならないが、全員が平等に不幸になるのでダメージも対等だ。


 そうなったとして、バンドは続けていけるのだろうか。無理だろう。誰が最初に音を上げるかのチキンレースになる。


 やはり、僕が二人から好かれてしまった時点でこの問題は解決不能になってしまった。自分でいうのもバカバカしいが、こんな事で悩む日が来るとは思わなかった。


 千弦ならこの場面でも起死回生のアドバイスをくれるはずだ。そんな望みを託して千弦の方を見るが、唇を噛んで顔を横に振るだけだった。


 僕が二人と関係を断って、ここを去るしかないのだろう。それで、全て解決。前のようにベースはサポートの人にお願いすれば良い。


「あの……僕、バンド辞めるよ。こんな事になっちゃったのも僕のせいだから……」


 彩音と千弦が僕の方を見てくる。二人とも、顔には怒りが表れている。千弦の怒った顔なんて初めて見たかもしれない。


「はぁ? なんでそうなるのよ……本当に分からないの?」


「それは最悪な選択ですよ。何を考えているんですか。早くしてあげてください」


 二人が想像していた選択肢は別だったらしい。僕の選択は拒否され、再度選択肢を選ぶ場面に引き戻される。


 彩音が顎で永久を指す。千弦もその動作を受けて頷く。


 二人の指示は分かる。分かるけれど、あまりに残酷だと思った。それでも、二人の責任には出来ない。


 僕は、僕の意志でその選択をして、永久に尋ねる。


「永久……僕の事、好き?」


 永久が顔を上げて僕の方を見てくる。泣き始めてそんなに経っていないはずなのに、目も鼻の頭も真っ赤になっていた。それでも、美人は絵になると思ってしまった。だがあくまで造形美を愛でているというだけで、恋愛感情ではない。


 永久は唇を震わせて、必死に言葉を紡ごうとしているが上手くいっていない。真冬の雪原で凍える人のように過呼吸気味に吐息だけが漏れる。


 永久は自身が被っている覆面を脱ごうとしている。だけど、それがどういう結果になるのか分かっているのでリーダーとしての永久が必死に止めているのだろう。


 それでも目線だけは外れない。永久はずっと僕を見てくる。切れ長の目も、高い鼻も、薄い唇もすべてが僕の方を向いている。そんな場面はこれまでに何度もあったはずなのに、一番緊張する瞬間だ。


 サクシに加入した日に『北風』と自称していて少し怖かった永久、ツアー中、散歩している時のハプニングで照れていた永久、コピーバンドの曲決めでむくれていた永久、ミスコンの衣装を誕生日プレゼントとして受け取ってホクホク顔だった永久、リーダーとして毅然と奏との件について窘めてくれた永久、ライブ後に汗を振り払いながら髪をかきあげる永久。


 これまでの思い出が走馬灯のように駆け巡る。本当に楽しかった。楽しかったけれど、その想いに応える事は出来ない。僕も涙がこみあげてくる。視界がぼやけて永久と千弦が一体化して見えてきたので腕で涙を拭う。


 やがて、永久は鼻を大きくすすり、涙を拭った。いつものようにニッコリと笑う。


「バカ。好きな訳ねえだろ。こんな話、これっきりだからな」


 鼻声で、今までで一番の笑顔で永久は言った。言い切ってやったとばかりにガハハと笑う。熱々の踏み絵を涼しい顔をして踏み切った永久の演技力に驚愕させられる。


 永久は自分の心を殺し続け、リーダーという役割に徹した。これからもそうなのだろう。もはや、リーダーという役割に呪われているのかもしれない。そう思うくらい、永久はこの短時間で自分の溢れそうな思いを封じ込めた。


 もう永久は自分の想いを殺し切った。その事に気づいた永久以外のメンバーが大声で泣く。僕も涙が止まらない。


「おいおい。泣き止めって。ほら、もう一回コーラかけするか? 行くぞ!」


 そこから永久は一度も涙を見せず、笑顔で全員を慰め続けた。「普通逆だろ」と言ってガハハと笑いながら僕の肩を叩いてきたのだった。

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