第66話 文化祭⑥

 結局、直樹さんの想いのほとんどを父さんが話した。ほとんどを父さんが話せるくらいには、父さんも直樹さんの話を聞いていたということだ。


 それを父さんが納得して息子の僕に話すのだから、これは言い訳ではなく、直樹さんの本当の気持ちなのだと理解するしかない。


「幸せになりたくないから、家を出たってことですか?」


「そうだ」


「今の家族を捨てて、新しい家族を作るつもりなんじゃないんですか?」


「何のことだ? 私はずっと独りだが……」


 直樹さんは真っ直ぐに僕を見てくる。奏によく似た眼力だ。


 僕は、奏の両親は自分の新しい生活や新しい家族のために奏を捨てたのだと思っていた。だが、直樹さんは本当に自分の生き甲斐ためだけに家を出たようだ。


「とにかく、あなたが不幸になりたがっているせいで奏も不幸になっているんですよ」


「それは……分かっている。それでも、私はこういう生き方しか出来ないんだ。それに気がつく前に親になってしまった。だから、せめて不自由はさせないようにしたつもりだよ」


 どこまで自分勝手な人なのだろうと怒りが湧いてくる。


「不自由って……あんなに寂しそうにしてたら自由なんてあってないようなものですよ。……償ってください。もう貴方の人生はここで終わりです。これからは奏に尽くして、奏のためだけに生きて幸せを全身で感じてください。あの曲を聞いたらそうしようと思えるのが親なんじゃないですか?」


「奏吾、お前言い過ぎ……」


 父さんが僕を諌めようとしたところを直樹さんが腕を伸ばして止めた。


 しばらくの間俯いて、何かを考えているみたいだ。顔をあげると、唇を震わせながら言葉を紡ぎ出した。


「……そうだな。私がいくら不幸に身を置いても、あんな曲は書けなかった。奏が生み出す曲を支えるのが私の役割なのかもな」


 自身と娘の才能の比較を経て負けを認めた。家に戻るというのは、これまでの自分の人生の意味を根本から覆す選択だろう。葛藤はかなりのものだったと思う。


 それでも、直樹さんは家に戻る事を認めた。僕も落ち着きを取り戻してきた。


 冷静になると幸せすぎるのが自分にとって不幸だなんて意味の分からない人だ。アーティスト向きと言われればそうなのかもしれないけれど、あまりに人間として生きていくのに向いていない性格だと思った。


「そういえば、青木さんってどういう関係なんですか? 昔からお手伝いさんをしてもらってるんですよね」


「あぁ。智子ちゃんか。昔のバンドメンバーだよ。三人でやってたんだ。俺と直樹と智子ちゃんな」


 意外な組み合わせだった。その三人がバンドを組んでいたなんて。父さんや青木さんの実力の程は分からないが、直樹さんの作曲センスなら本当にメジャーデビューだって狙えたはずだ。


「なんで解散したの? 父さん、周りから反対されてバンドを辞めて公務員になったんだよね?」


「あ……あぁ。そうだな」


 父さんは気まずそうに直樹さんの方を見る。


「早い話が痴情のもつれだよ。智ちゃんを奪い合ったんだ。ちなみに勝ったのは私だよ」


 今度は直樹さんが言葉を受け取って続きを話す。やっぱりバンド内の恋愛なんてロクでもないと思わされる。


「おいおい。それ言うのかよ」


「ダメだったか?」


「ダメだろぉ。子供にそんな話聞かせられないだろ」


「まぁ……もう言ってしまったしな」


 おっさん同士がイチャイチャしたり、シュンとしている様子を見たい訳ではない。


「じゃあ、奏の本当のお母さんって……」


「おいおい。それは飛躍し過ぎだぞ。そんな昼ドラみたいな話があるかよ」


 父さんが笑いながら否定する。あくまで奏の母親は本物で、青木さんはただのお手伝いさん。だけど直樹さんの元カノという事らしい。


 奏のお母さんがその事を知ったらどう思うだろう。夫の元カノが何食わぬ顔で娘の面倒を見ているのだ。これ程心を痛める状況はないだろう。


「その事、奥さんはご存知なんですか?」


「どっちでもいいんじゃないかな。それは」


「そんな事ないですよ! 娘の世話を元カノにお願いしてるって絶対嫌じゃないですか」


 世話をお願いする直樹さんも直樹さんだが、受ける青木さんも青木さんだ。青木さんの事は嫌いではなかったけれど、少し見る目が変わってしまう。


「そうなのか?」


「そういうものなのか」


 どうやらこの二人は僕を超える逸材らしい。僕も女心を分かっていないと言われるけれど、それでもほぼ女子校のこの学校に通うことで少しは成長したみたいだ。この二人に比べたらまだ気遣いが分かっていると安心する。


 呆れて物も言えずにキョロキョロする。渡り廊下や中庭を親子で仲良く歩いている生徒が大勢いた。男子だと恥ずかしい年頃だけど、女子はそうでもないらしい。


「奏に会わないんですか?」


「後でメールしておくよ。家に帰るから準備があるんだ」


 口元だけで笑ってそう言うと直樹さんは一人で立ち去ってしまった。


「さてと、俺も帰ろうかな。今度はもう一つのバンドも招待してくれよ。母さんには黙っとくからさ」


 そう言うと父さんも行ってしまった。青木さんから僕達のことは筒抜けだったようだ。僕が奏の部屋に泊まっていた事ももちろん知っているのだろう。敢えて触れてこないあたり、最低限は大人としての自覚を持っていたらしい。


 体育館に戻っていると、駆け足の奏と千弦がやってきた。僕を探していたのか、見つけると手を振りながら駆け寄ってくる。


「奏吾くん! こっち! 早く!」


「急いでください! 緊急事態です!」


 奏に右手、千弦に左手を掴まれ、そのまま体育館の裏へ連行される。ドッキリでないならなんだろう。永久がハリセンでも持って待ち構えてくれている方がよっぽどマシだと思った。


 体育館の裏では彩音と永久が一人の怪しい人を抑えていた。その人は、帽子にサングラスにマスクと正体を隠したいという意図が見え見えの格好をしている。


「それ、取りなさいよ! 早く!」


「お、おいおい。彩音、落ち着けって!」


 彩音が前のめりになっているのを永久が抑えている構図だ。


「これ、何なの?」


「私も分からないんだけど、彩音がこの人を見た途端に急に暴れだしたの。とりあえず奏吾くんを呼ぼうと思って」


 多分、僕よりも先生を呼ぶべきだったと思う。


「彩音、どうしたの?」


「こいつ、前にライブハウスにいた怪しい人だよ! 今日もここに来てたんだ。絶対に脅迫犯だって! 何で私達のことを狙うの!?」


 僕のサクシ加入後の初ライブの日、会場に怪しい人がいたと彩音が言っていた。服装が同じなのか、彩音はこの人が同一人物だと確信を持っているようだ。


 彩音の言葉で一斉に怪しい人を見る。怪しい人は一言も発さずに自分は怪しくないと言いたげなジェスチャーをするが、それなら正体を明かせばいいのにと思う。


「それ、取れないんですか?」


 怪しい人は躊躇いを見せたが、仕方なしという風にため息をついて帽子、マスク、サングラスを取る。


「お……お母さん!?」


 僕も顔は見覚えがある。和泉宏子。奏の母親。ただ、ネットで出てくる宣材写真は奏によく似たウェーブがかった長髪なのだが、今は肩あたりで切り揃えたボブになっている。


「そ、お母さんでしたぁ」


 宏子さんはおどけた感じで両手を広げる。


「じゃ、じゃあ。奏のお母さんが脅迫犯だったってこと?」


 彩音が信じられない、といった顔で立ち尽くす。


「脅迫? 何それ? 私はただ娘の晴れ姿を見に来ただけよ」


 キョトンとした顔で宏子さんは僕達を見渡す。そもそも、怪しい人はいたが怪しい格好をしていた以外の根拠はなかったのだ。


「娘が心配でバンド活動を止めさせたいとか、動機ならあり得るじゃない!」


「いやいや、流石にないだろ。母親だぞ。落ち着けって」


 永久が彩音を宥める。奏も頷いているし、信じていいのだろう。彩音の早とちりで絡んでしまった訳だが、知り合いの母親で良かった。


「でも、なんで変装なんかしてるんですか? 普通に会いにくればいいじゃないですか」


「そうなんだけどさぁ。やっぱずっと会ってないと会いづらいわけよ」


 確かに奏から聞く話は父親とのエピソードばかりだった。久しく会っていないのだろう。


「お母さん、なんで帰ってこないの? もうずっとだよね」


「そりゃ、あの女がいたら帰りづらいわよ……まぁ、子供の前でする話じゃないね」


 近くにいた僕は聞き取れたが、奏にはほとんど聞こえないくらいの早口と小声だった。なんとなく事情は分かる。夫の元カノが我が物顔で家事をしているのだから嫌悪感は抱くだろう。


「一応、ちょっと前に一度顔は出そうとしたのよ。家の前でウロウロしてたら勇気が出なくなって引き返したんだけどね」


 今度は奏に聞こえるよう宏子さんが言う。その話を聞いて一つ思い出した事がある。奏の家のインターホンに映り込んでいたストーカー。あれは宏子さんなのではないか。


「これですか?」


 携帯で撮影していたインターホンの画面を見せる。宏子さんは大きく頷いた。


「そうそう! この日よ! あれ? でも何でこんなの写真に撮ってるの?」


「ま……まぁ……色々とありまして」


 奏のストーカーと思っていた人物は宏子さんだった訳だ。ライブ中にいた怪しい人の正体も判明したし、脅迫犯はずっと鳴りを潜めているので、気になっていた事はあれよあれよという間に解決した。


「さっき、あっちの方で奏のお父さんと話しました。もう一度、三人で話し合ってみたらどうですか?」


 奏と宏子さんが同じ顔でこちらを見てくる。


「お父さん来てたの!? なんか言ってた!?」


 奏が僕に走り寄ってくる。


「褒めてたよ。詳しい話は本人からの方がいいかな」


 奏は下を向いた。鼻をすする音が聞こえるので泣いているのだろう。


「良かった……お母さんはどうだった? 私の……私達の曲」


「良かったんじゃない? なんか、懐かしくなっちゃった。奏とあの人と川辺をよく散歩してたよね」


 まさにその思い出を曲にしていたのだからそう思われて当然、という感じもする。奏は嬉しそうに母親に抱きついている。話すこともせず、分かり合うこともしなかったから切っ掛けを失っていただけで、親子の縁や絆まで切れていた訳ではないのだろう。


「ま、これからも頑張ってね。じゃあね!」


 奏のおでこに口をつけると、宏子さんはルンルンとスキップしながら去っていった。何とも自由そうな人だと思う。


 何というか、直樹さんも宏子さんも僕達の全力を軽く受け流している。プロの世界は毎日こんな風に全力をぶつけ合っているから当たり前の事なのだろう。目の前にいる何万人の人全ての心を動かしてこそ本物。そう言いたいのかもしれない。


 奏の両親が感動の涙を流して家族が再集結、とはならなかったが、この二人の心をそこまで動かすには僕達の実力が足りなかったということだ。


 それでも、二人が奏と話したい、会いたいと思わせた。それだけで十分だと思えた。奏も嬉し恥ずかしといった感じで、おでこをおさえて満足そうにニヤニヤしている。


 嵐が去ったあとのような静けさの中で、誰も状況を整理することすらせず立ち尽くす。


 その沈黙を破ったのは永久。まとめ役だしこういう時に「ま、とりあえずバンドの投票結果でも聞こうぜ」と言って空気を変えてくれる。


 だけど、今日は違う方向で沈黙を破った。


「あのさ……脅迫の犯人、私知ってるんだわ」

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